第44話 殺人鬼との約束
シトシトと雨が降る森の中を、黒い馬が駆ける。
赤みがかった髪の子供は目を覚ました。いつの間にか握り締めていた目の前の黒い布から手を離す。
一体どのくらいの時間こうしていたのだろうか……目を擦りながら見上げると、子供と向き合うように馬に乗った男と目が合った。
どうやら先程までギュッと握り締めていたのは男の服だったようだ。
白髪の間から見え隠れする、真っ黒で吸い込まれそうな瞳を見つめていると、男が口を開く。
「やっと目を覚ましたか。もうすぐ着くぞ」
そう言われ子供が振り返ると、馬が走る道の先には、今までに見たこともない巨大な湖があった。
その上に街があるようだが、やけに低い建物ばかりが並んでいる。
子供はまだ覚めきっていない目で不思議そうに見つめていたが、突然ハッとしたように声を出した。
「本が無い!?」
持っていたはずの青い本がなくなっている。バタバタと辺りを探すが見当たらない。
すると、だんだんとハッキリしてきた頭の中に、今までの記憶が蘇ってきた。
人を傷付けながら愉しそうに笑う二人の顔が鮮明に思い出される。
そうだ、瞳の色は違うが……今、目の前にいる男の顔も、髪の色も、あの殺人鬼と同じだ。
「あんた、私のこと殴ったろ! 気絶してる間に本を盗ったな!?」
「盗ってはいない。奪っただけだ」
「一緒だよ! 返して!」
そう言って子供が刻の黒いスーツを掴みブンブンと揺らすと、留めてあったボタンが外れ、血塗れのシャツが露わになった。
雨で滲んだ返り血に、子供が小さく悲鳴を上げる。
殺されることもなく、このまま連れて行かれて、私は一体何をされるのだろう……街の大人達が、行方不明になった路地裏の子供の噂話を楽しそうに話していたのを思い出した。
どこかに売られてしまうのか? もしそうなったら一生奴隷のように使われるのか? それとも、ただ痛めつけるだけの玩具にでもするつもりか?
青い本は奪われ、生まれ変わりたいという願いも叶わず、ずっとこの世界で苦しみ続けるのか……嫌な想像ばかりが頭を駆け巡り、子供は顔を伏せた。
「どうした、寒いのか?」
先程まで威勢が良かった子供が震えていることに気付き、刻が声をかける。
雨に打たれて湿った服が、震える背中に張り付いていた。
子供はそのまま何も答えず、俯いている。
刻は小さく息を吐くと、近付いてきた湖の街を見つめながら言った。
「本について話を聞きたいだけだ。悪いようにはしない」
すると、それを聞いた子供はそっと顔を上げる。
しかし、よほど信じられないのだろう。子供は刻にジッと疑うような眼差しを向けていた。
自分に対して殴る蹴るの暴行を加え、街を丸ごと潰した殺人鬼の言うことだ。
信じろと言う方が難しいか……何とかして警戒心を解かなければと刻は考えた。
いつどうやって本を手に入れたのか、何故本の文字が読めるのか、聞きたいことは沢山ある。
ふむ、と頭を悩ませた刻は子供に提案する。
「街に着いたら貴様が知っている事を全て話せ。その代わり、頼みがあるなら聞いてやる。本を返せと殺して以外で言ってみろ」
「……それ以外なら、なんでも? 絶対? 絶対聞いてくれる? 嘘つかない? ほんと? なんでもいいの?」
意外に食いついてきた。
しかし、やっぱり信じられないというように何度も確認をしてくる。
子供はその提案に唸りながら暫く悩む仕草をした後、パッと刻を見上げた。
「お腹空いた。あと、服が欲しい」
何でも聞いてやると言ったにも関わらず、子供の口から出た頼みはささやかなもので、その言葉に何かを懐かしむような顔をした刻は小さく笑った。
ちょうどその時、二人を乗せた黒い馬が、巨大な湖の前で止まる。
背の低い建物が並び、不思議なことに透き通った水面の下にも街があった。
刻は乱れたスーツを正すと馬から降り、手綱を引きながら街の中へと入っていく。
シトシトと降る雨でいくつもの波紋ができる水面に、二人の姿がゆらゆらと映し出されていた。
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