第26話

雷が直撃した人を見たことがあるだろうか。

 一説によると雷の温度は太陽の数倍とまで言われている。一瞬にも満たない間だからこそ周囲への影響は少ないが、直撃した場合には対象を容易に丸焦げにする。

 一歩間違えれば、否、本の少しでも間違えて当たってしまえばいとも容易く人の命を奪えてしまう。それが守桜隠身の異能だ。

 守桜は間違いなく殺すつもりで雷を放った。にも関わらず、心月が立っているのは何故か。

(答えは雷そのものを消滅したから。反応できる速度じゃなかったはずだが……流石に今のは予備動作がわかりやすすぎたか)

「面倒くせぇ」

 そう言うと、守桜は後頭部をかいた。

「お、おい」

 その後ろで震える身体を制して虚が口を開く。

「守桜サン……だよな…………?」

 虚の問いかけに、守桜はただ顔だけ振り向くことで答えた。

「…………っ」

 その時虚が見たのは、頼りない三十路の物憂げな顔ではなく。溢れ出す怒りを隠そうともしない雷神の姿だった。

「孤衣無兄」

 気づいた時には守桜は前を向いていた。

「弟と雛菊を連れてさっさと逃げろ。こっから先は俺の仕事だ」

 仕事をサボるのは当然、なんなら人に押し付けまでする守桜が自分の仕事だと言い切った。そして、もう二度と振り向く気配すら感じない後ろ姿。

 虚はそれを覚悟と取り、悲鳴をあげる身体に鞭を打って現と雛菊を抱きかかえた。

「死ぬなよ、守桜サン」

 答えるよりも前に、駆け出す音が聞こえた。少しずつ音は遠ざかり、やがて完全に消えたところで守桜は顔を上げた。

「いいぜ、いいぜェ……? 壁は多けりゃ多いほど乗り越えた達成感が倍増するからなァ。まあ、壁にしりゃ低すぎるみてェだがな。やっとやる気になったか? 守桜」

 目の前には怨敵、心月平理。仲間を裏切り、自身の恋人である地神稲荷と異能都市最強の一角天将帝を殺害した、最悪最強の殺人鬼。そんな彼を前にして守桜隠身は。

「……ふぅ〜」

 一服を始めた。

「…………あ?」

 よりわかりやすく言うなら、タバコを吸い始めた。

「舐めてんじゃねェぞ……テメェみてえな雑魚がこの俺の前で一服だァ……?」

 ゆっくり、ゆっくりと息を吸うとタバコの先端が赤みを帯びる。肺の奥底までたっぷりと煙を行き渡らせると、

「ふぅ〜〜〜」

 やや上を向きながら白い息を吐き出した。

「ふ、ざ、けん、じゃねェぞァッ!!!!」

 ゴム質になったアスファルトが心月を弾き出す。心月は最短距離で守桜と距離を詰め、異能の力を込めた掌を前に突き出す。

「!?」

 しかし触れる直前に守桜が視界から消えた。

 そう、まさしく消えた。パッと瞬間移動でもしたかのように、影も形も残っていない。

(んなわけねェだろ! 並のやつが俺の動きについて来れるわけがねェ、守桜を瞬間移動させた協力者が近くにいるッてことか!?)

 慌てて周囲の気配を探るが、人どころか虫一匹の気配すら感じとれない。協力者ごとこの場を離れたか、と考える心月の背後で、

「あぁあぁ……クラレントの王が、こんな最期か……」

「アァ!?」

 守桜隠身は天将帝の死体を弔っていた。

「天将帝……黄の原色、クラレントの王。あんたが異能都市にもたらしたのは悪いことだけじゃなかっただろうよ。救われた奴だって大勢いる。クラレントが良い例だ、奴らはあんたから生きる意味を教わった。だからどうか、この死が安らかなものであるように……」

 十字を切る守桜の背後に、心月は音も無く近づいていた。姿が見えず音も聞こえなければ感知されることもなく、始末することができる。

(周囲の気配は変わらず守桜だけ、つまり協力者はおそらくなし。さっきの瞬間移動はわかんねェが、気づかれずに存在を消しちまえば俺の勝ちだ)

 心月の考えは正しかった。実際この場にいたのはは守桜と心月だけで、協力者が来る予定もなかった。ただし心月は一つだけ勘違いをしていた。

「ヴベァッ!?」

 心月の横腹を鋭い蹴りが襲う。もちろん、蹴ったのは守桜。

 しかし目の前にいたはずの守桜は心月の背後にいた。

「ぐッ、くそ、がァ!!!」

 転がりながらなんとか受け身をとって心月が体勢を立て直す。これ以上見逃すものか、と急いで顔を上げた心月の視界に映ったのは、革靴のかかとだった。

「アぎュぶッ!!!」

 顔を踏みつけられたと理解するまで数秒かかった。すぐさま折れた鼻を反転させ、目の前の男を見上げる。

 男はすっかり短くなったタバコの吸い殻を握りつぶすと、胸元から新たに一本取り出した。パチン、と指を鳴らすとわずかな光とともにタバコの先端から煙が上がり始める。

 弱いと思っていたのは、ただの思い込みだったと思い知らされる。

 守桜隠身は新緑色に光る双眸で心月を見下してこう言った。

「かかってこいよ雑魚が」

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