第43話 涙
壊れた街の中を息を切らしながら走る。
倒れた街路樹や建物を器用に飛び越えながらハルは日野から逃げていた。
「助けるとは言ったけど、ショウちゃんを傷付ける訳にもいかないし、追い回されてたらロープも結べないし……困ったね、アル」
肩に乗ったアルに笑いかけると、アルは小さな手で拳を作り空に掲げた。
チチチと鳴きながら何かを訴えている。
「頑張れって? そうだね、ボクらしかいないんだもんね……逃げてばかりじゃ駄目だよね」
そう言うと、ハルは道端に転がる少年の遺体から、握っていたバットを奪った。
そのまま瓦礫の影に隠れ、アルとアイコンタクトを取ると、日野目掛けてアルが飛び出していく。
クルクルと日野の周りを回りながら注意を引きつけると、ハルを見失った日野はアルを追い始めた。
「女の人を殴るのは気が進まないんだけど……」
バットを見つめて小さく息を吐く。
力の弱い自分でも、相手が女性ならば気絶くらいはさせられるだろうか。足には自信がある。
動く速度ならショウちゃんよりも速いだろう……ハルはバットを握る手に力を込めると、姿勢を低くして瓦礫の間を抜けていった。
素早く日野の後ろへ回り込むと、地面を蹴って飛び上がる。
そして、振りかぶったバットを日野の後頭部目掛けて振り下ろした。
ドカッという鈍い音が辺りに響き、日野の体がふらりと前方へ傾く。
「やった! これで……!?」
しかし、これで動きを止められたと思ったのも束の間、倒れそうな体を捻り、日野がハルの腹部を蹴り飛ばした。
日野は瓦礫の中へ飛んでいったハルに近寄ると、ぐったりとしたハルの胸ぐらを掴み持ち上げる。
もう無理だ……殺される……そう悟ったハルは、体中の痛みに耐えながら日野へ微笑んだ。
すると、目の前の金色の瞳が揺らぎ、日野の目から大粒の涙が溢れ始める。
「ハ……ル……ごめ、ん……ね」
頬を伝う涙が止まらない。日野はハルを掴んでいた手を離した。
ドサリと地面に落とされたハルは、咳き込みながら体勢を整える。
ハルの肩に駆け上ってきたアルがホッとしたようにハルの頬に擦り寄った。
その小さな体を撫でながら、ハルは日野を見据える。
ポロポロと涙を流しながら、日野は固まっていた。
今ならロープで縛ることも出来る……しかし、先程の日野の蹴りが重く、ハルももう立っているだけがやっとで、動くことは出来ないでいた。
「ショウちゃん、元に戻ってよ」
ハルがそうポツリと呟いた時、アルがハルの頬をベシベシと叩き、両手を丸い耳に添える。
耳を澄ませろと言いたいのか……ハルが辺りの音に注意を向けると、遠くから誰かの足音が聞こえてきた。
走っているのか、その音はとても速く、どんどんこちらへ近付いてくる。
「……グレン?」
ハルが音のする方へ目を向けると、壊滅した街の中を白衣の男がこちらへ向かって来ていた。
白衣の男は破壊された建物の間を抜けると、一気に日野の目の前へと距離を詰める。
驚いた日野が反射的に男を引き裂こうと爪を出すが、男はそのまま日野の足を払うと、体勢を崩したその体を組み敷いた。
一瞬のことで何が起きたのか分からずに日野はバタバタと暴れ始める。
しかし、男の力は強かった。
両手で押さえていた日野の手を頭の上で一つにまとめて片手で押さえ直すと、白衣のポケットから注射器を取り出す。
「おやすみなさい」
そう言って、取り出した注射器の針を日野の首筋へと刺した。
日野は一瞬苦しそうな声を上げたが、液体が首筋から体の中にゆっくりと入っていくにつれて暴れていたその力は弱まっていき、日野は眠るように静かに目を閉じた。
白衣の男は日野の様子を観察すると、ゆっくりと立ち上がりハルの方へと近付いていく。
「ザック……先生……」
「よく頑張りましたね」
ニッコリと微笑みながら、アイザックがハルの頭をポンポンと撫でると、その姿に安堵したのか、全身の力が抜けたようにハルはアイザックの腕の中に倒れた。
「ありがと……ボク、死ぬかと思ったよ」
「早死にしたら、アルに怒られますよ」
「そうかな」
力無く笑うハルの頬を撫でながら、アイザックはグレンを探す。
街路樹にもたれ動かないグレンの姿を見つけると、小さく息を吐いた。
「戻りましょう」
◆◆◆
真っ白な馬が引く馬車に、眠った日野とハル、そして意識の無いグレンを乗せて、一つ前の街へと戻る。
ガタガタと揺れる馬車の中でアイザックは三人の容態を看ていた。
すると、アルが心配そうにその間をチョロチョロと動き回っている。
「心配ですか?」
小さな背中に向かって声をかけると、アルが振り返った。
身振り手振りで何かを伝えようとしている。三人を助けて欲しいとお願いしているようだった。
その姿に、アイザックは小さく微笑む。
「大丈夫、私が助けますから。アルも疲れたでしょう、少し休んでください」
そう言って、その小さな体を撫でた。
すやすやと眠りについたアルを撫でながら馬車の窓から見上げた空は、ポタリ、ポタリと涙を流すように、小さな雨粒を落とし始めていた。
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