第32話 ハリボテの街

「美味しい」


 先程から口癖のように何度もそう呟く日野は、箸で摘んだ野菜たちを口に運ぶと、キラキラと目を輝かせる。


 日野が眠っている間にグレンが作ったのは、野菜やきのこがたっぷりと入った鍋だった。


 まだ痛みの残る頬でも、しっかりと煮込まれて柔らかくしてあるお陰でとても食べやすい。


 空調のせいで少し肌寒いくらいの室内だったが、ポカポカと身体が温まっていった。


 しかし、よく食べる男が三人もいると、鍋の中身はどんどんと減っていく。


「食べ終わったら雑炊にするぞ」

「本当!?」

「ボクも食べたい!」


 そう言って日野とハルが目を輝かせた。


 ハルの隣ではアイザックがチビチビとお酒を飲みながら美味しそうに鍋を摘んでいる。


 まさか、この世界で鍋を食べられるなんて思っていなかった。


 今まで、スーパーによく売られているような、コンロで火をかけるだけの簡単鍋セットくらいしか食べたことがなかった。


 鍋をみんなで囲んで食べるというのはこんなに楽しいものなのか……その上、グレンの作った鍋は思わずうっとりしてしまう程に美味しい。


 口に運んだ野菜を味わいながら、しみじみとそんなことを考えていると、隣に座るグレンが腫れの残る頬をジッと見つめてきた。


「お前、あの場所で何があった?」


 そう静かに問いかけたグレンに、日野は自身に起こった出来事を思い出しながら一つ一つ話し始めた。






「頭痛……ですか。視界が霞んでいく程なら、相当な痛みの筈ですが、今は大丈夫なんですか?」

「はい。何ともないです」


 日野がそう答えると、アイザックは顎に手を当て考え込むように俯いた。


「それで? 本には何が書いてあったか読めたのか?」

「ううん、私は読めなかった。ただ、あの子は一箇所だけ読めるところがあるって」

「それ……ショウちゃん聞いたの?」

「うん、聞いたと思う。でも、あんまり覚えてないんだ」

「何でもいいんだ。本の内容で、何か覚えてることはない?」


 ハルがテーブルに乗り出し、その大きな瞳で日野を見つめる。


 日野は、本の内容を読み上げる子供の姿を思い浮かべるが、何と言っていたのかまでは思い出せない。目を瞑り、記憶を手繰り寄せる。


 すると、子供が本を読み上げた時の最後の言葉が、ふと記憶に蘇った。


「確か……転生する方法……」


 日野が呟いた瞬間、男三人が目を見合わせる。


 どうしたのかと三人の顔を交互に見ていると、アイザックが自分の皿に鍋を取り分けながら口を開いた。


「生まれ変われるかもしれない。違う世界で、もっといい人生を。その子がそう言ったそうですよ」

「ボクがアルから聞いた本の内容とは違うみたいだから、アルが読めたところとは別のページなんだと思う」

「まあ、こんなハリボテの街に生まれたらそう考えるのも無理ないかもな」

「ハリボテって……どういう……」


 三人の会話に日野が首を傾げていると、アイザックがゆっくりと話し出した。


 この街は外見は綺麗で明るく大きな街だが、それを創り上げるために犠牲になっていった者達がいたらしい。


 大きな病院を造り医療が発展し、さまざまな施設が人々の生活を支えたが、その病院や施設を造るために土地を奪われた者や、高額な医療費を払えず亡くなっていく者が続出した。


 やがて金持ちだけが集まる街となり、お金を持たない者や金持ち相手に商売が出来なかった者が次々と街を出て行った。


 その中には、子供を捨てて出て行く親もいたという。


「路地裏には、様々な事情で捨てられた子供達が今でも生活しています。ですが、この街はお金が全てです。お金のないその子達を救う施設もなければ、まともな教育や医療を受けられる制度もありません。日野さんを殴った男達も、親から捨てられ、路地裏で育ったそうです」

「そんな……じゃあ、あの子も……」

「捨てられたんだろうな」


 苛立たしげにそう言うと、ガタッと音を立ててグレンが立ち上がった。


 鍋を掴み、キッチンへ向かう。暫くその背中を見つめていたアイザックが日野へ視線を移した。


「青い本、もしそれが日野さんを引き寄せたのなら、近いうちにまた現れるでしょう。しかし、あまり近付かない方が良いかもしれませんね」

「そうですね……また倒れて迷惑かけちゃいけませんし」

「いえ、身体の心配もありますが……覚醒する可能性があるからです。刻のように」


 その言葉に、サッと血の気が引いた。


 異なる世界を行き来する者は、その眼が金色に染まり、全てを破壊する力を手に入れる……目の前で変化していった金色の瞳に、長く鋭く尖った爪……ニタリと笑う刻の姿を思い出し、身体が小刻みに震え始める。


 その時、ゴトっという音と共に、テーブルの真ん中に再び鍋が置かれた。


「あんまり怖がらせるなよ、おじさん」

「すみません。つい……」

「あ、雑炊になってる!」


 苦笑しながら謝るアイザックの隣で、ハルが目を輝かせて鍋の匂いをクンクンと嗅いでいる。


 グレンは小皿に雑炊を取り分けると、その中の一つを日野へ手渡した。


「気になるだろうが、今日はしっかり食ってゆっくり休め、怪我人」

「怪我人って……でも、ありがとう」


 そう言って微笑む日野に、フンっとそっぽを向いたグレンを見て、ハルがニヤリと笑った。


「そういえばグレン、あの時、俺の女の顔に傷つけやがって……とか言ってたよね。ボク、びっくりしちゃった」

「え? グレン、あなたそんなこと言ったんですか!?」

「言ってねえよ! 勝手に尾ひれを付けるんじゃねぇ!」


 さっさと食え! と怒るグレンの声と、ハルとアイザックの笑い声が響く。


 不安も吹き飛ばされてしまいそうなくらい、わいわいと騒がしくなった部屋の中で、日野はグレンから受け取った温かい雑炊を、ゆっくりと味わった。

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