第24話
「なん、で……」
意図して発した言葉ではなかった。自分でも気づかない内に自然に口をついた言葉だった。
「なんでですか心月さん!!」
喉が張り裂けんばかりに龍爪は吠える。なんとか抑えられてはいるが激昂のあまり我を忘れる一歩手前だ。速さを増す脈は呼吸を口でするよう促してくる。龍爪は血走った目を見開き、本当の敵を深紅の目で見据える。
しかし当の本人はつゆ知らず、
「それは何に対してのなんで、だい? 龍爪」
戯けるように笑ってみせる。
表情の作り方、声音、動作……その一挙手一投足は間違いなく彼等がよく知る心月平理のものだ。
「答えられないってことは僕も答える必要はないね。それじゃ、僕は帰らせてもらうよ。また明日。あ、管理局はあの状態じゃ使えないな……まあいいや、僕は菊の花でも用意してくるからさ。君たちは花瓶を持ってきてね」
「ッ……!!」
怒りのあまり言葉につまる龍爪を見かねて虚が口を開く。
「待てよ心月サン……いや、心月。じゃあ俺が聞こうじゃねえか。てめえ、今何で天将を殺した」
「何でって……あんな危険な異能者を野放しにしておくわけにはいかないでしょ。生きてたらまたいつ現くんを狙うかわかったもんじゃない」
「そういう奴らをぶち込むために監獄があるんだろうがよ。屁理屈はいらねえ、本当の理由を言えよ」
「本当の理由って……最初から疑ってかかるなんてひどいなあ。まあいいや。で、理由だっけ? 邪魔だったから。それ以上の理由はないよ」
いやいや、と虚は頭を振る。
「邪魔だったから殺しました、だぁ? そんな舐めたことがまかり通るわけねぇだろうが!!」
吠える虚だが、心月は涼しげなその顔を崩さない。
「何もそんなに怒らなくてもいいじゃないか、君が言えって言われたから言ったんだよ。それと虚くん、君の価値観を押し付けないでくれるかな。そんなものに興味はない」
「てめぇ、」
「やめろ虚。煽りに乗るな」
「現! じゃあどうしろってんだよ!!」
「こうするんだよ」
現はハンドガンを取り出すと、歯ブラシを手にとるのと同じ、日常のワンシーンのようなごく自然な動作で心月に向かって引き金を引いた。瞬間、パァン! と乾いた銃声が響き渡る。そしてそれよりも少し速く、
「〈 〉」
心月は異能の名を口にした。
銃弾はまっすぐに心月に向かい、そして真反対の方向、つまり、撃ったはずの現に方向転換した。
銃弾のあり得ない動きを予知できるわけもなく、現は引き金を引いた指に銃弾をくらう。
「ぐっ!」
「現っ!? 野郎、ゼラニウム!!」
激情する虚の右腕が月を反射し輝く大鎌に変質する。そして足をジェットに変質させた高速空中移動。すぐさま心月の首に刃をかけたが、
「あんまり舐めないでね」
心月が呟いたのと同時に、ドウッ! と地面が跳ねた。否、そう感じたのは虚だけ。つまりは、虚だけを押し上げるように地面が急速に盛り上がった。
「ガ、ハッ!!!」
真下から車にはねられたように虚が宙を舞う。たっぷり含んだ酸素は一瞬で肺から追い出された。
「虚!!」
「彼岸花!!」
現が駆け出す前に龍爪が異能を発動させる。蔦は虚を包むように柔らかくキャッチし、巨大な蔦で心月を押しつぶそうとするが、
「うーん、邪魔だね」
これ以上ないほど生命力に溢れていた蔦は心月に触れた途端、たった今冬を迎えたと言わんばかりに枯れていく。その隙に二人に合流した虚だが、
「なんだよアイツの異能はアルメリアだけじゃねえってのか! 異能は一人一個じゃねえのかよ!?」
苛立ち……それは焦りとも言えたが、虚はそれを隠そうともせずに心月を睨む。
異能は一人一つ。その鉄則を忘れていないあたりまだ冷静とも言えたが、しかし心月が複数個異能を所持していないと今の現象には説明がつかない。
「ええ……銃弾を跳ね返す、地面を跳ね上げる、植物を枯らせる。それらは本来の、白い巨獣を出現させる異能では説明がつきません。正直、全く意味がわかりません」
二人ともお手上げとばかりに唇を噛み締める。
「いや……わかった」
しかしそんな中ただ一人、現だけは真実にたどり着いた。
「…………へぇ?」
現の言葉に心月は楽しげに眉を上げる。
「わかったって、何がだい?」
「お前の異能だよ、心月平理」
銃を指に引っ掛けて時折回しながら現は言葉を続ける。
「銃弾を逆の方向に跳ね返す。平らな地面を凸凹にする。生命力に溢れる植物を枯らせる。なんてことはない、つまりお前の異能は『逆にする』能力ってことだ」
「ふぅん? やっぱり君は賢いなぁ……じゃあ僕のこのアルメリアはどう説明するんだい? 異能は一人一個、だろう? 欲張りさんは痛い目を見ちゃうよ?」
かたわらに現れた白い巨獣を撫でながら心月は笑う。
「正直、そっちに関してはお手上げだ。ヒントでもくれないか?」
そう言っておどけてみせる現だが、
「ははっ、死んでも嫌だね」
当然、心月もそれを笑って跳ね返す。
「それを聞いて安心したよ、僕だってお前からヒントなんてもらいたくもない。じゃあ別の問題を解こう。いや、解くなんてもんじゃない。ただ、答えを教えろよ心月」
その瞬間、現の顔から笑顔が消える。
「天将が邪魔だから殺したって言ったな。お前、一体何が目的なんだ」
邪魔、ということは何か目的を達成する上で障害になるということ。心月が眼鏡の奥で目を細め、管理局での日々のように優しく笑いかける。
「君を殺すこと」
「……………………は?」
「現くん。無能の孤衣無現くん。僕の目的は君を、僕の手で殺すことだよ」
あまりにも唐突な心月の殺害予告を理解するのに虚は時間を要し、龍爪は愕然としていた。当の本人の現も、目を見開き驚きを隠せなかった。
何故現を? 答えの出ない問いに頭を悩ませるも、気味の悪い静けさだけが空間を支配する。それを破ったのはやはり心月だった。
「バレてるだろうけど、地神を殺したのも僕だよ。現くんを狙う上では天将の次に厄介な相手だったからね、優先的に処理させてもらったよ。ま、それと殺してみたかったんだよね、恋人って関係の人をさ。彼女の最期の言葉、聞きたい? 愛してる、だってさ。チープだよね。ありふれてるし、何も意外性がない。せめてもうちょっとさあ……まあいいや。特に面白くもなかったって話だよ」
その顔を邪悪に染めて嗤う。死者を嘲笑し、恋人が苦しみ、最後まで信じてくれた愛する者を裏切っておいて、面白くもないと宣う。
「ふーっ……ふーっ……」
肩で息をしながらも冷静につとめる龍爪。その目は血走り、怨敵から一目も離すまいと睨みつける。
「最初から二つ異能を持っていたのか、それともどちらかが後天的なものなのか……どちらにせよ、なんでお前の身体が二つの異能に耐えられるのかもわからないが」
「そこまではわからないかぁ。ま、しょうがないねそればっかりは。いや、むしろ褒めるべきか。よく頑張ったね現くん。そして本当に嬉しいことに、さよならだ」
心月が顔に手をかざす。
「ゼフィランサス」
そして、心月の姿が変化する。
彼が着崩すことのなかった学生服は簡素な黒シャツと毛皮付きのジャンパーに生まれ変わる。
きめ細やかで美しく傷一つなかった腕には黒のタトゥーが浮かび上がり、肌色の面積が少数に押しやられる。ピアスだらけの痛々しい耳、かけたというよりも偶然かかった印象を受ける銀のネックレス。それらの装飾品に対して履き物が草履というミスマッチさが不気味さを助長させた。
一番顕著に変化が現れたのは頭髪だ。好青年を思わせたサラサラの黒髪は無理矢理痛めつけたようなやさぐれた灰色に染まっていく。
真っ先に浮かび上がったイメージは孤狼。銀色の毛並みを持つ美しい獣。人に媚びず、同種と馴れ合わず、孤独を選ぶ流浪者。獲物のためならば天敵にすら襲いかかる鋼の精神。
素人目にはただ痩せているようにしか見えない身体だが、その実無駄な脂肪は一切無く必要最低限の筋肉しかつけていない、黄金に等しい身体だ。
生きるための最低限ではなく、殺すための最低限。
天性の狩人ではなく、人が成った捕食者、心月平理。
三人は決して目を離さず、じっと見据える。一挙手一投足どんなささいな動きも見逃せない。油断はできない。気を抜けない。何しろ相手は、黄の原色、天将帝を殺した男なのだから。
しかしそれが仇となる。
「っ!!」
逆に心月が視線を合わせただけで、全身を寒気が駆け抜ける。背筋を凍らす、凍てつく視線。眼力も迫力も天将ほど強くはない。なのに何故か『こいつはヤバい』と確信させる存在感。
「自分の存在を逆にした……いや、『もとに戻した』ってことか……!」
「ものわかりがいいじゃねえか」
答える心月の声はもう人を優しく包み込む声ではない。素っ気ない、愛想もない、媚びる気もない、かといって傷つける気もない、何者にも響かない少し掠れた声だった。
「俺の異能は容姿だけでなくその内側にも作用する。俺の存在ごと逆にするわけだからな」
人懐っこく、誰からも好かれる青年はどこへやら。
今いるのは何にも媚びず、触れた者を傷つける、静かな嵐。
好きの反対は嫌いではなく無関心、という言葉を現は何故か思い出した。
「雑談は終わりだ。殺す」
背筋が凍る、とはまさしくこのことだろう。はっきりわかるほど体温が急速に下がっていく一方、心臓は心拍数を増やしていく。
ここで死ぬ、そう確信して現は思わず一瞬目を瞑る。
目を開けた瞬間、世界が変わる。
迫り来ていたはずの心月の姿は見えず、あるのは自分と同じくらいの背中。ところどころ赤黒く染まったシャツの少年は現を守るように、片膝を突きながらも大きく手を広げる。
そしてそのさらに奥。
現の目に映ったのは、あの日と同じ彼岸花。
艶やかな黒髪は彼女の細いうなじを見え隠れするように揺れる。黒一色のワンピースは少年同様ところどころ赤黒く染まりまだら模様を描いている。小柄を少しでも誤魔化せたら、と履いているハイヒール。踵にはやはり靴ずれの跡があった。
背後の少年を守るべく小さな小さな手を大きく広げる。
そんな小さな手で、何が守れるんだ。
「守りたい、です」
龍爪がそう言って微笑んだ気がした。
孤高に咲く彼岸花の髪飾りが外れて、アスファルトにぶつかる。
「ゼフィランサス」
硝子の彼岸花が割れた音は、しなかった。
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