第24話 マセガキ

 それは三人と一匹が新しい街に着く少し前のことだった。


 蒸し暑い森の中、グレンは後ろを気にしながら歩いていた。


 日野とハルが手を繋いで仲良く後をついてきている。チラリと日野の顔を見ると、先程の出来事が頭の中によみがえってきた。




◆◆◆




 水汲みくらいなら大丈夫だろうと思った。


 しかし、嫌な予感がして小川の方へ目を向けると、そこには刻の姿があった。


 日野は動けないのか、その場に座ったまま微動だにしない。


 日野が……殺される……!


 腰に下げた銃を手にすると、グレンは走り出した。ハルも刻に気付き、小川へ向かって走り出す。


 刻は日野へ近付き、その頬に手を当てている。不用意に撃てば日野を傷付けてしまうだろう。


 グレンは威嚇のため空に向かって発砲した。鳥たちが音に驚き飛び去っていく。


「その女から離れろ」


 いつも以上に低く響いたその声に気付き、日野がグレンへ視線を向ける。


 日野の小さな身体はカタカタと震えていた。


 そして、再び刻を目の前にしたハルは、今にも飛びかかりそうなほどに殺気立っている。


 しかし、このままハルが飛び出しても一瞬で刻に殺されるだろう。


 ハルを落ち着かせ、日野を守りながらでは戦えない。グレンは銃口を刻に向けるだけで、手が出せなかった。


 その様子を見て、目の前で鮮やかな金色へと変わっていく瞳が、ニタリと愉しげに笑った。それと同時に、刻の爪が長く鋭く変化していく。


 ゾクリと背筋に冷たいものが走り、短い日野との記憶が頭の中を駆け巡った。


 また、大切な人が殺される……引き裂かれる日野、飛び散る血液、泣き叫び刻に飛びかかるハル……最悪の状況が頭を過ぎる。


 グレンが引き金を引こうとしたその時、刻が口笛を吹き、森の中から黒い馬が現れた。


 刻は日野の頬に添えていた手を離し、馬に乗る。すると、ハルが一歩前へ出た。


「逃げる気なの? ボク、ずっと探してたんだよ」

「逃げはしないさ。復讐したければ殺しに来い。それにこの女、この世界の人間ではないだろう」


 いずれまた会うことになる。そう言い残すと、刻は黒い馬に乗って森の中へと消えていった。


 日野がこの世界の人間ではないと、何故わかった?


 いずれまた会うことになるというのは、自分やハルではなく、日野に向けた言葉のように感じた。


 刻の気配が消えたあと日野へ目を向けると、ガタガタと震え続ける身体を両手で押さえていた。


 刻の気分次第では、守りきれなかったかもしれない。何も知らない世界で、日野は命を落とすことになったかもしれない。


 水汲みくらいならと目を離してしまった少し前の自分と、何も出来なかった今の自分に怒りが込み上げる。


「馬鹿野郎! 何かあったら声をあげろって言っただろうが!」


 怒りにまかせて怒鳴ったグレンの声に日野の身体が揺れ、震える声で謝ってきた。


 しまった。怖がらせてしまった……怯えたような顔でこちらを見る日野を、とにかく落ち着かせようと強く抱き締めた。


 幸い、どこも傷付けられてはいないようだ。


 怪我が無くてよかったとハルが笑う。


 その声と笑顔にも安心したのか、日野の震えは徐々におさまっていった。


 しかし震えがおさまっても何故か離す気になれず、その小さく柔らかい身体をそのまま抱き締めていると、ふいにハルがニッコリと笑いかけてきた。


「女の子はもう少し優しく抱き締めなきゃダメだよ」


 その言葉に、グレンはハッとして日野から手を離す。


 顔が熱くなっていくのを感じ、ハルの方へ視線を向けると、その顔は新しいおもちゃでも見つけたかのようにニヤニヤと楽しげに笑っていた。


 ……この、マセガキが!


 心の中でそう叫ぶと、グレンは再び日野へ視線を移す。


 怒鳴られた事に相当へこんでいるようで、グレンに抱き締められたことに関しては何も気にしていない様子だ。


 こいつ、男に突然抱き締められて何も思わないのか? 嫌だとか、恥ずかしいとか……。


 いや、いやいや気にしないでくれた方がいい。


 その方がいいのだが……なんだかモヤモヤしながら、ハルから手渡されたボトルに水を汲んだ。




◆◆◆




 森の中を歩きながら、よみがえってくる先程の記憶。


 腕の中の柔らかな感触を思い出し頬が赤くなると同時に、ハルのニヤついた顔を思い出して何だか腹が立ってきた。


 このマセガキが誰に似たのかはよく分かっている。


 しかし、怒りに任せて日野に怒鳴ってしまったのは悪かったな……そう思うと、グレンは足を止め振り返る。


 日野とハルがどうしたのかというような顔でこちらを見て、立ち止まった。


「……おい」

「ショウコ、って言ってるよ」

「あ、はい」

「……さっきは怒鳴って悪かったな」

「さっきは抱き締めて……うぐっ」


 おかしな通訳を始めたハルの口を慌てて塞ぐ。バタバタと暴れるハルの動きを押さえていると、日野が口を開いた。


「大丈夫だよ、ありがとうグレン。こちらこそ、ごめんなさい。次からは、ちゃんと呼ぶから」

「ああ。なるべく俺かハルから離れるな」


 わかった、と申し訳なさそうに日野は笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る