第12話

ここ最近現の寝覚めは最悪のレベルが続いていたが、今朝のモーニングコールは比較するまでもなく良いものだった。

「あっ、起きたよ稲荷。おはよう、現くん。お目覚めはいかがかな?」

 まず、声が良い。爽やかで若々しく張りがある声は寝起きで酸欠状態の脳にも難なく届いてくれる。

 そして起こし方も良い。無理矢理起こすのではなくあくまで自然に起きるのを待ち、少し目蓋が開いたところで声をかけ覚醒の手助けをするともに、質問することで二度寝を防ぐ。おかげで現の得意技、二度寝は発動しなかった。

「……別に。良くも悪くもないです」

 未だ夢うつつの現は半ば無意識に返事をする。少し首を傾けて声の方を向くと心月がやけに分厚い本に栞をさしているところだった。更なる情報を求めるために身体を起こそうとすると、全身がわずかに痛みを発していることに気づいた。亜楽と交戦後初めての朝のように指一本動かせないほどではないが、普段通りの生活をするには不自由な痛みだ。万全な状態とは言い難い。

 そして痛みよりも気になるのは身体の痺れだ。起き上がろうとするにもどうも力が入らない。そして無理に力を入れようとすると身体が震え、視界がぼやけ始める。

 それでも無理に起き上がろうとする現を、

「無理に動かんときぃ。せっかく勝ったんに、後遺症やらついてもややろぉ?」

 地神稲荷は赤ん坊をあやすようにゆっくりとベッドに戻した。

「お疲れさん。よう頑張ったなぁ」

 軽く口角を上げて地神は現の頭をくしゃりとなでる。小っ恥ずかしいが、逃れようにも動けないので現は甘んじて受け入れた。

「自分、どこまで覚えてるぅ? というかぁ、なんでここにおるんかもわからんやろぉ」

 地神の言う通りだ。しかしここがどこかはわかる。

「前と同じ病室。僕は、また倒れたんですね」

 亜楽戦後現は一週間目覚めなかったが、カレンダーの日付と記憶にある作戦実行日は続いていた。

「前回よりも強い敵に会うて前回よりも早く起きたんやから、これは成長ちゃう? おめでとぉ」

「どうも。でも相変わらず何で病室にいるかはわからないんですが。心月さんがいるってことは、殻例夜には勝ったんですよね」

「まあね」

 心月は細い鼻筋にかけられた眼鏡を押しあげ、

「と言っても僕はこれといって何もしてない。お礼を言うならそこで寝てる小さい十本指に、だ」

 ベッドに寄りかかるように眠る、ところどころ破れたワンピースの少女を指差す。少女は随分と幸せそうな寝顔で、すうすうと小さな寝息を立てていた。

「そんな顔してたら、起こせないじゃないか龍爪」

 自分がされたように自然に目が覚めるまで待つことを決めた現だが、内心驚いていた。

 一つは十本指ともあろうものがこれ以上ないほど油断し、あの時とは打って変わってこれほどまでに可愛らしい寝顔を晒していること。

 そしてもう一つは、終戦してからずっと不休だったことを伺わせる破れたワンピースだった。

「ずっと待っててくれたのか。ありがとうな」

 柔らかい黒髪を梳くと龍爪は、「……んゅ」とわずかに反応してまた規則正しい寝息に戻った。

 見計ったように心月が口を開く。

「それで、現くんはどこまで覚えてるんだい?」

「えぇっと。殻例夜と戦って……心月さん達が来て……龍爪が、来て……」

「オーケー大体わかった。思ったより覚えててくれて助かるよ、説明が省ける」

 そう言って心月はあの日のことを現に説明した。

 あのあと龍爪が一人で殻例夜を倒したこと。

 その後満身創痍の虚と籠ヶ峰と合流したこと。

 そして、三騎士に関する新たな情報を得たこと。

「狂騎士・真裂彼世。読心の異能で得たのは彼女の情報だ。殻例夜と同等、もしくはそれ以上の実力者らしい。騎士に選ばれたのは彼女が最初で、クラレント内でも二番手に位置するみたいだけど……少なくとも、殻例夜は彼女を良く思ってなかったみたいだ」

「それが王様への忠誠心ゆえか、個人の好き嫌いかはわからんけどねぇ」

 そう付け加えると地神は龍爪の頭を撫でた。

「狂騎士の異能は?」

「まだ調査中だ。読心で情報を奪われたことを察する度に殻例夜が自決を図るらしくてね……難航してる。よっぽど王様への忠誠心があるみたいだけど、さてねぇ」

 心月は嘆息してから、誰に言うでもなく呟く。

「殻例夜は一体何がしたいんだろうね」

 殻例夜唯々の人生は順風満帆とまでは言わずとも、順調だったのは間違いない。異能者でなかったとしても、『ただの』人間で終わるような才能の持ち主ではなかったはずだ。

にも関わらず、彼はクラレントとして生きることを選んだ。輝かしい美術の才能を咲かせてなお、何かを欲した。それは恐らく……

「生きる意味を全うしたいんじゃないですかね」

 現の言葉に地神が興味を持ったように耳を動かす。

「意味を知りたい〜ならこの前自分が言うてたけどぉ。意味を全うするってどういうこと?」

 これは僕の予想なんですけど、と前置いて現は続ける。

「僕は生きる意味を探してますけど……既に生きる意味を知った人間は、生きる意味を押し通したいだろうなって思うんです。人生の羅針盤みたいに、生きる意味を主軸において何をするのか、何をすべきか考えていたんだと」

「へぇ。それでぇ?」

「それで……殻例夜はもう、生きる意味を……自分が何故生きるのかを知ってたんだと思います。殻例夜の生きる意味は天将だったって、それだけの話です」

 天将のために生きることができないのなら、死ねばいいだけの話。殻例夜の中ではさも当然のようにそんな考えがあるのだろう。

「ただ生きたいんじゃなくて、天将のために生きたい、か。そりゃ自決しようってなるわけだ」

 どこか府に落ちたように心月は頷く。納得し難いが、理解できないわけではない。そんな顔だった。

 その様子を見ていた現はふとあることが気になった。

「もしよかったら教えてもらいたいんですけと。心月さんの生きる意味は何ですか?」

 現の急な質問に、心月は前もってその質問を知っていたかのように即答した。

「愛する人と生きるため。それだけだ」

 普通歯が浮いて仕方がないようなセリフだが、そこは心月平理。茶化すわけでもなく、本気だからこそ言葉には想いが乗る。

「生きる意味が生きるためって、おかしくないですか?」

「そうかい? 案外、人間っておかしな生き物だよ」

 そう言うと心月は柔らかく微笑んだ。眼鏡にかかった前髪を振るうと少し照れたように瞳を閉じる。

「かいらしなぁ、平理。ややこみたいに頬赤うしてぇ。ふふっ」

 心月の様子を楽しみながら、地神は口を袖で隠して笑う。

「地神さんは?」

「ん?」

「地神さんは、何故生きるんですか?」

 そやねぇ、と地神は指を顎に当て考える。時折ぴょこぴょこと動く狐耳が野生を思わせるが、本人は至って俗世に染まった人間だ。

「無い、とは考えんのぉ?」

「地神さんほど楽しそうに生きてる人、僕は見たことないですよ」

「あらぁ、褒めてくれるん? ええ子やねぇ。じゃあ教えたげるわぁ」

 ふふっ、と笑うと地神は上機嫌になったか、赤い唇をゆっくり動かした。

「うちが生きるんはねぇ、好きな人に幸せなってもらうため。好きな人が幸せやったらうちも幸せやからねぇ」

 目を細めて地神は微笑む。幸せは既に手にしている、と言わんばかりに。

異能者らしくも色持ちらしくもない地神の生きる意味は、多くの恋する人間が抱く最もありふれた感情だった。

「そろそろ二人っきりにしてあげよかぁ。なぁ、平理ぃ?」

 名前を呼ばれた心月は頬を朱に染めて大きく肩を震わせる。

「あ、あぁ! それじゃあ僕たちはお暇させてもらおうかな!!」

「ここ病院やから。あんまし大きい声出さんときぃ」

 地神が立ち上がると、心月は先に回って病室のドアを開ける。扉の向こうの景色は代わり映えのない白一色の壁だ。誰かが通る気配はなかった。

「じゃあね、現くん。お大事に」

「はい。心月さんもゆっくり休んでください」

 心月に続いて部屋を出ようとドアノブに手をかけたところで、

「あ、そうそう」

 と何かを思い出したように地神が振り向く。

「多分うちの次は現くんやから。気いつけときぃ」

「……? どういう、」

「今はまだわからんでええんよぉ。どうせその時にならなわからんことやしぃ。まぁとにかく、気張りよぉ」

 ほな、さいなら。

 別れの言葉を残して地神は扉を閉じた。

 残された現はベッドによりかかる龍爪の頬に触れる。未だ夢の中の龍爪の反応はなく、眠りから覚める気配もまだない。

 二人が去った病室は、妙に静かだった。

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