第7話

孤衣無現退院後、二週間経過。管理局局室にて。

「それにしてもこんな時期に新入りとは! なかなか面白い奴だし、うむ! 俺は気に入った!」

「それはどうも……それにしても、本当にうるさい奴だなお前は」

「そんなことを言うではない盟友!」

 そう言うと男は大笑いしながら隣に座る現の背中をバシバシと叩いた。

 彼の名前は籠ヶ峰箱庭(かごがみね はこにわ)。管理局の一員である。キリリとした太い眉に反比例するかのごとく細い糸目で、異常に広い肩幅と百九十センチを超える身長を持つ恵まれた体格の男である。ファッションのつもりだろうか、室内であるにも関わらず茶色のニット帽を被っている。

「か、籠ヶ峰先輩、現先輩が痛そうっス。そこら辺でやめてあげてくださいっスよ、オレと違って籠ヶ峰先輩は力が強いんスから」

 おうすまんすまん! と言ってようやく籠ヶ峰はやめた。現はゴホ、と咳き込んで、

「助かった、ありがとう雛菊」

「い、いえ……本当に痛そうだったんで言っただけっス」

 籠ヶ峰をとめた少年は頭を掻いた。

 雛菊一(ひなぎく はじめ)。籠ヶ峰と同じく管理局の一員であり、局員最年少の十五歳である。金髪よりは茶髪に近いところどころ黒が混じった頭をしており、籠ヶ峰とは対照的に身長も体格も控えめである。幼めな顔によらず、声も低めで……

「いや、でももっと早くとめるべきだったっスよね……そしたら現先輩に被害はなかったし……そもそも最初から止められてたら……。行動が遅いっスよねオレ……すんません……」

 思考もだいぶ下向きだった。

「勝手に落ち込まないでくれるか、雛菊。誰もお前を責めてはいない」

「あっ、そ、そうっスよね。責められてないのに勝手に、面倒くさいっスよね……すんません、すんませんすんませんすんません」

 そして、雛菊は予想以上に面倒くさかった。

「一、そう落ち込むな!」

「か、籠ヶ峰先輩。でも、」

「でもではない! 下を向いてばかりで上ることができるか!? できんだろう! 管理局局員たる者、上を向いて歩もうではないか!!」

 籠ヶ峰は顔に笑みを浮かべて雛菊を励ます。

「そ、そうっスよね……上を向いて行くことが大事っスよね…………!」

 超がつくほど下向きな雛菊もようやく上を向き始めたが、

「そうだ! いくら訓練初日の手合わせで異能者のお前が現に負けたからと言って凹むことはない!」

 撃沈された。完膚なきまでに下をむかされた。

流石に気の毒に思ったか、これまでずっと部屋の隅で沈黙していた男が口を開く。

「雛菊くん、気にすることはないよ。現くんは戦闘慣れしてて、無能だけどただの人間にしては強い。対して雛菊くんは普段異能を使った戦闘をしないから慣れてすらない。今誰よりも弱いってことは伸び代は誰よりあるんだ、僕は大いに期待してるよ」

「し、心月先輩……ありがとうございますっス」

 いえいえ、と男は眼鏡をかけ直して三人のそばの椅子に腰かけた。

 彼は心月平理(しんづき ひょうり)。管理局副局長の青年だ。人当たりのいい顔と黒縁眼鏡、我こそは参謀と言わんばかりの理知的な振る舞い。細身にサラサラの黒髪。特技は誰にでも好印象を与えることだろう。

「でも本当によく入ってくれたね、現くん。稲荷から聞いたよ、即決だったんだって? 断る気はなかったのかい?」

「いえ、最初は断る気しかなかったんですけど、まあ諸事情あって……」

 苦い顔をして目を伏せる現を見て心月は口元を緩めた。

「管理局は良い場所だ、現くんにとって居心地の良い場所になると思うよ。もちろん虚くんにとっても、ね?」

「……マジかよ、気づかれたのは初めてだぜ」

 さっきまで誰もいなかった場所に孤衣無虚がいた。椅子に腰掛け、行儀悪く足を机に乗せている。

「おう虚! いたのなら挨拶ぐらいしてもよかろう! こんにちわ!!」

「うっさ……はいはい、こんちわっと。一応特技は気配遮断で通してるんだけどなぁ。あー凹んじまうぜ、どうしてくれんだよ心月サン」

「ははっ、これでも管理局副局長だからね。その程度お見通しさ」

「ひー、怖えこと」

 虚は軽口を叩きながら机上のグラスを手に取り、中身を飲み干した。

 現が管理局入局を決めたあの後、虚も病室に現れた。事情を聞いた虚もまた管理局入局を即決し、今に至る。

「そ、それで今日は何の会議なんスかね? オレ、何も聞いてないんスけど……いや、もしかしてオレだけ何も聞かされてないんじゃ……!」

「安心しろ! ならばハブられているのはお前だけじゃない! 仲間がいるのはいいことだな!」

 喋りながらへこむ雛菊と喋りながら自信をつける籠ヶ峰の何が違うのだろうか、と考えながら現も二人に同調する。

「二人だけじゃない、僕も聞かされていない。虚は?」

「俺もだな。こんな朝っぱらから人呼ぶなっての」

 あくびを噛み殺して答える虚に現は呆れながら、

「お前にとっての朝が午後三時を含むことには驚きを隠せないな。だとすると……心月さんは何か知ってるんですか?」

「うん、知ってるよ。でも、もうすぐ来る頃だから説明はあっちに任せるよ」

 右腕の腕時計を見やりながら口を閉じた心月に呼応するようにドアが開く。

「みんな、揃うてはるみたいやねぇ」

 相変わらずの京都弁と共に現れた地神稲荷は全員を見回してそう言った。頭から生える狐耳は相変わらず本物の狐と見分けがつかないぐらいふさふさだ。人間用とは違った動物専用のトリートメントでも使っているのだろうか。

「皆さん、遅れてすみません! 資料をまとめるのに時間がかかってしまって……」

 続いて申し訳なさそうに眉を下げて龍爪紅が現れる。あの日と同じように漆黒のワンピースを見に纏っていた。そして最後に、

「そうだぞ龍爪。俺みたいな大人が手伝わなくてもお前らみたいな若者がだな……いや龍爪、お前は若すぎだな。もっと成長して地神みてぇなボンキュッボンになぶほぇあ!?」

 ……巨大な植物のつたに殴られて守桜隠身が部屋に入った。

  ・

 数分後。

「あー、というわけでだな。今回お前らに集まってもらったのは他でもない。クラレントの新たな情報が入ったからだ」

 守桜隠身は安易な発言はしないよう心がけることを龍爪に誓わせられてから、ようやく会議が始まった。ぽりぽりと頬をかきながら説明を始める守桜だが、一体全体何が『というわけ』なのかさっぱりわからない。しかし無情にも守桜の説明は進んでいく。

「先日孤衣無弟を襲った女、亜楽恋思。奴が全く口を割らなかったため、読心の異能者を呼んで情報を引き出してもらった。初めて捕らえることのできたクラレントだ、得られた情報が多い。配った資料に書いてある通りだ、メンドくせぇから説明しねぇ、読みたい奴は勝手に読んどけ」

 各々の前にびっしり余すところなく文字で埋め尽くされた用紙が山積みされた。いくらなんでも全てを読み込むのは無理な量だ、初めから読ませるつもりはないのだろう。守桜は資料の中でも特に重要な箇所の説明を始めた。

「まず、クラレントの親玉について。お前らも知っての通り、天将帝っつーいかにもメンドくさそうな王様バカ野郎がそれだ。十本指であると同時にあの原色だ、なんなら異能者最強の呼び声も高い」

「そいつが僕たちの倒すべき敵ですか?」

「ああ。確かに最終目標はそれだが、その前に踏むべき手順がある」

 守桜は頷いて説明を続けた。

「情報によると、クラレントには天将、つまり王様を守る騎士ってのが三人いるらしい。こいつらの内必ず一人以上が天将と四六時中行動を共にしてやがる。天将単体でくそメンドくせぇってのに、まだいるとなると戦いにすらならねぇ。ってことで、まずはこいつらを叩く」

 言い終わると守桜は龍爪を呼んだ。彼女は返事してその場に起立する。

「三騎士はそれぞれ、守護騎士・狂騎士・仮面騎士と呼ばれています。狂騎士と仮面騎士についてはまだ調査中ですが、守護騎士については身元、居場所共に割れています」

 龍爪が手元のタブレットを操作すると机の中心にホログラムが現れる。バラバラだった薄水色の光はやがて一人の男の姿を作り上げた。

 男は猫背の背に真っ黒い髪を無造作に伸ばしていた。前髪も長く、その表情を窺うことは難しい。髪にはところどころに白いほこりがついていた。猫背だから気づきにくいが、背筋を伸ばせば身長は二メートルにも届きそうだ。何色もの絵具がついたボロボロのシャツを着ているため、髪と相まってゴミ屋敷の住人にも見える。龍爪の説明によると、彼が守護騎士だということだ。

「殻例夜唯々(かられや いい)。美術大学に通っていた元大学生です。成績はかなり優秀だったらしく彼の作品のほとんどが入賞していたそうです。が、口数が極端に少なく人間関係は壊滅的だったとか。家族仲も悪く、半ば家出するような形で異能都市の住人になった、と記録にあります」

 龍爪の言葉を聞いた虚がケラケラ笑う。

「その低能野郎がいくら人間関係が壊滅的っつっても、どこぞの無能よりはマシなんじゃねぇの?」

「ほっとけ」

 現は呟くように言うと龍爪に続きを促した。

「最初の標的はこいつってことか?」

 ええ、と頷いて龍爪は、

「狂騎士と仮面騎士の情報がない以上、彼を仕留めてさらに情報を得るのが一番合理的でしょう。それに、殻例夜に関しては異能も判明しています」

 そこまで言い終えると、上座の地神が言葉を引き継いだ。

「異能がわれとる以上こっちが有利。やけどみんな、気ぃつけなあかんでぇ。殻例夜は色持ちでこそないけど、例のやつや」

「実力は色持ちに匹敵するっスか……」

 クラレント相手には色の常識が通じない。何らかの力を使い異能の力を爆発的に引き上げているという話だ。短期間で色なしの異能者が色持ちに匹敵するほどの実力をつける。本来ならば不可能な所業だが、事実としてまかり通っている。

亜楽恋思という女がいる。彼女は色無しではあったが、クラレントとしての彼女は色持ちの龍爪を相手に互角に渡り合った。

「現さん虚さん、亜楽恋思と遭遇した日。私が、ここに来る前にクラレントと一戦したと言ったのを覚えていますか?」

「んぁ? あー……確かそんなこと言ってたっけか」

「確かに言っていた。だけどそれがどうか……って、待ってくれ龍爪。まさかとは思うんだけど、」

 そのまさかですよ、と龍爪は語る。

「万全の状態の私と戦い、そして私を撤退させるまで追い詰めたクラレント。それが殻例夜唯々です」

  ・

 五月になった今日でも、ギラギラと照りつける日差しが不快感を助長する。各々の目的地に向かって早足になる通行人のシャツは汗で少し透けている。

 それは少年も同様だった。涼しい顔をしているようだがその実、額には大粒の汗がにじみ出ており、手でぬぐっていた。少年は時折ため息をついて、隣の少女を横目で見ていた。

 一方の少女は、汗を浮かべながらも氷の表情は崩さない芸当を披露しながらじっと佇んでいた。

 その二人、孤衣無現と龍爪紅はある閉鎖されたショッピングモールを背に立っていた。

 平均よりは整った容姿の現と一度視界に入れれば二度見せずにはいられない美貌を持つ龍爪が並べば相当周りの目を引くことだろう。しかしそうはなっていない。もともと人通りが少ないこともあるが、それどころか彼らを見た人々は何も見ていないかのごとくゆっくりと視線を外して歩いていくのだ。

 服装で言えば、二人はいつもと何も変わらなかった。現は学校指定の制服ブレザー、龍爪もいつもの漆黒のワンピースを身に纏っている。孤高に咲く彼岸花の髪飾りもいつもと変わらない。

 しかし、彼らの顔つきが二人が平和ボケした世界と隔離された存在であることを示していた。

「現さん、緊張なさっているんですか? 随分とお顔が強張っているように見えますが」

 現は横目で龍爪をちらりと見るとすぐに視線を前に戻した。

「もとからこんな顔だ」

 何気なく返された当たり前のような、普通の返事。だがしかし、その声は少しだけ震えていた。よく見れば呼吸も少し乱れている。

(戦闘に支障が出るほどではないでしょうが……無理もないですね)

 耳につけた無線機から、待ちわびた連絡が入る。

『籠ヶ峰箱庭! 孤衣無虚! 両名入り口Cに到着した!』

『こちら心月平理。第三班の作戦配置位置への到着を確認』

 別の場所でしているであろう二人と同じように龍爪も無線機を唇に近づける。

「こちら龍爪紅。十分前から引き続き、孤衣無現と共に入り口Bにて待機中です」

『異能都市管理局副局長心月平理、作戦参加人員全員の配置場所到着を確認。これより管理局は異能都市の秩序と平和のため、危険因子を排除する』

 口にするは開戦の合図。

『標的、クラレント守護騎士・殻例夜唯々。総員、作戦開始!』

「『了解!!』」

 今、火蓋は切って落とされた。

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