第4話
ボガァ! という鼓膜を裂く爆発音とともに、瓦礫の山が崩れた。
部屋一帯を砂塵とほこりが舞う中、のっそりと彼女は立ち上がった。ボキボキと首を鳴らして、縁側の猫のようにあくびをする。
彼女は亜楽恋思。異能都市に住む大学生であり、同時に世間を風靡するクラレントの一員である。
もともと彼女はただの大学生だった。少し素行は悪く、見知らぬ相手と喧嘩することもしばしばあったが、それだけのことだった。部活のボクシングをして、友達と遊び、帰って酒を飲む。そんな生活を繰り返す、異能都市はおろか普通の世界にいくらでもいる大学生の一人だった。
そんな彼女が変わったのは数ヶ月前。亜楽はある男と出会った。その出会いが人生を変え、彼女をクラレントにさせた。
『彼』を瞳に入れた瞬間に、恋に落ちた。
以来彼女は『彼』のために動くことしか考えていない。あの日から大学にも通っていないし、友達とも会っていない。家族との連絡も絶った。プロ入りが確実視されていたボクシングもしていない。
『彼』のために。その思いだけが今の亜楽恋思という女を構成していた。
しかし、亜楽恋思は今暴走状態にある。彼女は『彼』を想うあまり、『彼』の役に立ちたいという思いが強すぎるあまり、勝手に行動しているのだ。クラレントの目的である『無能狩り』をなすために。
(そしたら、きっと王様もアタシのことを褒めてくれるはず……だから、そのためにはあの無能を守るまな板女をぶっつぶさないといけないんだけど)
無能は障害になり得ない。先程は遊んでいたから逃しただけであって、色持ちに匹敵する力を持つ亜楽ならば一瞬で方が付く話だ。
問題はもう一人の方だ。
(深紅の瞳、彼岸花の異能……もしかしなくてもあの十本指の龍爪紅? 本物ならマジやばじゃん)
異能都市における噂の一つ、十本指。異能のクオリティを区別するのが色の有無。それとは別に純粋な戦闘能力での序列を上から何本指に入るかで噂する。明確な序列は実際に戦わなければわからないため、あくまで噂に留まっている。が、それでも戦闘能力は上から数えて十番目以内だろう、と噂されるバケモノが十本指だ。
これまで亜楽は十本指はおろか色持ちすら相手にしたことはない。負けるとわかっている勝負を挑むほど、彼女は馬鹿ではないからだ。しかし、今は違う。色持ちに引けを取らない力。そして、『彼』を想う気持ち。それだけで、彼女は何でもできると妄信していた。
「さっさと終わらせよ……それで、王様に褒めてもらうんだ……」
コツコツと革靴の小気味良い音を鳴らして彼女は標的を探して歩き始めた。
・
ザザ、とノイズがした後に耳元から声が聞こえた。
「対象、動き始めました。指定位置に移動してください」
わかった、と答えると現は耳元につけた通信機の電源を切って歩き始めた。
ふぅ、と深呼吸する。
今から始まるのは今までやられてきた一方的なゲームなんかじゃない。無能の自分が異能者の亜楽と対等に戦うゲームだ。
やる側とやられる側ではない。あっちがやる側で、僕もやる側だ。
覚悟を決めたところでコツコツ、とあの音が聞こえ始めた。
もう、怖くない。
だから……
(だから震えるなよ、僕の手!!)
太陽が昇るように、階段から黒い頭が昇る。黒い布を黒い染料で染め上げたような、異様に黒い髪。短く結われたポニーテール。
現が銃を構えたその視界の先に、亜楽恋思が現れる。
パァン! と響いた銃声が開戦の合図だった。
「アネモネ!!」
視覚より先に気配で攻撃を察知した亜楽は反射的に前方に拳を放った。不完全な体勢で放ったため威力は落ちたが、それでもゴム弾の威力を奪うには十分だった。徐々に失速するゴム弾は、二人のほぼ中間に落ちた。
シン、と空気が静まる。両者ともに、無言の殺気を放ちながら相手を見据える。
これを部外者が見れば現を憐んだだろう。異能の有無と戦闘経験の差は武器一つで埋められるほど低い壁ではない。ましてや男女の差など、異能都市においてはあるはずもない。
しかし、それでも無能の少年はそこに立つ。
「一つ、質問がある」
「何? 冥土の土産ってやつ?」
嘲笑する亜楽に対し、現は表情を崩さずに続けた。
「そう思ってくれて構わない。だから答えろ。お前は、何で生きるんだ?」
生きる意味。人間が解くことのできない永遠の論題とも言えるだろう。
「あたしだけの王様のためだけど。王様に褒めてもらって、撫でてもらって、ハグしてもらうため。もちろん、その先も。あたしは、王様に与えられるためだけに生きてる」
恋に恋する少女、とは違うのだろう。しかし彼女の感情が恋ではないことを現は察していた。
「あたしはそんだけ。で、あんたはどうなの?」
「……どれだけ辛くても、どれだけ苦しくても、どれだけ死にたくなっても、結局僕は生きてる。自分が生きる意味なんて考えたこともなかった。お前に殺されかけるまでは」
「へぇ? じゃあわかったんだ、無能でも生きてる意味。教えてよ、それぐらいだったら王様に言ったげる」
ハッ、と現は笑う。
「生憎、まだ生きる意味はわからない。でも、一つだけ確実に言えることがある」
そして再度、照準を亜楽に合わせる。
「あんな最期を認めるわけにはいかないんだよ!」
「じゃあ抗ってみなよ!!」
それに呼応するように亜楽は右腕を弓のように引く。
二人の距離は十メートルほど。亜楽にとっても現にとっても十分射程圏内である。となれば勝負を決める鍵は二つ、先手と威力だ。威力で劣る現は、先手を取るしか勝つ方法はない。
指先に力を込めると同時に一発の銃弾が弾き出される。
「アネモネ!」
しかし銃声は一瞬でかき消され、巨大な空気砲が現を襲う。
「んん……?」
しかし亜楽は荒れ狂う暴風の中ではっきりと見た。作戦成功とばかりに笑う現の姿を。
その直後、落下する瓦礫が二人を分断した。天井を見上げた亜楽はコンクリートを支える鉄筋に絡みつく植物を見つけた。そしてたまらず舌打ちする。
十中八九龍爪の仕業だろう。建物を支える鉄筋を曲げることで建物全体の強度を空気砲に耐えられないほど下げたのだ。床が崩れていないところを見ると、床は逆に強度を上げているらしい。
小賢しいマネを、と亜楽は思ったがそれは亜楽にとってこの策が有効だったからだ。アネモネは超高火力を生み出せる反面、自分で威力を調整できないデメリットを持つ。瓦礫はぶっ飛ばせばいいだけの話だが、それではいつまでも現を捕まえることができない。
どうするか、と考えながら亜楽はとりあえず目の前の瓦礫を吹き飛ばした。
まずは追わないと話にならないと思っていたが、意外なことに無能の少年は未だそこに立っていた。しかも先程とは違い自信たっぷりにニヤニヤ笑っている。
「……何よアンタ。ナメてんじゃないの!」
吠える亜楽は接近戦に持ち込むため床を蹴った。天井の小細工のことを考えるとアネモネは撃てない。ならば、異能無しの接近戦に持ち込むしかない。異能者同士の戦いで自分だけ異能が使えないなら迷わず逃げるが、相手は人間の中でも『普通』ではない。異能を持たない劣等種如きに負けるわけがない。ましてや接近戦、格闘技をしていたこちらにハンデがある。
「シッ!!」
射程範囲内に入った瞬間に左ストレートを繰り出す。数ヶ月のブランクがあろうと、ボクシングの腕は鈍っていない。そう思った亜楽だが、
「……?」
目の前の少年は亜楽の攻撃を余裕のある動きで軽々かわす。そして避けた動きを利用してその場で回転、回転蹴りを亜楽に叩き込む。
しかし、間一髪。すんでのところで亜楽は身を引きそれをかわす。再度、ストレートを放つ亜楽だがやはり拳は虚しく空を切る。そして反撃が来る。そして、それをかわす。
いつの間にかそれは戦闘とは程遠い作業になりかけていた。
無能如きが自身と互角に戦っている事実に苛立ちを隠せない亜楽だが、少し頭を回すと府に落ちた。いくら異能者とはいえ、異能が使えなければ無能となんら変わりない。だがボクシングのハンデがあるこちらに分があると思っていた。
ここが誤算だった。
亜楽が考えるに、現は無能故にステゴロの戦闘に慣れている。異能者なら鍛える必要のない身体も、異能都市で生きるのならばせめて身体は鍛える必要があっただろう。そしてその鍛えたステゴロ戦闘はこうして役立っているわけだ。
だがしかし、それでも敵わない相手はいる。亜楽の拳が顎を貫く。
「っ!!」
少年は二転三転して、壁にぶつかってようやく止まった。脳が揺さぶられ、水平感覚が保てない。戦うことはおろか、立ち上がることすらできなかった。
「っ、もう、終わりだよ」
亜楽も全くの無傷というわけではない。ところどころ肌が切り裂かれたような傷が走っている。
しかし、逆に言えばその程度だった。
「彼岸花!!」
背後から声が響く。ついさっき聞いた声だ、忘れるはずがない。天に色を与えられた化け物だ。たちまち亜楽の周囲に彼岸花が咲き乱れ、動きを封じるように成長し始める。
異能都市の絶対的捕食者、本来なら戦ってみたいところだったがしかし。
「今はそっちじゃないんだ」
亜楽は心底残念そうに龍爪に目を向けると、龍爪との間に広がる天井に空気砲を放った。
「なっ!?」
これにはたまらず龍爪も驚いた。そんなことをすれば天井が崩れ……
「……そういうことっ!!」
床を駆けるがもう遅い。天井から落ちた瓦礫の山は龍爪と亜楽の間に巨大な壁を作っていた。
亜楽は龍爪の異能を恐れると同時に、それ以上に龍爪の実力を信じていたのだろう。廃墟内ならばどこであろうと、亜楽がアネモネを使えないようにフロア全体の天井の強度を下げているはず。そう信じて亜楽はアネモネを放った。敵ながら、敵を信用するとはあっぱれだ。
しかし。
「本当に……これも全部、計算通りなんですよね?」
信用することも含めて敵を信用……いや、計算できる人間も中にはいるのだ。
・
瓦礫の動きが止まった、その向こう側。
亜楽恋思は今度こそ勝利を確信していた。相変わらず異能を使うことはできないが、異能なしの勝負ではこっちの方が上手だ。それに、龍爪という邪魔者もいない。
今度こそ、やっと、アタシの勝利だ。
そう、思っていたのに。
やっと、恋い焦がれる男の役に立てると思ったのに。
「……何、それ」
変わりようがないはずの無能の右腕は巨大な鎌に変身している。見間違いではない。そして、偽物ではない。触れただけで皮膚が切れそうな、鈍く光る刃。その刃の持ち主はくしゃりと髪をかきあげて獰猛に口角を上げる。黒かったはずのその瞳は、徐々に元の白銀色を取り戻していた。
「さ、とっとと始めようぜ。低能野郎」
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