第25話

「何が、起きた……?」

 自分を庇った虚に手をかける直前で心月が急停止した。現にはそう見えた。

「無能じゃなかったが……悪くない」

 勢いよく後退すると、心月はそう呟いた。

(何故僕を殺すチャンスを逃す? 何故攻撃してこない? こっちは虚が庇っただけなのに)

 疑問に眉を寄せる現同様に、虚もまた浮かび上がる謎に頭を支配される。

「何をした……!」

 虚の肩が小刻みに揺れる。先程までの恐怖とは違い、それは怒りによるものだった。怨敵を睨みながら虚は問う。

「てめぇ今何しやがったっ!!!」

 心月は口を紡いだまま、さらにバックステップしてやや離れた壁に張り付く。コンクリートの壁はぐにゃりとゴムのように曲がり、それと同時に心月の脚に万力の力が込められる。攻撃がくる、と確信し戦闘態勢を取った虚だが、自分を呼び止める弟の声に意識をとられる。

「虚、何をそんなに動揺してるんだ!」

「あぁ!? そりゃそうだろ、だって龍爪が消えたんだぞ!」

 一瞬振り向いて現の状態を確認する。分かりきってはいたことだが、全身傷だらけで、その表情からもとても戦えるようには見えない。

(どうする、こっちは瀕死の雛菊に満身創痍の俺、そして標的の現。くそ、龍爪さえいれば……!!)

 必死に考えを巡らせる虚だが、思考の波を止めたのはまたもや現だった。

「虚。りゅうそうって、何だ?」

 そして、呆気にとられる。

「こんな時に何言ってやがる! 龍爪紅に決まってんだろうが!!」

 性質の悪い冗談はよせ、と叫ぶ。

 現はそんなことを言わないと誰よりもわかっているはずなのに。

「人の名前、か? おい虚、説明してくれ!」

「お前何言ってんだよ! ついさっきまでそこにいただろうが、黒髪のチビ女だよ! 可愛い! 赤い彼岸花の髪飾りつけた! 十本指の!! 覚えてねぇのか!!」

「覚えてるも何もそもそもそんな人は知らない!!」

 この時虚は身体に雷が落ちたように感じた。

 龍爪紅を知らない? 忘れたならともかく、思い出せないならともかく、知らない?

 つまり、最初から知らない。

「まさか……っ!」

 虚は焦燥に駆られて足元を見回す。落ちているはずだ、あの花の髪飾りが。音は聞こえなかったが、落ちたのをこの目でしっかり、

(見たか? 俺は)

 音が聞こえなかった? そんなことあるはずがない。あれほど精巧な硝子細工が地面に落ちて割れないはずがない。

 しかしどれだけ見回しても硝子の破片はない。まるで最初からそんなものはなかったと言うように。

「まさか、消したのか……存在ごと…………っ!?」

 それを理解した瞬間、虚は静かに激昂した。この世に生を受けて一番の激情。これでもかと血走る眼を開き、愛する弟をつけ狙った天将を超える最悪の敵を目に焼き付ける。

「ゼラニウム!!!」

 異能の名を合図に虚の身体を黒い靄が覆う。靄は虚の身体をぐるぐる回ると、虚の身体を人のものから異形のものへと変えた。

「A……AAAahhhhhhhhhhhhhhhhhhhhh!!!!!」

 異能都市中に響かんばかりの怒号とともに虚はその場を駆けた。

 悪魔と化した虚が駆けた後遅れて周囲に突風が吹き荒れ、音速を超えたことを知らせる。

 それと同時に心月が壁から射出される。ナイフを右手に、獲物の首を刈り取るため左手を伸ばし。

一筋の稲妻が空間を切り裂いた。

「クッ!」

「Ahh!?」

 新緑色に迸る雷は悪魔と殺人鬼を引き離すように炸裂する。音速を越えようと光速には敵わず虚は後退を余儀なくされた。心月も同様にザリザリとアスファルトの上を滑りながら後退する。

 思わず後ろに下がった虚だが、それと同時に悪魔の外殻は消える。万全の状態でも一分持つかどうかの荒技、傷だらけであまりに消耗しすぎた今では数秒が関の山だ。

 至近距離で落雷を浴びた現は背後で気を失っている。装備もなしで、しかも極度の疲労状態であればそれも仕方ないだろう。

 しかし虚はそんなことは考えていなかった。

 二人の間を裂くように降った本物の稲妻。それが擬似異能で産まれようはずもない。

 即ち、オリジナル。

「ったく、面倒くせぇ。ガキのお守りするほど俺は暇じゃねぇんだぞ」

 砂塵舞う中現れたのは、オリジナルのソメイヨシノの持ち主、守桜隠身その人だった。

「ガキ共はもうねんねの時間だ。補導されてぇのか」

 ところどころにしわのついただらしないスーツ。茶色がかった髪と同じ色の瞳が特徴的な、面倒くさがりの三十路。間違いなく、守桜隠身本人。

「もっとも心月。お前は補導じゃすまさねぇかんな」

 振り上げた守桜の指先が光ると同時に、空間を割るような爆音が鳴り響く。それは縦ではなく、横に裂く稲妻だった。稲妻はそれこそ瞬きの間に目標に飛び、そして、まるで最初から何もなかったかのように霧散した。

 その先でただ一人。

 心月平理は新たな敵に歓喜していた。

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