第10話

龍爪と別れて三分後。未だ現はカラスを追って走っていた。

「……あのカラス、いつまで飛んでいるんだ」

 現の問いに答えるはずもなくカラスは飛び続ける。幸いなのはカラスがあまり速くないことと、今はまだ地続きの場所を飛んでいることだ。もし中央の吹き抜けを飛ばれたりしたら追跡は絶望的になる。

 しつこく追い続けること五分、カラスの逃亡劇はようやく終了した。しかしカラスはそれが逃亡劇ではなく、誘導だったことを知らせる。

 辿り着いたのは四方を壁に囲まれた幼児向けの玩具売り場だった。カラフルなはずの場所だが今は闇に覆われて色を失っている。ところどころに投げ捨てられた着せ替え人形は何故かどれも裸にされており、黒いインクと粘度の高い液体でベタベタになっていた。

 ガァァ、と鳴いてカラスは男の肩に留まった。男は立ち上がると、

「……ご苦労」

 カラスを握り潰した。しかしその手から血肉は溢れず、最初から何もなかったように手を開いた。

 男の姿はここに来てから何度も見てきた。巨躯を覆う黒いコート、埃がついた背まで伸びる黒髪。やはり覗けないその目は前髪で隠れていた。その額に銃弾をぶち込み、胸に風穴を開け、武器を奪い取って真っ二つにした。もう何度も殺したはずの男が悠然と目の前に立っていた。

「殻例夜唯々だな」

 上擦りそうになる声を必死に堪えて問う。目の前の男の発する圧で現の心拍数は更に上がった。

「……そうだ。………………お前が……孤衣無、現か……」

 地獄から響く声で名前を呼ばれるだけで心臓が飛び跳ねる。自分を狙う敵と対峙しているのだから当然と言えば当然だ。亜楽恋思と戦うと決めた時も今と似た緊張感と恐怖が身を包んでいた。

 しかし命を狙われただけだったあの時とはもう違う。狙う側があっちだけだと誰が言った。

「そうだ。管理局員無能の孤衣無現だ。クラレント守護騎士・殻例夜唯々、投降しろ。さもないと、」

 現は一度息を吸い込み、

「分身と同じことになる」

 命を奪う鉄の口の先を殻例夜に向けた。もうその目に迷いはなく、恐怖もない。

殻例夜はそんな現の目を見て、

「馬鹿が」

 と。一言だけ言った。

「……何だと? どういう意味だ」

 虚だったら絶対キレてるな、と思いながら現は冷静を努めた。それでも馬鹿呼ばわりがよほど腹に立ったのか、眉がぴくぴく痙攣している。

殻例夜はそんな現の様子に気づく様子もなく言葉を続ける。

「カラスは……お前と、彼岸花がいた場所にいたカラスは……わざと、気づくよう、に、していた……。気づかせて……お前ならば、絶対に追うだろうと……推測し……お前は……私の予想通りに、動いて……くれた……」

「確かに追ってきたけど、馬鹿なのはお前じゃないか? わざわざ自分の居場所に誘導するなんてな」

「だから……お前は、馬鹿だ。我が王が……私に……授けてくださった、力を、知らない……わけが、ないだろうに。加えて、この場所……私の異能、ベロニカは、」

「暗闇が深ければ深いほど分身を生み出せる、か?」

 現が奪ったセリフに、わずかに、ほんのわずかに殻例夜は目を見開く。それを感じ取った現は得意げに笑みを浮かべた。

「龍爪の話を聞く限り、ここは『以前よりも暗く』なって、獣は『以前よりも増した』。だったら、暗さと分身の数は比例すると考えるのが自然だろう? 天井にブルーシートを被せてまで光を閉ざしてるんだ、暗さに何かあると見るのは当然だ」

 それと、と現は続けてポケットに手を伸ばしてある物を取り出した。

「前言撤回、お前は馬鹿じゃなくて無脳だよ殻例夜。僕が無策でお前を相手にすると思ってるのか?」

 僕は無能なんだよ。

 現のその言葉だけは暗闇に馴染むように静かに響いた。

 ポケットから取り出したのは白いピルケースだ。蓋を開けて現は中から蜂蜜色の錠剤を摘み上げる。

「薬……?」

「ああ、異能都市の中でもとびきりの異能抽出品の一つだ。失敗作らしいけどな。この薬の名称は異能抽出薬。その効果は、」

 何かマズい気がする、と殻例夜が疑念を抱いた時にはもう遅かった。

「人の異能を使用することができる、だ!」

 現は錠剤を噛み砕いた。

  ・

 異能抽出薬とは異能抽出品の一つとして作られた失敗作である。本来ならば世紀の発明となるはずだったそれは、一時的に使用者を他人の異能を使用可能な状態にする。

 異能抽出品は異能者の血液と細胞を利用し作られる製品のことだ。もちろんモデルになった異能者に害はない。誰でも使うことができる代わりにオリジナルに比べてかなり性能が落ちる。逆にそれを利用して炎熱系の異能はライターの抽出品に、言わずもがな回復系の異能は包帯の抽出品になっている。

 二つの製造方法は同じだが、誰でも使用可能な異能抽出品に対し異能抽出薬は使用者を選ぶ。

 異能者は異能抽出薬を使えなかったのだ。投与された異能者にはまず身体に激痛が生じ、次に脳が耐えきれず、例外なく異能を失い自我が崩壊した。異能研究が始まって以来の悲願、二重異能者の夢は崩れさった。

 だがその研究は別の考えに辿り着く。

 異能者が二つ異能を持てないのならば、ただの人間は?

 異能に目覚めていない、ただの人間なら使えるのでは?

 だがそんな人間はいるはずもなく、世界を揺るがすはずだった計画は今度こそ頓挫した。

 大量に余ったサンプルはモデルとなった、とある異能者のもとに送られた。その異能者は異能都市の運営側の人間だった。誰にも使えない、薬の形をしたただの劇薬。そんなものがあっても、処分に困り果てるだけだった。

 しかし偶然、世界で唯一と思われる異能を持たない、無能の少年が現れた。

 あの面倒臭がり三十代こと、守桜隠身の話だとそういうことだった。限られた人しか知らない機密情報、かつまだ安全性未確認の危険な代物なので非常事態以外なるべく使わないように、とは言われたが、今こそその非常事態だ。

 そして、異能抽出薬は今現の手のひらにある。しかしそれは汗ばんだ手から滑り落ちる。

 カラン、とケースが音を立てた後に響いたのは、

「グ、ガああアアあぁぁぁぁぁぁぁァァァアアアッッッッッ!!!!!!!」

 激痛に耐え切れず漏れた現の絶叫だった。

(何でっ!? 守桜さんの話だったら副作用が出るのは異能者だけのはずなのに!!)

 異能者が異能抽出薬を使用して激痛が生じるのは、脳より先にまず身体が二つの異能の負荷に耐え切れないからだ。それはつまり、もともと異能が目覚めていないものにはすんなり異能が馴染むはずなのだが。そんな仮説を嘲笑うかのように現の身体は身を裂かれる痛みに襲われた。

「アアアぁぁぁあ!!!」

 立っていることも叶わず床に崩れ落ちる。口を閉じることもできず、唾液が溢れて床を濡らした。そうでなくとも湧き出る脂汗が床にこぼれ落ちる。

 殻例夜からすれば、これは絶好のチャンスだった。崇拝する王から賜った任務をこれ以上ないほど楽にこなすことができる。というよりもはや手を下さずとも自滅してくれそうな勢いだ。

(我が王は仰った……『王が生きる世界に汚れがあってはならない。無能なる存在は汚点そのものである』と。……王のために、殺すことばかり、考えていたが……なるほど……)

「確かに……これは、醜い」

 生命に喰らいつこうともがく様。

 唾液を撒き散らし、苦痛に顔を歪め、額に脂汗を浮かべ、必死に胸を押さえようと、決して消えない生きる意思が宿る瞳。

「王が、ご覧になっていいものでは……ない……」

 ゆっくりと手を上げて己の異能の名前を呟く。

「ベロニカ」

 生み出されたのは獣ではなく、黒い刀身の太刀だ。掌の半分ほどの太さ、殻例夜の背丈と同等の長さを持つ巨刀だ。

 確実にとどめを刺すため、未だに苦しみもがく無能に歩みを進めたその時。

 バチン、と。静電気が発生したような音が響いた。

 バチン、バチンと連続する音が響くのは背後からではない。右でも左でも、上でも下でも。前から、響いているのだ。

 気づけばこの場は既に暗闇ではなくなっていた。無能のはずの少年から鮮やかな新緑色の光が発せられている。光はやがて、彼自身を包み込みその範囲を少年の周辺に広げる。

 無能だったはずの少年はゆっくりと立ち上がる。

 苦痛に支配されていた顔には大胆不敵な笑みが浮かべられていた。

  ・

『メンドくせぇけど、一応俺の異能について教えとく。俺の異能はソメイヨシノ。周辺に静電気を生み出すだけのくそくだらねぇ異能だ。ガキのイタズラ程度にしか使えねぇ。ただ、それは俺が使った時の話だ。俺の才能がないからこの程度の異能なわけで。逆に言やァ、才能がある奴が使ったらもうちょいマシになるかもな?』

 そして、現には才能があった。そういう話なのだろう。

 激痛から解放された頭には爽やかなそよ風に肌を撫でられたような快感が流れ込んでいる。長年の悩みが解決したかのような、清々しさを覚える。さっきまでが嘘だったように思考はクリーン。

 やるべきことはわかっている。

「お前を倒す」

 瞬間、殻例夜は漆黒のコートを脱ぎ捨てた。コートの下は管理局で見た姿と同じ、何色もの絵の具に汚れボロボロになったシャツだった。一瞬だけ見えた服の下の腹筋は、現が想像した一般的な美大生とは異なる逞しいものだった。

 殻例夜が駆ける。その図体からは考えられないスピードで接近する殻例夜だがしかし、仮初めの異能に目覚めた現もただでやられるわけにはいかない。前傾になり地を這うように前に出ると、人間がいなくなって久しい床から埃が舞い上がった。舞い上げられた埃は空中を彷徨い、やがて互いに触れ合う。

「ソメイヨシノ」

 バチンと音が響くと何もない空中から殻例夜に雷撃が走った。

咄嗟に黒刀で弾く。なんとか防ぐことはできたが、その刀身は焦げ付きひび割れていた。舌打ちして虚無に手を伸ばし、すぐに同じ一品を掴み取る。

「……」

 攻めあぐねたように、間合いを図るようにじりじり滲みよる殻例夜に現が語りかける。

「僕も詳しくは知らないけど、雷は実は静電気の一種らしい。当然、普段僕たちが感じてるものとは別格だけどな。まあ要は威力が違うだけで理屈は同じってことだ」

「……」

「ハッ、だから? って思うよな。まあ要はな、今の僕なら」

 現は殻例夜を指差し、

「雷寄りの静電気なら生み出せる」

 それと同時に殻例夜はその場を跳躍して離れる。光は一瞬にして殻例夜がいた場所に雷撃を落とす。コンクリートであるにも関わらず床についた黒い煤が雷撃の威力を物語っていた。

 チッ、と軽く舌打ちすると殻例夜は床に手をつき黒い獣を産み出す。分身達のような図体では自分の身動きも制限される。そこを強大な雷撃で貫かれればひとたまりもない。

 狼、鰐、鷹、虎、猿、熊、蛇、猪、鷲、大小様々、形も違う黒い獣たちに共通するのはその瞳に宿した殺意か。

 自身の安否など気にもせず間合いに踏み込んできた狼に雷撃を浴びせる。プスプスと焦げた音が聞こえると、本格的に獣たちは攻勢に出た。まさか偽の獣に敵討ちという感情があるわけでもあるまいに。

 あるとすれば王とやらに対する忠誠心だろうな、と現は思った。

 以前の亜楽恋思もそうだったが、この殻例夜もなかなか頭がイカれている。人はそう簡単に他人のために行動できる生物ではない。ましてや、打算抜きで他人のためだけに動ける人間など皆無に等しい。

 では例外ばかりが集まってできたのがクラレントなのか? これは否だ。一人の異能者のためだけに、数百人、下手をすれば数千人単位の人間が命を投げ出して戦うなんてことがあるわけがない。しかし、実際に起きている。

「人間にできないなら人間をやめればいいってだけの話だよな」

 ここは異能都市。異能と名がつく所以を知らない者はいない。

「っ!」

 思考の沼にハマりかけていた現を生命の危機が引き戻す。現の身長を軽く超す大熊は大きくふりかぶりその強靭な爪を現に振りかかっていた。

「ふっ!」

 それを間一髪で避け、熊の懐に踏み込む。右手に握り直した愛銃が火を吹いて黒い獣の命を刈り取った。しかし安堵も一瞬だけで、一仕事終えた現の背中に虎が飛びかかる。回避が間に合わないことを察知した現は舌打ちして、

「オォォ!!」

 瞳から光の消えた巨熊を虎に背負い投げした。数倍の体重にのし掛かられては耐えることができず、虎は絶命した。普段ならば持ち上げることすら不可能だが、筋肉に電気刺激を送り活性化させることで何とか成功した荒技だ。

 得たばかりの異能で肉体に干渉する行為は、いかに異能と相性が良かったとしても難しい。ましてやそれが仮初めの異能ならば。最悪、全身に重火傷を負っていたところだった。しかしやらなければ殺されていた。そんな危険な橋を渡らなければならないほど、現は追い詰められていた。殻例夜にはなんとか気づかれまいと、牽制の言葉を放つ。

「どうした殻例夜、お得意の分身は出さないのか?」

 現の言葉に殻例夜はやや眉を寄せたが、平静を保つよう心がけたのが見て取れる。

 殻例夜のベロニカはどこでも自分に従順な獣を生み出す、一見使い勝手の良い異能だ。しかしその制約として獣は暗闇からしか生み出せない。

 常にソメイヨシノによる雷撃で暗闇を打ち消し現は敵の数を制限していた。

(確かにこの獣の数は脅威だけど無限に生み出せるわけじゃない。ましてや普段に比べて明るい場所だ、限界は近い。はず、なんだが……)

 殻例夜の獣は最初に比べればだいぶ減った。しかしそれを全て相手にするとなれば話は別だった。

 現だけではなく殻例夜も無理をしていた。それはこの戦いが決して負けるわけにはいかない戦いだったからだ。仕方ない、と口の中で呟いて現は叫ぶ。

「殻例夜! お前が仕える王っていうのは、一体どれだけ人気のない独りよがりな低脳独裁王なんだろうな! なにせお前みたいな陰湿根暗無脳野郎を使うんだからな、よっぽど信者不足なんだろ!」

 殻例夜唯々は自分の全てを投げ打って、ようやく王に近づいた。

 暗闇に輝く新星という名のもと高校で個展を開き、描いた絵には百万を超える値がついた。個展は大盛況だったし、あらゆる芸術家が絶賛した。

 いわく、『完成された美』と。

 しかし何かが足りない、と殻例夜は描く作品全てに共通して思っていた。純粋な技術か、芸術に対する情熱か、はたまたここまできて才能か。それが何なのかは当時の殻例夜にはわからなかった。

 美術大学からの一人の帰り道、彼は出会った。

 たった一人の、傲慢にして孤高な王。圧倒的な力で周りを蹴散らしながら進む姿はまるで暴風雨。しかしその顔に焦りも快楽も憤怒も、およそ人の測れる感情は無い。

 金糸雀色の瞳が映しているのは周囲の雑魚ではない。人としてのステージが一段も二段も、その数倍も違うことがわかるからこそ、覇者の双眸が捉えるものはわからなかった。

 瞬間、殻例夜は涕泣した。ボロボロと感動がこぼれ落ちた。

彼は知ったのだ。自分に足りないのは『真に描きたい何か』だと。

そしてそれは、目の前の存在だった。

 クラレントの中でも一番の忠誠心でこの地位まで登り詰めた彼が王への侮辱を許すはずがなかった。

「孤衣無現ゥゥゥゥゥウウッッ!!!! 貴様我が王を愚弄したかァァァア!!!」

 鼓膜を裂くような絶叫。さっきまでの無口が嘘のようだが、それは紛れもない殻例夜の声だった。

 額に何本もの青筋を浮かべて殻例夜が床を駆ける。彼はもはや自分の身を案じていない。ただただ、目の前の不純物を処理するためだけに身体を動かしていた。

 殻例夜の長刀の一閃をすんでのところで躱す。しかし間髪入れない猿の突進を避けることはできず、勢いあまって猿もろとも床を二転三転してようやく止まった。

 捨身の猛攻は狂気を纏う。狂気は捕らえた者を諸刃の剣に変質させ、無能の少年の動きを止めるため合理的判断を下す。

すぐさま体勢を整え直した現を襲ったのは何羽ものカラスだ。カラスは研ぎ澄まされた嘴を堅く閉じ、歩兵部隊を迎撃する弓矢の如く特攻する。

「ソメイヨシノ!!」

 指を伸ばしたその先に雷撃が走る。指先のカラス三羽がプスプスと音を立てて墜落するが、二羽は勢いそのまま現の左脚に突き刺さった。

「ぐぅっ!」

 痛みに耐え切れず口から声が漏れる。

機動力を失った獲物を逃す獣はいない。現を飲み込むべく鰐が大きく顎を広げる。

「っ!」

 が、しかし。

すんでのところで鰐の自慢の顎門は白い獣に横から食いちぎられた。

「……?」

 仲間割れか、と思ったが違う。殻例夜がこのタイミングで獣の操作をミスするはずがないし、何よりこの獣の毛並みは白い。よく見ればこの獣には見覚えがあった。そう、地神を除いた局員で手合わせをした時だったはずだ。純白の毛並みを持つ獣は四本の脚を器用に折り、主人をその背中から下ろした。

「あぁ、なんとか間に合ったみたいだね」

 かけられた声は暖かく、現の無事を喜ぶ声だった。動きに沿って揺れる黒髪は眼鏡にかかっていた。

「心月……さん?」

 うん、と頷く心月の後ろからくすんだ金髪頭がひょこっと顔を出す。白い獣の背を下りる危なっかしい姿は雛菊一だった。

「う、現先輩大丈夫っスか……ってうわ、脚酷いっスね。よければオレの肩に掴まってくださいっス」

「あ、あぁありがとう……待ってくれ、二人はどうしてここに? 分身はどうしたんだ?」

「現先輩、落ち着いて下さいっス。らしくないっスよ」

 雛菊に指摘されようやく自分が取り乱していることに気づく。戦闘で息も上がっていたし、左脚の痛みでハイになっていたことを冷静になりつつある頭で認識した。

「あ、オレなんかがらしくないって、烏滸がましいっスよね……すんません」

 何もしてないのに勝手に自虐を始める雛菊を見て現は何故か安心感を覚えた。

「で、なんでここに来れたんだ?」

 あの龍爪でさえ手を焼いた殻例夜の分身。その大群を心月(正確には雛菊も一緒だが現よりも弱いとなるともはや戦力としては数えがたい)だけで突破できたとは思えない。

「心月先輩と、もう一人の活躍っスよ。まあ、ご察しの通りオレは何もできなかったんスけど……」

 ハハ、と力なく笑う雛菊に代わって心月が口を開く。

「前にも見たと思うけど一応説明しておくと、この虎とも狼とも馬ともなんとも形容しがたい動物はぼくの異能アルメリアさ」

 名前を呼ばれた白い動物はブフンッ、と鳴くと心月に身体を擦り寄せた。馬の蹄が尖ったような特徴的な足先の爪、馬よりはシャープでしかし虎のように逞しい脚と胴体、狼のように獲物を喰らうことに特化した顔周り。尻尾はトカゲのように太く筋肉質だが、一方で猫のようにゆるやかに曲がり、少しでも主人の気をひこうと心月の腰に絡ませていた。

「よしよし、いい子だ。……この通り、悪い子ではないから、仲良くしてくれると嬉しいな」

 まあ、と振り返って眼鏡の奥の灰色の瞳が敵を捉える。

「君みたいな輩がいたら咬み殺すようにしつけてあるんだ。でも今なら特別大サービスで手を上げて跪くだけでこの子は許してくれるみたいだよ。どうする?」

「……」

 動かなかったのは新たな敵の力を見定めるためか。はたまたこの土壇場で救援が来たことに対する動揺か。殻例夜は異能者の敵を双眸に見据えて静かに口を開く。

「いいだろう……同じ、獣使いとして…………慈悲だ。最期は、獣に……喰らわせてやろう」

 光を失った空間に何十匹もの獣が音もなく現れる。鋭く尖った牙、砥がれた爪、皮膚を食い破るように浮き出る筋肉。無数の獣のそれが三人に向けられる。

「ひっ……」

 現と雛菊は思わず息を飲んだが、心月だけは余裕の表情を崩さなかった。

「じゃれるのは好きだけど、食べられるのはどうも。カニバリズム思考は欠片もないんでね。それに、戦うのは僕じゃない」

「……何?」

 眉を潜める殻例夜の首に細い茎で編まれた首輪がかけられる。

「っ!?」

 咄嗟に身をかがめ、なんとか首吊りを免れる。その隙に足に絡みついた蔦に引っ張られ、その場でこけそうになるのを長刀を振り回して断ち切る。

「この、異能は……!」

 見覚えがある、なんてものではなかった。不意打ちだからこそ撃退できた、正面勝負すれば厄介極まりない異能。忘れるはずもない。

 殻例夜の背後からカツカツとハイヒールの響く音が聞こえた。

 そこにいたのは、まだ年端もいかない幼女のような少女。少女と断じられたのはその顔立ちだ。成熟した大人へ向かう、整った顔のパーツ。淡雪のように白い肌、その身を彩るは奇しくも暗闇と同じ色のワンピース。

「さて、こんな土壇場ではあるけど、ここでリベンジマッチの開演だ。後ろを見ろ、守護騎士よ。彼岸花が地獄に招いてるぞ」

 漆黒の髪に添えられた髪飾りは、暗闇で孤高に咲く彼岸花。

「我らが紅お嬢のご登場だ」

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