第21話
友人からペンを借す時のような。
あるいは飲み物を投げる時のような。
ぽいっ、と。
殺意なんてあるわけがない、ただ渡すだけの動作に危機察知能力なんて働くわけがない。
「龍爪!!!」
現の胸が爆速で鼓動を始める。声に応じるように生えた彼岸花が龍爪と現を階下に引き摺り込んだ。
響き渡る轟音と火龍の咆哮を思わせる熱風を凌いだ虚は、後ろの雛菊を見やった。
虫の息、とはまさにこのこと。息は聞こえず、わずかに上下する腹で呼吸していることを確認する。出血の原因であろう貫通した肋骨が、もともと白かったと考えられないほど赤黒く染まっているのが容易に想像できる。頭部からの出血は止まることなく、泥のように溢れる血潮は雛菊の栗色の髪を侵食していく。もってあと三十分といったところだろう。
しかしもう心配をすることはない。いくら天将帝といえど、あの至近距離で手榴弾を食らってまともに動けるはずがない。
あの二人も無傷とは程遠いだろうが、今は生きていることが何よりも重要だ。
死んだら、そこで終わりだ。だからこそ目の前の雛菊を一刻も早く病院に送らなければならない。そう思って、雛菊の肩を担いだ次の瞬間、
「ハッハッハッハッハッハッ!!!!! いやはや、自死覚悟でこの王を討とうとは! その心意気だけは認めてやろうではないか!!」
背後から響く絶笑と称賛の声。
その声は龍爪のように可憐でもなく、かといって聴き慣れた弟の声でもない。
「嘘……だろ…………?」
あの爆発の中、傷はおろか埃一つつくことなく優雅に佇む天将帝の声だった。
「どう、やって……」
「いかにしてあの爆発を免れたか、か? ふむ、冥土の土産にでも教えてやろう。手榴弾は所詮炎と鉄の塊だ。ならばキングプロテアで『炎と鉄の侵入を禁止』すればよい。ただそれだけの話よ」
つらつらと説明する天将だが、先の虚の言葉は爆発を回避した方法を問うものではない。
『どうやってあの一瞬で反応して異能を発動することができたのか』だ。
その答えを知る由もない虚は頭をちらついていた最終手段をすぐさま実行に移した。すなわち、
「雛菊! 逃げるぞ!!!」
「ぁ……うつ……んぱい…………まっ、」
雛菊を脇にかかえ、大窓を突き破り外の世界に飛び出す。四階という高さを考えれば当然落下するだけだが、そこは虚、例のようにジェット噴射でバランス維持を試みる。
まさしく、全身全霊の戦闘離脱である。すぐに追いつかれるから意味がないと一時は下げた手段だが、こうなっては強行突破するしかない。
既に陽は落ちた。一瞬視界に映り込んだ低空に輝く球体は太陽ではない。王を殺す暗殺の時間と言えば夜だがしかし、今狩られる側は間違いなく逆転していた。
燃え盛る管理局を背に天将が口を開く。
「速いな。腐っても色持ちか……どれ」
天将は胸元から金糸雀色の弾丸を取り出し、最早点に近い虚に標準を合わせる。
「行け」
天将の命令は絶対。それは無機物にも同じことが言える。命じられた弾丸は主の意に報いようと、耐えうる限り最速で怨敵のもとに向かう。一方の虚はそれを知る術もなく。
「痛ッッ!!??」
何が起きたかもわからず、ただ右脚に激痛を感じながら墜落した。
「この王が敗走すら許さんことを知らんわけではあるまいに」
天将は階下に意識を向けるも、既に二人の気配はなかった。
「ハッ。成る程、わざと派手に逃げ二人を逃したか。この王を手玉に取ろうとは、小癪な。よかろう、孤衣無虚。貴様の思い通りに事は進む」
大火が空気中の水分を奪う。高空の風は地上のそれよりも強く、火をより強いものに引き上げる。猛炎は獲物に絡み付く蛇のように部屋全体を包み込むと、やがて行き場を求めて大窓の外に繰り出す。
「貴様らの負けというただ一点を除いてな」
当然、天将帝だけを避けて。
・
宵闇の街路路を這いずるように踏みしめる。もはや異能を発動するほどの力さえも残されていない。肩に担ぐように腕を回した雛菊からは、もう随分のこと反応がない。
ずり、ずりと裸足がコンクリートに傷つけられていく音がする。足元に目を向ける体力さえも温存するため、そして現実を見ないため、下は見ない。爪はあるし、指はあらぬ方向に曲がっていないし、血だらけなはずがない。そう思い込んで歩みを進める。
当然だが、ジェット噴射は万能には程遠い力技だ。使うたびにお釈迦になる靴はまだ可愛い方で、足のダメージの方がよっぽど大きい。今までは、ボロボロになった足を瞬時に『元の状態の足』に変質させることで、ダメージと他者からの視線をごまかしていただけだ。弟の目だけはごまかせなかったが。
天将は自分の策に乗ってくれただろうか。自分如きの策、あの独裁者なら即看破するだろうに、未だにそんなことを考えていた。
管理局はこれからどうするのだろうか。色持ち、そして局長……戦闘面と精神面両方において、まさに管理局の要だった地神稲荷を失って、存続することは可能なのだろうか。
まあ、現さえ無事ならあとはどうなってもいい。
犯罪者を相手とする警察とは異なる性質の管理局を失っても異能都市の運営はしばらく問題ないだろう。だが、あくまでしばらくだ。その内対処は追いつかなくなり、『大勢の弱い悪党』は『大勢の強い悪党』に変質し、異能都市を蝕む害虫になることは目に見えている。
管理局はどうするんだろう?
俺は、これからどうするんだろう?
「どうにもならんだろう、紛い物」
声だけで身体は萎縮する。前に進む意思は削がれ、この場に崩れ落ち、拝み崇め伏したい。もはや洗脳に近いほど耳を癒す声音。
金獅子を思わせる天に逆立つ髪の毛、月色に輝く瞳、美術品を思わせる顔の造形。
「天将帝……乗ってくれたんだな。にしても、速すぎやしねえか?」
「逆だ。遅くしてやったのだ。それがわからん貴様ではあるまい」
「さぁ、なんのことだか? 生憎、頭脳プレイは愚弟に任せっきりなもんでな」
「ハッ、笑わせてくれる。よほど肝が座っていると見た」
虚は雛菊を地面に置いた。それは側から見ると、虚が雛菊とともに倒れ込んだようだった。
微かな息の音、朦朧とする意識、薄れゆく視界。逆流する血の味で生きていることを確認する。
「王の異能について、少し教えてやろう」
ともすれば、気まぐれだったのかもしれない。冥土の土産にと思ったのか、天将は自身の異能について語り始めた。
「知っての通り、キングプロテアは王への絶対服従を強制する無差別精神攻撃だ。距離が近いほど、同じ空間にいる時間が長いほど洗脳はより強くなる。ここまでは知っていよう、問題はその先だ。洗脳に抗う者は強いストレスと不安感を覚える。そして洗脳が進むにつれ抗う気力も湧かなくなる。現に」
天将が虚に近づき、無防備に両腕を広げて見せる。
「既に貴様はこの王に攻撃できない。もう五分もすれば王の足元に跪き、楯突いたことを咽び泣きながら懺悔する。逆にこの精神攻撃を受け入れた者は、あれほど素晴らしい王を信奉する自分が間違っているはずがない、と認識する。
簡潔に言うと、自信が出る。それも一点の疑いもない純粋な自信がな。誰しも皆、どれだけ信じていようと心の底では疑っている。そして迷いのある行動は必ず隙を生む。その心の隙をなくすだけで、人はいとも容易く力を得ることができる」
初めに現を襲った亜楽恋思。三騎士の一角を名乗った殻例夜唯々。二人とも色なしであるにも関わらず、十本指の龍爪と渡り合えた理由はそれだった。
天将の言葉通りならば、天将を信奉すればするほど得る力は増していく。あの二人がクラレントの中でも特に天将に心酔していたのは言うまでもない。が、もし彼らほど強化されたクラレントがさらにいたら。そして彼らが一気に管理局を襲ったら。
その可能性はゼロではなく、もしそうなった場合なす術がない。
しかしそれは諦める理由にはならない。
「む?」
虚が天将に振りかぶる。白銀色の瞳は揺らぎ、闘志が残っていないことは日を見るよりも明らかだった。拳はおろか、全身が震える。立つことすら危ういこの状態でも虚は拳を振り上げ、目の前の敵を打ち砕かんと奮起する。しかし、
「ゥハァッッアァァァあああ!!!」
天将が軽く小突いただけで痛みのあまり虚は絶叫する。膝から崩れ落ち、体勢を維持することができずそのまま倒れ込んだ。
(……………………身体が動かねぇ。ここまで、か)
わずかに残された意識の中、虚はゆっくりと考えていた。
自分とよく似た弟。死にたい、が口癖だった彼が生きる意味を探すようになったのは、成長と言えるだろう。生きる意味を探すことが生きる意味になっているとも言えるが、さて。それでもあの弟が生きているのであれば、あとはどうでもいい。
彼岸花の少女。幼げな彼女は、弟がずっと想っていた彼女の生きる意味はなんだったのだろう。思えば彼女のことは何も知らなかった。今になって知りたいと言っても彼女は教えてくれるだろうか。好きな色は、好きな食べ物は、好きな音楽は、好きなスポーツは、好きな異性のタイプは。俺と現、どっちが………………
瞼が落ちかける。今にも途切れそうな視界の端で、目の前の栗色の頭がわずかに動いた気がした。
「……まだ息があったか」
それは虚だけが見た都合の良い妄想ではなかったらしく、天将は興味の対象を虚から雛菊に移した。
「雛菊一だったか。喋れるだけの体力はあるか? あっても口を開くな、今は王の言葉を拝聴することだけに集中しろ」
天将は雛菊の前に立つと、そう言った。そして、
「雛菊一。クラレントになれ」
とんでもない言葉を言い放った。今、天将は敵に向かって『裏切れ』と言ったのだ。それも敵がいる前で。情報戦のじの字もあったものではない。
そもそも天将自らがクラレントに勧誘する、ということすら異常だ。天将直属の三騎士並、否、それを超えるほどの光るものが雛菊にあったということだろうか。
否。それこそ否。
何せ、雛菊一は。
「最弱の異能者。正義を語り罪を犯した強者に挑み、必ず負ける愚かな男の噂を聞いたことがある」
異常な忠誠心を持つ殻例夜唯々や、狂い切った少女の真裂彼世とは違う。本当に何もない、ただただ弱いだけ。それが雛菊一だ。
「貴様は弱い。異能を有しておきながら無能にすら負けるその体たらく。到底見過ごせるものではない。選ばれなかった無能ならば野垂れ死ねばよい。だが貴様は選ばれておいて救われなかった。哀れ、実に憐れ! この王が救ってやろう」
「救うだと……? 雛菊の気持ちを勝手に決めつけんなよ独善王が」
「独善か。王にのみ許された言葉だ。王の善は民の善だからな。そして民の善は王の善」
天将は両手を広げ言葉を続ける。
「クラレントになれば力を与えよう。先の話は聞こえていただろう、王を信じれば信じるほど貴様は強くなる。どうだ、雛菊一。悪い提案ではあるまい? いや、王の提案を拒む権利など最初から与えられては」
しかし。
「…………っス」
「? 何か言ったか?」
雛菊一は。
「絶対に、お断りっスよ…………!」
管理局の雛菊一であることをやめない。
「ゴ、ガフッ…………」
血反吐を吐こうと、どれだけボロボロになっても、辛くても、苦しくても、嫌になっても、弱い自分を心底憎んでも、仲間を守れなくても。
それが誇りを捨てる理由にはならない。
「だってオレ、あんたのこと大っ嫌いなんスよ!!」
四肢に万力の如く力を込め、必死の思いで立ち上がる。いざ立ち向かってようやく知った原色の迫力に思わず身体がすくむ。
しかしそれでも視線は逸らさずに敵を見据える。
天将の顔から悲哀や同情と言った感情は消え去っていた。あるのは怒り。王の言葉に背いた、不届き者への激情。
輝きを増す黄金色の瞳に呼応するように、ほんの少しだけ雛菊の瞳が光を帯びる。それは暗闇の中でこそわかる、小さな小さな、でも確かな光。
雛菊の身を焼くのは、天将の怒りを超える、仲間を葬った宿敵への怒りと復讐心。
そして異能者の王を討ち取るべく異能都市最弱の少年は己の異能の名を口にする。
「クローバー」
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