第4話 巡合い

 病院を出ると、街の中はやけに騒がしかった。昼時だからなのか、たくさんの露店が並び、辺りは買い物客で賑わっていた。


 あちこちを見回して歩いていると、どこからか香ばしい香りが漂ってきた。香りを辿っていくと、焼いた肉を販売している店を見つけた。店からは食欲をそそる香りと共に、白い煙が昇っていた。


「お腹空いたなぁ……」


 日野は腹部を押さえて呟いた。


 病院を出る際、何か食べて来てくださいと、アイザックからお小遣いを貰っていた。見たこともないお金だったが、この世界での通貨らしい。


 本当に何から何まで優し過ぎる人だ。申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、空腹には勝てず、日野は食べたい物を探して露店が並ぶ道を歩き出した。


 フルーツ、中華のようなもの、サンドイッチなど、露店に並ぶたくさんの美味しそうな料理にヨダレが出そうだった。


「食べ物はそんなに変わらないんだ……」


 この世界は、元いた世界と全く違うようで、似たところも多かった。言葉も普通に通じている。何故か字も読める。なんと都合のいい。


 あの青い本を開いた時に激しい頭痛に襲われたが、それが何か脳に影響でもしたのだろうか。そしてここは、やはり異世界なのか……そんなことを考えながら歩いていると、突然何かにぶつかった。


「きゃっ?!」

「わっ?!」


 考え事をしながら街を見るのに夢中で、前をよく見ていなかった。ぶつかった衝撃で日野は後ろによろけてしまい、あいたた、と言って前方に視線を向けた。


 すると、目の前に子供が一人倒れていた。しまった……怪我でもさせていたらどうしよう。焦った日野は、慌てて姿勢を低くして子供へ手を伸ばした。


「ご、ごめんなさい、大丈夫?」

「痛いよ〜、気をつけて」


 そう言って、小さな手が日野の手を掴んだ。そのまま引き寄せて子供を立たせる。


 深緑色の綺麗な髪、顎の辺りまで伸びたそれは、毛先を全て真っ直ぐに切り揃えられていた。


 子供の大きな瞳が、ジッと日野を見つめた。この子……どこかで会ったことがある……そう思った時、子供の後ろから不機嫌そうな顔の男がズカズカと歩いて来た。


「ハル! 危ないから走るなと言っただろうが! 怪我しても俺は医者じゃないんだからな!」

「この街にはザック先生がいるから大丈夫だもん!」


 頬を大きく膨らませ、ハルと呼ばれた子供が、声がした方へと振り返る。目の前には、栗色の髪の目付きの悪い男が立っていた。


 男は、夏の暑い日にも関わらず、真っ黒なロングコートを着ていた。腰に二丁の銃を下げ、背中には大きな黒いリュックを背負っている。こちらを睨む彼の鋭い視線に、ゾクリと鳥肌が立った。


「……ちゃん、お姉ちゃん」


 ハルに呼びかけられ、ハッとする。恐怖でつい固まってしまっていたようだ。ハルは日野が掴んでいる手を、離してと言わんばかりにぶんぶんと振っていた。


「あ、ごめん」


 掴んだままだった手をパッと離すと、ハルがニコリと微笑んだ。無邪気な笑顔が可愛らしい。小学生くらいだろうか? 日野が謝ると、ハルは眉尻を下げた。


「ボクの方こそ、ごめんね」

「ハル、もう走るなよ。あと、ボーッとしながら歩くんじゃないぞ、おばさん」

「おば……私まだ二十七歳です!」

「なんだ、俺と歳変わんねーのか。悪かったよ、おばさん」


 そう言って、クククッと楽しそうに笑い出す目の前の男に何だか無性に腹が立った。日野はふるふると震えながら立ち上がり、キッと男を睨みつけた。


「もー。駄目だよグレン。お姉ちゃんも気にしないで。グレンは口は悪いけど本当は優しいから」


 苦笑して、ハルは困ったように日野を見上げた。そして、グレンと呼ばれた男は悪びれる様子もなく、行くぞとハルに声をかけてサッサと歩いて行ってしまった。


「ごめんね、お姉ちゃん。また会おうね」


 ハルは再びニコリと笑うと、ぶんぶんと手を振りながらグレンを追って行った。可愛い子だな、と思いながら日野は手を振り返した。しかし、先程の事が思い返されムカムカとした気持ちが収まらない。


 グレン……なんて失礼な男だ。おばさんではない。二十七歳、独身だ。遠ざかっていく彼の背中に向けて、心の中でそう叫んだ。


 グレンとハルが見えなくなった後、日野はしばらく街中を散策した。途中、手軽に食べられるということでサンドイッチを一つ購入し、軽くお腹を満たした。


 あちこち歩いては、街行く人に自分が今まで住んでいた土地の名前や、青い本について尋ねてみた。しかし、みな一様に首を横に振った。


 なんの手掛かりもない。家もない。お金もない。不安が募る。しかし、不思議と元の世界に帰りたいとは思えなかった。


 日野は歩き回って疲れた足を少し揉むと、病院へ、一度ザック先生のところへ帰ってみようと、今まで歩いてきた道をゆっくりと引き返した。

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