第15話

瞬間、虚は土踏まずをジェットに変えて飛翔した。噴射で革靴がお釈迦になったがその程度で四の五の言っていられない。永遠に口が聞けなくなるよりは、よっぽどマシだ。

 真裂は特段対策をするでもなく虚を迎え撃った。

「アザレアっ!」

 異能を発動する声も例の甘ったるい愛想を振りまいた胸焼けのする声だ。おおよそ命のやり取りの場で聞く声ではない。

 真裂は迫り来る虚との間に氷の盾を築いたがしかし、虚の右腕の太刀がそれを真横に切断した。

 もうっ、と可愛らしく頬を膨らませると、真裂は再度自分の前により強固な盾をつくる。その盾と真っ二つになった盾とで虚を挟み込むようにすると、即座にその左右上下にも氷壁を張る。

「しまっーー」

 気づいた時にはもう遅く、虚は氷の箱の中に閉じ込められてしまった。中はもちろん外にも鍵はついていない。氷の箱は虚の行動範囲を奪うようにその姿を縮めていく。このままでは凍死よりも先に圧死の未来が訪れる。

 真裂の視界の端に白黒の目のないサイコロが入る。それは籠ヶ峰が真裂に投擲した異能だった。

「ルドベキア解除!」

 主人の言葉に従い、異能がその力を解く。すると一瞬にして六面体はその姿をもとの形に戻した。すなわち、氷塊である。真裂の目前にまで迫っていた六面体は空間を食い破るように肥大化する。真裂は氷の翼で体勢を整えたが、氷の箱は子供が握った折り紙の箱のようにぐしゃぐしゃにへしゃげた。

 囚われていた虚が飛び出す。氷の箱ーーあるいは氷の棺に入っていたのは十秒と少しだったにも関わらず髪やまつげは白く、霜が下りていた。

「さっっっっっみぃなおい!」

 着地するなり虚は身体を震わせながら左手をドライヤーに変えて顔に当てる。戦闘よりも日常生活の方がよっぽど役に立ちそうな異能である。

「もうっ! 二人とも、彼世ちゃんの愛ラブゆーっ! をちゃんと受け取ってよてよ〜。じゃないと彼世ちゃん、悲しくて楽しくて嬉しくって、泣いちゃうよ泣いちゃうよっ。こんな風に、ねね」

 真裂が腕を振り下ろすと、それに連れられるように二人に氷の槍が降り注ぐ。さながら天の涙といったところか。土手から転がるように槍を避けると、籠ヶ峰はポケットからサイコロを取り出す。

「では目薬をくれてやろう! うんと効くのをな!」

 軽く掌の上で弾ませるとサイコロはもとの姿に戻った。遠目で見ると巨人用の注射器のようなそれは、およそ一般人がお目にかかれる代物ではないため虚は一瞬疑問符を浮かべた。が、それがロケットランチャーだとわかるとすぐさま耳を塞いだ。

 直後、河原に轟音が響き渡る。

 動物達は我先にと棲み家に走り、できなかった者はその場でうずくまる。動物どころか異能者ですら逃げ出す目の前の光景に、しかしその目薬を向けられた本人は瞬きせずに立ち向かう。轟音と共に猛スピードで迫り来る弾頭に臆することなく、愛おしい我が子を抱きしめる母親の表情で両腕を伸ばす。

 そして、爆発するわずか一瞬前、否一瞬後に爆発ごと凍らせた。先程の氷塊の比ではないほどの巨大な氷ーーもはやちょっとした氷山が出来上がる。氷山は重力に従って落ちていくと、ドシャァァンとガラスのシャンデリアが落ちたような音を周囲一帯に響かせた。

「……………………」

 これには流石に二人も呆気にとられた。

 異能者の中のとびきりの異常者、原色はあまりの戦闘能力を有するがゆえに、一国の軍隊と互角以上に渡り合うとまで噂されている。しかし流石にそれはただの噂に過ぎないと思っていた。

 それがどうだ。自分には絶対できないとまでは言わないが、出来たとしても命を賭けてようやく出来る程の偉業を、目の前の女はいともたやすく、微笑みまで浮かべてやってのけた。

 二対の氷の翼が生えたその禍々しい姿はまさしく異形であった。

「えいえいっ」

 真裂の軽い掛け声と共に氷の槍が二人を襲う。ただし今度は上からではなく下からだ。氷の槍は二人の動きを封じるように生え、行動範囲を確実に狭める。

 虚はジェットで串刺しを避けると、籠ヶ峰の手を取り再び土手に上がった。

「助かった虚! 感謝する!」

「んなこたぁいい、残りのサイコロん中には何が入ってんだ!?」

 ルドベキアは最多で六個までサイコロ化できる。最初から空だった一つとロケットランチャーを合わせて二つは埋まっている。残りの四つの中に何か真裂に対抗できるような兵器があればと思ったが、

「ああ! もちろん全部エロ本だ!」

「もう死んじまえよお前」

「何を言う! 人として生きるためには子種を無駄撃ちすることなくだな」

「生死かかったこの状況でてめぇの精子どうのこうのなんざどうでもいいんだよ! んなもんさっさと捨てて武器拾えや!」

「俺のアイデンティティを捨てることなどできん!」

「てめぇのアイデンティティはニット帽じゃねぇのかよ!」

 ぎゃあぎゃあ言い合った二人だが、真裂の攻撃は止むことがなくむしろ激しさを増すばかりだったため籠ヶ峰は渋々エロ本を捨てた(本当に三つにはエロ本、最後の一つには武器類を詰め込んだバッグが入っていた。虚はなんとか籠ヶ峰を軽蔑せずにすんだ)。

 そしてようやくついた一息の間に、真裂を双眸に見据える。真裂は口だけは笑っていたが、その目は二人ではなく遠く離れた都市部に向けられていた。

 虚は氷の翼を羽ばたかせる真裂を見上げながら、

「おいおい、もう俺らに興味無しか? 傷つくねぇ、こんなナイスガイをほっといてどこのどいつに浮気してやがんだぁ!?」

「ナイス街?? なんで街の話するのするの? はにゃはにゃ? まあいいやいいやっ!」

 虚はこの場にまともな人間が自分しかいないことを察した。真裂は屈託ない笑顔で、

「きょーみあるないで言えば、彼世ちゃんは帝クンにしか興味はないよないよ! 少なくともキミ達には最初っから最後までまで、まったくもってこれっぽちも一切合切まぁ〜ったくぅ、…………あれ、何言おうと思ったんだっけだっけ? ほにゃ?」

 あれれ、と首を傾げる真裂だったが、すぐに悩んでいたことさえ忘れた。

「ま、あっちは絶対心配いらないからでぇじょうぶ! だよだよ!」

「何故鈍った!」

「なんとなくだぁだぁ!」

 えっへん、と胸を張る真裂だが本気で殺そうとしている相手に何故コミカルに返せるのか、虚にはまったく理解できなかった。

(非常識二人相手は辛えぜ……それより、あっちってなんだ?)

虚の思考回路を破壊するように、一際大きい声を出して真裂が二人の注意を引く。

「とにかくそんなどーでもよいことはおいておいておいておいて! 彼世ちゃんはさっさと君たちを殺さなければならないのですです! くいっくいっ」

 真裂はインテリのつもりか、眼鏡をかけ直すふりをする。もちろんその細い鼻筋に眼鏡はかけられていなかったが。

「籠ヶ峰!」

「言われなくとも!」

 籠ヶ峰はバッグの中から手榴弾を無造作に何個か掴み取るとピンを口で抜き、真裂が飛ぶ空中に投球する。幸い気温の急激低下に異常を起こすこともなく、手榴弾はオレンジ色の花火を咲かせた。

「わわっ!?」

 爆風により体勢を崩された氷の少女は、その異形の翼を保つこと叶わず、地に落とされる。落ちた先では狩人が大きな掌を開かせて待ち構えていた。

 真裂は猫のように手足四本を地につけると、両手両足に万力の力を込めて後方に跳躍する。再度着地する前に氷の槍で牽制したが、それは逆に敵にとって武器になる。

 籠ヶ峰は槍を一本だけ残してそれ以外をサイコロにすると、残した一本を掴み取り真裂に投擲する。

 二メートルに迫る巨体、複数個の手榴弾を軽く投げ飛ばす剛力、サイコロを狙った位置に投げ飛ばすコントロール。その全ては上手くカチリとハマり、トップアスリート並みの投擲力を籠ヶ峰に与えた。

「〜〜っ!!」

 (言動はともかく)戦闘時の判断力に優れた真裂だが、それは反応できて初めて価値が生まれるものだ。反応する暇を与えない氷槍の一投にはただの一つの意味をなさない。

 氷の槍は真裂の右肩の厚い軍服を貫き、雪の肌から血が滴り落ちる。薄水色のツインテールは真裂の顔を隠し、それ故に、氷の槍の中から突如として現れた虚に反応できなかった。

(槍の中にサイコロ化した虚をねじ込んだ! 近接戦闘ならば流石に虚に軍配が上がる!)

「オアああァァぁぁぁァア!!!!」

 雄叫びを上げ、太刀と化した己の腕を振り下げる。生肉を斬る不快感と堅いモノを断ち切る爽快感が黒い刃を通して伝わった。氷の少女の身体は『本体』と『右腕』に分離する。

「…………ふひっ」

 であるにも関わらず。

「ふひゃひゃひゃヒャホホホホホホアハハはははウヒははははははうふふふふふふふふふふふぬわぁっハッハッハッハッハッハッハげらげらげらげらげらギィィィィヤッッッッほほほぉぉぉイイイ!!!」

 薄氷の髪の下に張りついたのは屈託ない笑顔で。

 可愛らしい小さな口から漏れたのはこの世のものとは思えない絶笑だった。

「さいっこーだねだねだねだねだねだねだねだねだねだねだねだねだねだねだねだねだねだねだねだねだねだねだねだねだねだねだね!!! きっっっもち悪くて良すぎるんだよだよだよだよだよ! さいこーに生きてるって感じがするよするよするよするよ!!」

「…………っ」

 目の前の少女はどうしようもなく狂っている。目の前でそれを確認できてしまったからこそ、虚はもう一度刃を振るうことができなかった。

「虚!」

 自分を呼ぶ声がなんとか思考を現実に引き戻してくれた。おかげで、なんとか虚は命を拾った。

 真裂は転がった肉片には目もくれず、失った右腕があった場所に一瞬で氷の腕を生やし、薙ぎ払うように腕を振るう。間一髪でそれを避けると、虚はバック転しながら籠ヶ峰の位置まで後退する。

「んだよアイツ!! やべぇなんてもんじゃねえぞ!」

「うむ! あれこそが真に頭がイカれているというやつだろう!」

 快活なもの言いにこそ変わりはないが、虚だけでなく籠ヶ峰の表情にも恐怖という名の曇りが現れ始めた。恐怖、否、未知なるものへの不安とでも言おうか。

 一方の氷の少女ーー片腕も異形と化した今の姿こそまさしく狂騎士だーーの表情は晴々としている。出会ってから今に至るまで、恍惚の表情に変わりはない。虚に腕を斬られた瞬間でさえ。

 痛覚でさえ、巨大な喪失感でさえ快感になってしまうどうしようもなく狂った少女を前にして、虚は静かに覚悟を決めた。ただしその覚悟は相手を殺すものではなく、

「……籠ヶ峰」

「何だ!?」

「俺がアイツを絶対に倒す。だからお前、一分間アイツと一人で戦え。んでもって俺を守れ。指一本たりとも俺に触れさせんな」

 ともすれば、相棒を殺しかねない指示だった。今まで真裂と互角に戦ってこれたのは、日々磨き上げた二人のコンビネーションの賜物と、ある程度の運だ。決して必然ではなく、あくまで偶然の事象である。そのどちらかが欠ければ死が訪れるのは火を見るよりも明らかだ。

「うむ! 承知した!」

 しかし、籠ヶ峰がそんな返事をすることもまた、明白だった。

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