第11話

静かに直立する凛とした佇まいには和風美人という言葉がよく似合う。

 まぶたを上げて真紅の瞳を覗かせると、彼女はまず殻例夜を挟んだ向こう側にいる現に声を向けた。

「現さん?」

 にっこりと微笑みを浮かべる龍爪。彼女が命を狙い狙われる戦場のど真ん中で笑えるほどの猛者であることは間違いないが、彼女の微笑みの理由に思い当たった途端、冷や汗が背を伝った。

「な、なんだ龍爪」

「現さん、おっしゃいましたよね? 私を危険に晒すわけにはいかないとかなんとか。おっしゃましたよねぇ?」

「あ、あぁ言ったけど……」

「現さん。そもそもあの分身の群れの中にいる時点でかなり危険でしたよね?」

「……」

 無言でだらだら冷や汗を流す現だが、龍爪は容赦を知らなかった。

「でしたよねぇ?」

「……はい」

 自然、敬語になる。

「分身の群れにいる時点でか・な・り、危険でしたぁ。あそこで私、何回か死にかけたんですけど?」

「……」

「急に現さんがいなくなって寂しく頑張って一人で戦ってる最中に私何回か死にかけたんですけど!? それについて何か弁明ありますか!?」

「すみませんでした!」

 あまりの怒気にその場で土下座する現だが、

「何に対して?」

 龍爪は鬼だった。

「……え?」

「何に対してすみませんなのかって聞いてるんです」

「そ、それは龍爪を危険な場所に残していったことに対して……」

「それも当然腹ただしいことではありますが」

 そこまで言うと龍爪は薄い胸に手を当てた。

「私が一番怒ってるのはそこじゃなくて、貴方が勝手に一人で危険な場所に行ったことなんですよ」

 無理しないでください、と少年を案じる瞳は当然怒ってはいたが。母が息子を案じるような、優しい目をしていた。

「それはさておき」

 龍爪はようやく意識を敵に向けた。本作戦の標的。クラレント守護騎士、殻例夜唯々。

「お久しぶりです殻例夜。相変わらずジメジメした暗い場所がお好きなんですねぇ。多分冥土とか黄泉ってこんな感じの場所だと思いますよ。どうでしょう、片道切符ならお渡ししますが」

 いつにも増してすらすら(しかも珍しく罵倒の)言葉が並べられるのは、機嫌がすこぶる悪いことに加えて、もう一つある。

「御託はいい……十本指だろうと、所詮は一度勝利した相手だ……」

 そう、以前の勝敗だ。亜楽と戦ったあの日、龍爪は殻例夜を相手に敗走した事実がある。異能者は実力に比例するようにプライドが高くなる傾向があるが、それを抜きにしてもプライドの高い龍爪にとってそれは許しがたいことだった。

「たかが一度、しかも私が油断しているところを不意打ちしておいてそれで勝利ですか。随分と広い器をお持ちのようですね」

「勝利は、勝利だ……見苦しいぞ。そんなに、悔しいか。まあ、それも、仕方ない……よく言い訳、を、するからな……幼な子は」

 最後の一言が耳に届くと同時に龍爪の耳にぶちっと音が聞こえた。それは、

「ふふっ、いいでしょういいでしょう。貴方には後悔する時間すら差し上げません。別に構わないでしょう、猫にあげるミルクのお皿程度には広い器をお持ちなんですし。まあ、それはそれとしてですね」

 言うまでもなく、堪忍袋の尾だった。

「ぶっ殺す」

 いつもの純然たる様がどこへやら、龍爪は殺害予告をすると細い指を振った。たちまち殻例夜を覆うように彼岸花が咲き乱れ怨敵の身を捕らえようと蔦を伸ばす。

 手に握られた長刀でそれを断ち切った殻例夜はすぐさま獣に指示を飛ばす。獣は背後の白い巨獣を完全に無視して龍爪に襲いかかる。しかしすぐに急速成長した植物のつたに身体を貫かれ動きを止める。

 何匹、何十匹と襲い掛かろうとそれは同じだった。巨大な植物が我先にと天に伸びるのは森林のできる様を早送りで見ているようだった。

 既に床が相手のフィールドだと察した殻例夜は自身のフィールドを作るため獣の生産工場を空中に移す。それまで床から這い出ていた獣たちはその姿を鳥類に限定して空中からしか生まれなくなった。

 殻例夜が右手を振り下ろすと同時にカラスが特攻を仕掛ける。現の機動力を奪った時と同じように堅く閉ざされた嘴は槍を思わせる。

 龍爪は何本もの彼岸花を編み合わせ、今までにないほど巨大な植物の壁を作ることでそれを防ぐ。それは巨人の腕に人の大剣を突き刺すように、特攻をまるで意味のないものにした。

 二人の化け物の戦闘に圧倒されながらも、現が口を開く。

「心月さん。僕たちは龍爪の援護をしなくていいんですか? 龍爪が押されてるように見えますが」

 不安げな顔で尋ねてくる後輩を心月は優しく諭した。

「現くん、君は無脳なのに異能者と戦い切ったんだ、薬を使ったとはいえね。もう別の誰かに任せてもいいんだよ。そもそも、僕たちは君を守るためにいるんだから。それに、」

 心月は戦場を見やって苦笑した。

「あれに割り込むなんて無茶だろう?」

 見れば確かに、そこは素人どころか戦闘のプロでさえも入りがたい、洗練された空間だった。

 背後から迫るカラスに気付いた龍爪は、くいっと指を引いて目の前の彼岸花の成長先を自身の背後へとずらす。滑降する一匹は編んだ壁で、左右両方から突進してくる二匹はそれぞれの下から咲かせた彼岸花で捕らえる。

 四方八方から攻めてくる敵に的確に対処するのは、常人より遥かに優れた空間把握能力を持つ龍爪だからこそできる芸当だった。額に垂れる汗を拭いながら龍爪は考える。

(獣に比べてコストのかかる分身を生み出さないということは殻例夜もそれなりに疲労しているということ。ですがその分数が多い! あれが完成するまでもう少しかかりますしここは耐えるしか……)

 分身に比べればカラスに脅威はないが、かといって一発でも食らえばそれが命取りになる程度の攻撃力はある。それに加えて、

「っ! あっっっぶない!!」

 時折来る、本命の攻撃。音もなく背後から切り掛かってきた殻例夜の長刀を紙一重で躱し、彼岸花のなぎ払いで牽制する。軽々と避けた殻例夜はまたカラスの群れに消えていく。

「どうした。集中、できて……ないんじゃ、ないか!」

 ヒットアンドアウェイを徹底する殻例夜と自身に迫りくる脅威全てを相手にする龍爪。永遠と思えるような長い戦闘だがしかし、すぐに幕引きは訪れる。

 痺れを切らしたように出てきた殻例夜が龍爪を串刺しにしようと相変わらずのスピードで刺突を繰り出す。得物が長い分相手に悟られにくい突きだが、龍爪は間一髪で腰をくねらせ串刺しを免れる。

「あぁぁぁあ!!」

 ここが正念場、叫びながら龍爪は十本の指全てを殻例夜に向け、彼岸花を集中させる。咲き乱れる巨大な彼岸花は殻例夜を四方八方からタコ殴りにする。

「カハッ!」

 つたが鳩尾に殴り込み、溜め込んだ空気は無理矢理肺を追い出される。

 そして、殻例夜が消える。最初からそこに何も無かったかのように。

「分身」

 気づいた時にはもう遅く。背後から迫る殻例夜は手に握った長刀を思い切り横に振る。回避される可能性など一切考えない、全てを断ち切るためだけに振るわれる鋭い一閃。

「オォォォォォォォォオオオッッッ!!!!」

 雄叫びを上げて放たれたそれは華奢な龍爪の身体を引き裂くかと思われたが、

「っ!?」

 ガシッ、と龍爪の背で長刀が止まる。まるで、太い糸で編まれたベルトが革のベルトよりも切断しにくいような、この違和感。

 はらり、と落ちた服の切れ端の奥に覗いていたのは細い蔦で幾重にも編まれた壁だった。

 今度こそ彼岸花が本物の殻例夜の手足を捕らえる。

「集中できてない? ええそうでしょうね、私は編み物で精一杯でしたから。じゃれてくる子供の相手をしている暇はなかったんですよ」

 抜け出そうともがく殻例夜だが、抵抗に応じて彼岸花はその数を増やす。彼岸花は抵抗する大男を取り押さえ、自身の主の目線と同じ高さまで跪かせる。

 龍爪の白くか細い手が殻例夜の顎に触れる。

「喰らい咲け、彼岸花」

 言葉と共に殻例夜の身体から彼岸花が咲き乱れる。二メートルの殻例夜の身体を喰らうように、腕から脚から顔から頭から胴から耳から。

 苗床の栄養分を喰らい終わると同時に、彼岸花はその短い花期を終えた。

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