第5話 病院宿

 病院へ戻ると、すんなりと受付を通ることが出来た。なんとも開放的というか、この病院は賑やかで、割と誰でも自由に出入りできるようだ。


 それに、街を歩いた時もそうだったが、日野のスーツ姿は明らかに浮いていたのにも関わらず、街の人たちは不思議がる事もなく気さくに話してくれた。


 街には旅商も多くいて、人の出入りが激しいために違和感を感じなかったのだろうか? そんなことを考えながら、アイザックを探した。


 先ほど話をした病室は、確か階段を登ってすぐの部屋だったはずだ。病室から出た時の道を思い出しながら、ゆるやかな階段を登っていく。


 すると、二階廊下の突き当たりから、アイザックの声が聞こえてきた。しかし、なんだかやけに騒がしい。何かあったのかと、日野は耳を澄ませてみた。突き当たりの部屋に近付くにつれて、耳に届くその声は徐々に鮮明になってきた。


「突然来たかと思えば何ですか。ここは病院であって、宿屋ではありません」

「いいじゃねぇか、おじさん。一部屋くらい空いてるだろ?」

「空いてますけど。騒ぐでしょ、あなたたち」

「ボクは静かにできる」

「ほんとに? 出来なかったら注射しますからね」

「ぎゃああああ注射は嫌だー!」

「おい、ハル。騒ぐなって、うるさいだろうが!」

「グレン、あなたの声もうるさいです!」

「おじさんの声が一番うるせーんだよ!」


 男たちのギャアギャアと言い合う声が、病院の二階に響いていた。この聞こえてきた声と名前は……嫌な予感がしたが、日野は廊下の突き当たりの部屋に近づくと、恐る恐る戸をノックした。


「あの、ザック先生」

「日野さん?」


 日野が声をかけると、男たちの話し声が止まった。同時に、ツカツカと足音がこちらへ近付いて来た。少し待ってみると、ガラリと音を立てて、引き戸が開いた。


「どうぞ、入っても大丈夫ですよ」


 見上げると、ニコニコと微笑んでいるアイザック。そしてその奥には、目つきの悪い男と、深緑色の髪の少年がベッドに並んで座っていた。


「げ。また会った」

「それはこっちのセリフです」

「お姉ちゃん! さっき振りだね〜!」


 あからさまに不機嫌な顔になったグレンを余所に、日野にぶんぶんと手を振るハル。手を振り返すと、ハルが小走りに駆け寄ってきた。


 こっちにおいでと言うように手を引かれ、患者用の丸椅子に座らせられた。日野が座ると、ハルも元いたベッドの上に戻って腰掛ける。その様子をニコニコと眺めながら、アイザックも自身の椅子に座った。


「騒がしくてすみません。日野さんは彼らとは知り合いなんですか?」

「え、ええ。さっき街の中でその子とぶつかっちゃって」

「おやおや。怪我はありませんでしたか? しかし、偶然とはあるものですね。それなら、改めて紹介しましょう。ここにいるのはグレンとハロルド。そしてこちらは、日野憧子さんです」

「ハルって呼んでね、お姉ちゃん」


 向けられた無邪気な笑顔に、日野はぎこちなく笑い返した。今まで家と会社の往復で、毎日同じ人間としか会っていなかったため、客以外で人に紹介されるなんて久し振りだ。なんだか照れくさい。


 日野が、よろしくお願いします、と改めて挨拶をすると、グレンはフンっとそっぽを向き、ハルはニコニコと笑ってくれた。


「彼らとはとある街で知り合ったのですが、宿代が無いから病院に泊めろとうるさくって」


 そう言って、困ったように笑ったアイザックに、日野は首を傾げた。


「宿代って、グレンさん達はこの街の人じゃないんですか?」

「俺たちはこの世界を歩いて回ってるんだ。このおじさんみたいに定住はしない」

「ザック先生がこの街にいることは聞いてたから、泊めてもらおうと思って」

「だーかーらー、ここは宿屋じゃないんです」


 呆れたように、アイザックはため息をついた。しかし、ハルの大きな目がウルウルとアイザックを見つめる。ジットリと見つめ返してみたが……勝てなかった。フゥ、と再び息を吐き立ち上がると、ハルの頭に大きな手を乗せて、ガシガシと撫でた。


「しょうがないですね。まったく。その代わり、夜中に騒いだりしたら謎の液体を注射しますからね」


 アイザックはそう言い、まるで悪戯っ子のような顔をして楽しそうに笑った。宿が決まって一安心したのか、グレンは満足げに欠伸をした。


 そしてその隣で、ハルが思いっきり顔を引きつらせていた。すると、アイザックが突然なにかを思い出したかのようにハッと表情をこわばらせた。


「ああ、そうそう。二階はこの部屋と日野さんが使ってる部屋以外は空き部屋なので、好きに使ってください。キッチンは一階の奥にありますので。トイレは一階、階段の横です」


 言い終わると、回診忘れてました、とアイザックはバタバタと部屋を出て行った。


 嵐が去ったあとのように一瞬静まり返った室内。何やらガリガリと削られるような感覚がして、日野は足元に目をやった。

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