第23話

「クローバー」

 瞬間、天将は初めて攻撃を受けた。

「ぐオオオおぉぉおあああああアアアオオオオオオッッッ!!!??」

 雛菊の拳から放たれたクローバーは天将の身体を吹き飛ばし、行き場を失った力は余波となり周囲を破壊していく。背後に控える『守るもの』を除いて。

 天将の空中浮遊もいつまでも続くわけではない。むしろそれは一瞬。超スピードで吹き飛ばされた天将はビルの外壁に衝突し、巨大な亀裂を走らせると共に沈黙する。

 目蓋を伝う生温い血に邪魔されながらも、雛菊は自分が討ち取った王の姿をしっかりと確認する。

「ぁ……………………」

 声を出そうにも、肺に突き刺さった骨が呼吸を邪魔する。喉に込み上げるどろりとした血潮がからまり咽せる。それでも、守れた、という雛菊の安堵は虚に伝わった。

「これが、雛菊の異能……」

 以前雛菊本人が言っていたことを虚は思い出す。雛菊の異能は必ず後出しでなければ意味がないと。

 『発動しない』ではなく『意味がない』。つまり、何も起きない。人間としての限界点を超えた天将を拳一つで打倒し、それでも余る程の攻撃力。

(自分が受けた物理ダメージを等倍で返す。それが雛菊の異能)

 倍にして返せるのならば雛菊は最弱とは呼ばれなかっただろう。平手打ち一発を十倍にして返せれば、それは攻撃することを躊躇させる強力な異能だ。

 だが、等倍となれば自分が耐えられるほどのダメージしか与えられない。しかも雛菊の防御力は下の下、さらには耐久力も低い。となれば雛菊への攻撃を躊躇う必要はない。

 今回のケースが異常なのだ。

 天将の間合いに入れたこと。

 あえて天将の攻撃を受けることで、天将を打倒する攻撃力を持っていたこと。

 そして、最弱の人間が原色の攻撃を耐えたという奇跡。否、これは雛菊の堅い意志を鑑みれば必然。

 この三つが重なったことで、この下克上は成功した。

 足を引きずり虚に近寄る雛菊。しかし既に疲労も限界、足がもつれ倒れ込むように地面に膝を突くが、間一髪、柔らかいものに上半身を支えられる。地面から伸びる蔦は魔王を打倒した勇者を優しく迎えるように雛菊の全身を包む。

「なんとか、間に合ったみたいですね」

「いや……間に合ってはいないだろう」

 聞き慣れた革靴の足取りと、最近ようやく聞き慣れたややテンポの速いハイヒールの音。

「現の言う通りだ。お前らは雛菊の超カッコいいシーンを見そこねちまったんだぜ」

 背後の暗闇から二人が姿を現す。一人は小学生と見間違えるほど小柄な少女。やや煤がついてしまっているが、凛とした顔立ちは相変わらず美しい。もう一人は虚を鏡に映したような少年。負傷しているが虚や雛菊ほどではない。普段は冷め切った瞳も、今だけは安心していることがわかる。

 移した視線の先に見えるのは、壁にめり込むようにぐったりとうなだれている天将の姿。ついさっきまで埃一つなかった服には土や砂がこびりついている。一つの完成された美であった顔には無数の切り傷が見られた。そして、胴体には小さな拳の跡がしっかりと刻まれていた。

「やった、のか」

 現の声が震える。

「天将を……天将帝を、倒したのか」

「ああ。雛菊がやってくれた」

「つまり、私たちの勝利です」

 龍爪の頬を一筋のしずくが伝う。

 龍爪紅はこれまでの戦いに恐怖を感じていた。わずか十七歳で得た色持ちという名の才能に甘えないよう、日々鍛錬を怠らず努力してきた。その努力の結果、遂に十本指と呼称されるようになった。もはや向かうところ敵なし、そう思った矢先に龍爪は敗北を喫した。それも、色持ちですらない青年に。

 いくら強くとも、一人だけでは勝てない敵もいる。戦ってきたその全員が強敵と言っても過言ではなかったが、仲間と力を合わせれば勝てることを知った。その仲間ですら、もう会えない人もいる。

 この結果が完璧だとも最上だとも思わない。バッドエンドもいいところだろう。それでも、

「地神さん………………やりましたよ」

 これはまごうことなき勝利。長い戦いと悲劇の末手に入れた明確な勝利。例えどれだけ泥くさくても、みんなで勝ち取った未来。

「私たち、勝ちました……!」

 感極まる龍爪を見て、虚も微笑む。やっと彼女の本当の笑顔を見れた、と。

 しかしその中。ただ一人、笑わない男がいた。

「どうした現? 元凶の天将倒したんだし、もう襲われたりしねえんだ、もっと喜べよ」

「あ、あぁ……そうだよな、天将は倒した。頭を失ったクラレントは実質解体できたはずだ…………いや、いや。ちょっと待ってくれ。やっぱり、おかしくないか」

「あぁ?」

 眉を潜める虚。現の言葉に龍爪も顔をあげる。

「おかしいって、何がです? 見る限り、天将の身体に不審な点は何も……」

「いや、そっちじゃなくて。僕が言いたいのは地神さんの死体だ。地神さんは身体中斬り刻まれて、しかも目まで抜かれるなんていう惨い殺され方だった。なあ、天将の異能でそんなことできるか?」

「それは……」

「できないんだよ、天将のキングプロテアでは。あんなことはできないし、なによりする必要もない。仮に地神さんを殺したのが天将だったとしてもだ。龍爪、なんで天将は僕たちの後に出てきたんだ?」

 現の言葉で龍爪はつい先刻の状況を思い出す。

 現、龍爪、雛菊の三人で地神稲荷の死体を発見。そのあと天将が登場、虚が合流して戦闘に入った。

 つまり天将は地神が生きている間はまだ局室に入っていなかった。局室に入ったのは、殺された後。

 まだ液体のままだった血や死体の状態から見て、地神が死んでからまだ時間は経過していなかったはずだ。死亡推定時刻は三人が局室に入った五時から遡っても一時間といったところだろう。

 そう、三人が局室に入る少し前、会議のメールが送られてきた。送り主は、

「いえ、いいえ! あの方がやったんならわざわざ私たちを局室に呼ぶ必要なんてないはずです!」

「落ち着け龍爪。僕はそっちを言ってるんじゃない」

「……っ!! まさか、」


「三人とも! 無事だったかい?」


 背後の暗闇から一人の男が現れる。

「心月、さん……」

 人の良さそうな顔をした好青年。黒縁眼鏡にサラサラの黒髪。人受けの良さそうな外見。言い換えれば少し地味、記憶に残りづらく、そして存在感がない。特筆するべき特徴がない。

 もしもそれを演じていたとしたら? 

龍爪は頭に浮かんだものを消すように頭を振る。

「心月さん。ご無事で何よりです。ところで、」

「現くん! よかった、天将が現れたと聞いてずっと心配だったんだよ! 天将の狙いは他ならない君なんだからね!」

「……えぇ、なんとか」

「いやぁよかった! って、あれ!? あそこで倒れてるのは天将帝かい! じゃあもしかして天将を倒したの!?」

 心月は目を丸くして驚いた。

 龍爪にはそう見えた。現にも、虚にもそう見えた。なのに、それが真実だとはもう思えない。

 恐る恐る、だが妙に足取り軽やかに心月は天将に近づく。

「黄の原色。最強の名を欲しいままにした異能者。自信と傲慢に塗れたクラレントの王」

 そして心月は、

「マァジで邪魔だったんだよね」

 胸元から小ぶりのナイフを取り出すと天将の左胸に思い切り振り下ろした。

 たった数秒の間に、一人の男の命はいとも容易く奪い取られた。

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