第二話
暫く眠った後に目を覚ますと、車窓の外は既に真っ暗だった。車体は細かく振動していて、エンジン音が車内に響いている。
刹那は身を起こし、カーナビに表示されている時刻を確認する。午前零時十七分。予定が前倒しになる事は無かったようだ。
クロウは運転席の上で腕を組み、じっと座っていた。彼をよく知らない人がその様を見れば、死んでいると勘違いしてしまうだろう。それほどに彼の身体は動いていない。呼吸の際の肩の上下すら、じっと目を凝らさなければ確認できない。
何より恐ろしいのは、この状態で、彼はバッチリ覚醒しているという事だ。寝込みを襲いに来た襲撃者が、この擬態に騙されて返り討ちに会う様を刹那は何度も見て来た。
その証拠に、彼は刹那が身を起こした途端に口を開いた。
「起きたか」
彼女は答えず、リクライニングを起こして目を擦った。ダッシュボードの上にマクドナルドの紙袋が置かれている。腹はあまり減っていなかったが、刹那はそれに手を伸ばし、中に入っていたバーガーを二つ取り出し、包装紙を剥いた。
十分ほど掛けて食事を済ませ、紙袋の中のペーパーナプキンで口を拭く。赤いケチャップが白い紙に滲んだ。刹那はそれを握りつぶして紙袋へ戻し、後部座席へ動かす。
「三十分前だ。そろそろ着替えろ」
「分かった」
クロウが言い、刹那が一言答える。彼女はシートベルトを外し、再度リクライニングを倒した。後部座席に移動し、コートと学校の制服一式を脱ぐ。それを畳んで座席の上に置き、トランクスルーを倒して中から衣装鞄を引っ張り出した。
その中には、刹那の制服が入ってある。
仕事をする際の制服。彼女が『ヴァイパー』へと成り果てるための服だ。
上下黒の肌着の上から、濃紺のシャツ、細身のパンツ、スーツベストを見に着け、最後にその上から黒いコートに腕を通した。黒革の手袋を填め、鞄の一番下に押し込まれていた黒いブーツを履いて靴紐を閉める。
ほぼほぼ黒一色の組み合わせ。夜に仕事をする分には都合がいい。
それから、後部座席に置かれているアタッシュケースを手に取り、助手席に戻る。リクライニングを起こしてケースを膝の上に置き、開いた。
SOCOM MK23自動拳銃。拳銃としては非常に大柄な代物だ。
「デカいね」
「その分、性能は折り紙付きだ。室内ならライフルを持った相手とも戦える」
トリガーガードに指を引っ掛けて、ヴァイパーはその拳銃をケースから引っ張り出す。外見に違わぬずしりとした重みが彼女の両腕に伸し掛かって来た。
銃の先端には消音器を取り付けるためのネジが切られており、その消音機もケースの中に、銃口が上を向いた状態で収められていた。
銃本体の下部レールにはレーザーサイトモジュールが取り付けられている。とあるゲームで取り付けられていたような、数種類のレーザーとフラッシュライトを一体化した大型のものでは無く、赤外線レーザー単体の小型軽量の物だ。
消音機を引き出して、銃口部分に取り付ける。銃の全長が伸びて秘匿性は下がるが、ヴァイパーのトレンチコートは丈が長く、多少大型の銃器でも隠し持つことが出来る。夏はもっと薄着になるため、あまり大きな銃を持つことは出来ない。
ケースから箱型弾倉を取り出して、グリップ下部から滑り入れる。遊底を引いて初弾を装填し、閉じた遊底を薄く開いて弾薬が薬室に装填されたかを確認する。真鍮製薬莢の尻が、鈍く金色に光るのが見えた。
遊底を放し、銃側面のレバーで撃鉄をリリースする。MK23には撃鉄を起こした状態で安全装置を掛けられるコックアンドロックというより実戦的な携行方法もあるが、ヴァイパーの好みでは無かった。
誰にも見つからず、邪魔されずに仕事を完遂するのが彼女の流儀だ。引き金の重いダブルアクションと軽いシングルアクションでの発砲の差は長くても零コンマ何秒。そんな僅かな時間で生死を争わなければならない時点で、その仕事はほぼ失敗していると言っていい。
「それで? 誰を始末するの?」
「こいつだ」
銃の使用感を確かめながらヴァイパーが言うと、クロウはクリップ留めされた資料を差し出して来た。小さい写真が一番上に来ており、そこにはすらりとした男の顔が映っている。
「これ、議員さんだっけ?」
「そうだ。コイツも子供の人身売買に関わっている。ルートを開拓したのがこいつだ。国会議員であるおかげで、警察も介入がしづらい」
「そう。同情の余地は無さそう」
「あぁ、容赦はしなくていい」
「最初からするつもり無い」
「その意気だ」
クロウが言い、彼はハンドブレーキを下ろして車を発進させる。
「丁度目標が確認された。少し移動する。説明は移動しながらするぞ」
目標の男、嶋津はホテルの三階の一部屋に宿泊している。隣の雑居ビルとホテルに挟まれた裏路地から排水管を登り、ホテルに忍び込まさせた結社の一員が開いておいた窓から侵入。その報告を無線で受けたクロウがホテルの電源をカット。闇に紛れ、ボディガードを始末して嶋津の部屋に押し入り、彼を暗殺する。
夜道を縫うマークXの中で、ヴァイパーはクロウの指示を聞く。言い終わると同時に彼は車を停める。目的地に着いたようだ。
ヴァイパーはMk23をショルダーホルスターに収めて音も無く車から降り、言われた通り裏路地を進む。背後でマークXが走り去って行く。振り返る事もせず、彼女はエアコンの室外機を踏み台にして飛び上がり、ビルの屋上へ伸びた排水管へ飛び付いた。
素早く壁面を這い上がり、ホテルの少し開かれた窓を確認する。手を掛けて大きく開き、そこから赤い絨毯の敷かれた廊下へ転がり込んだ。
ヴァイパーはコートのポケットからサングラスを取り出し、一振りしてフレームを立て、目元に引っ掛ける。一見、スポーツフレームの黒いサングラスだが、結社から支給されたものであり、通信機と暗視ゴーグルを兼ねた優れものだ。
「こちらヴァイパー、位置に付いた。いつでも行ける」
「クロウ了解。電源を落とすぞ」
その返答と共に無線機が切断され、直後にホテルの明かりが消えた。客室は予備電源のおかげで電灯が生きているが、フロントや廊下の電源はシステムが再起動される五分後まで暗闇に沈んだままだ。
三分あれば十分か。
ヴァイパーはサングラスの暗視機能を起動する。Mk23を引き抜いて、下部レールに取り付けた赤外線レーザーの電源を入れた。暗視スコープ越しにはそこからレーザーが伸びて見えるが、肉眼では見えない。
拳銃の照準器は、暗闇の中では見失いやすい。だがレーザーを光らせておけば、そんな環境でも狙いを付けるのが容易になる。
銃を構え、ヴァイパーは廊下を進む。突き当りを左に折れると、目標の部屋が見えた。嶋津の眠る301号室。ドアの左右に黒いスーツに身を包んだ見張りが立っている。分かり易くて結構だ。
突然の停電に、不審な様子で頭を動かしている。ただの停電なのか、それとも何か故意に引き起こされたものなのか決めかねている様子だった。片割れは腰の辺りに差しているであろう拳銃の上に手を置いている。
ヴァイパーは二人の姿を認めると、容赦なく銃の引き金を引いた。Mk23の消音効果は凄まじく、ブシュッという誰かが炭酸飲料の缶開いたような音しかしない。暗闇の中でその音を聞いたとしても、まさか銃声だとは思わないだろう。
隣の見張りが頭を粉砕されて倒れ込んだと言うのに、もう一人の見張りは銃に手を掛けて突っ立ったままだった。鉄火場に慣れていないのか、それとも鈍いだけか。どちらにせよ、ヴァイパーが容赦する理由にはならない。
胸元にレーザーを照射し、そこへ二発叩き込む。力が抜けた様に壁にぶつかり、見張りの身体が崩れ落ちた。
邪魔者を排除し、廊下を進む。少し進んだ先に置かれていた花瓶を取り上げ、その下のカードキーを手に取った。結社の構成員が用意したマスターカードキーだ。それを301号室のカードリーダーにかざして鍵を開錠し、静かに部屋に侵入した。
途端、聞こえてきたのは女の嬌声だった。時折、満足げに息を吐き出す男の声も混じっている。
ヴァイパーは心底呆れ果て、溜息を付いた。
呑気なものね。
暗めの明かり、家の豆電球位の明るさしか灯っていない部屋に音も無く進み、嶋津のベッドへ忍び寄る。嶋津の顔は快楽に歪んでいる。だらしなく開いた口から、恥ずかしげも無く涎が垂れているのが見えた。
彼の上で腰を動かす女には見覚えが無かった。当然、彼の妻ではない。時折、新聞で夫婦一緒の写真に映されている所を見るが、この女はその妻と比べ一回り程年下に見えた。
嶋津にとってはその方がマシだったかもしれないが、ヴァイパーはスキャンダルの記事のネタを仕入れに来たのではない。ので、彼女はすぐさま仕事を再開する。
女が絶頂を迎えるのと同時に、ヴァイパーは背後から彼女の首へ両腕を回し、気道を完全にふさぐ強さで締め上げた。一層強く嬌声を上げ、肺の空気が少なくなった所を狙った完全な奇襲攻撃。女はものの十秒ほどで意識を失い、裸のまま四肢をだらりと垂れ下げる。
その間、快感に惚けていた嶋津は何が起こっているのかを認識せず、ただ力の無いだらしない声を零していただけだった。
女を床に寝かせ、ヴァイパーはMk23の銃口をベッドの上で仰向けに寝そべっている嶋津の方へ向ける。その段になって初めて、嶋津はヴァイパーの存在を認めたようだ。
「な、何だ貴様は!?」
威厳たっぷりな風を装って、嶋津は精一杯の声を上げる。もっとも、萎びた一物をぶら下げながら言われた所で、哀れ以上の感想は無いが。
「金なら払う! だから――」
「お金は要らない」
ヴァイパーはそう言って、引き金を引いた。嶋津の頭が四十五口径ACP弾によって粉砕され、赤黒い飛沫がベッドの後ろの壁に飛ぶ。脳髄の塊が、白い壁にベットリと張り付くのが見えた。
欲しいのは、貴方の命だけ。
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