第16話

籠ヶ峰は虚をサイコロ化するとポケットにしまった。何もせずに放っておくよりはマシだろう。

 巨体が地ならしを起こしながら河川敷を駆ける一方、氷の少女は宗教画の聖母の微笑みで出迎える。

 籠ヶ峰はもちろん、真裂にも言えることだが、この戦いにおいて重要なのはどちらが先に相手に触れられるかだ。

 ルドベキアは縄文杉のように巨大な物体でも二酸化炭素のような気体でもサイコロ状にすることができる。内からの脱出手段は存在せず、鍵はただひとつ籠ヶ峰の解除の合図のみ。触れた瞬間に勝利が確定する、それが籠ヶ峰の異能だ。

 対して真裂のアザレアは触れた瞬間に決するわけではない。と、籠ヶ峰は最初思っていたが今は違う。爆発という刹那の炎を凍らせる真裂も籠ヶ峰と同じ、『触れるだけで勝利が確定する』チーターだ。それに加えて真裂には氷の槍や剣といった武器もある。

 そもそも、真裂彼世は色持ち。どちらが優位など、聞くまでもない。

 互いの間合いに入る一歩手前で籠ヶ峰が加速する。急加速のハグを身をかがめ紙一重で躱すと、真裂は籠ヶ峰の背後に氷の杭を出現させる。杭は本来の繋ぎ止める役割とは逆に、自ら飛ぶことで獲物を狩ろうとする。それに加え、真裂は左腕を真剣さながらの氷刃に変質させ籠ヶ峰を襲う。

「おりょ?」

 真裂が目を丸くさせる。それもそのはず、突如目の前のあの巨体が消失したのだ。串刺しにすると思われた杭は着火前の焚き火の骨組みのように虚しく積み上がる。腕を振り切った真裂も体勢を崩し、

「っ!?」

 突如現れた籠ヶ峰にその鳩尾を容赦なく蹴飛ばされた。

 高速に飛ぶ自分の頬を河原の石が切り裂くのを感じながら、真裂は口角を上げた。

「なるほどねなるほどね、自分を箱の中に閉じ込められちゃってくださったってことなんだねなんだねぇぇえええへっへっへっへへへへへ!!!!!」

 ジャリ、と音を立てて身体が川に放り出される。そして着水の瞬間、その場をスケートリングに変える。波紋一つ、しぶき一つ寸分違わず全てを凍てつかせ、氷は勢いそのまま陸地を侵食する。

 間一髪で跳躍し、地面と一緒に氷像になることを避けた籠ヶ峰だが状況は悪化する一方だ。籠ヶ峰はサイコロの一つを氷の槍に戻すと、陸上選手さながら動く的に投擲する。

一方の真裂は、靴を凍らせスケートシューズに作り変えると、今までの直線的なものとは対照的に違った曲線的で滑らかな動きを見せる。

「あはっ♡」

 真裂は籠ヶ峰の槍投げを躱すと優雅にトリプルアクセルを決める。そして回転数を増すと、

「えいえいえいえいえいえいえいっ」

 全方位に無差別攻撃を始めた。氷槍を撒き散らすその姿はまさしく氷の嵐だった。嵐は暴風域を広げ、尚回転数を上げる。

「ふむ! 致し方あるまい!」

 籠ヶ峰はそう言うと、迷いもなく嵐へ一直線に突っ込む。

 ただ勝つだけならばそんなことはしない。この広範囲、この威力。そう何度もできるはずがなく、真裂は片腕を失っている。応援を待てば勝つことはできるだろう。しかし籠ヶ峰はそうしない。

 それは籠ヶ峰が管理局の局員だったからだ。

 氷の嵐から放たれる超高速の槍。視認してから躱すことはできない。当たれば致命傷、かすっても必ず傷つく。そして、また別の誰かが傷つく。

 誰かが傷つくことを避けることができるのならば、しないわけにはいかなかった。

  ・

 虚構の少年がゆっくりと、目蓋を上げる。

 目の前には狂った騎士と、それを討たんとした傷だらけの狩人。

「……じゃあ俺は狩人を唆した悪魔、だな」

  ・

 真裂の目に映ったその姿はまさしく、幼い頃に絵本で見た悪魔そのものだった。

 禍々しく広がる漆黒の双翼、異様に細く長い腕の先には獲物を狩るため研がれた鋭い三本の爪。影そのものとも言える悪魔の中で唯一煌めく紅い二つの瞳。悪魔は顔を裂くように口を開くと唾液まみれの牙を覗かせる。

「Ah……」

 地獄から響く、人の耳が聞き取れる限界の低音。

それが目の前の悪魔から発せられた殺害予告だと気づいた時にはもう遅かった。

「ふひゃひゃひゃひゃひゃっ?」

 初めて真裂が逃亡する姿を見せる。後退ではなく、敵に背を見せる逃亡。摩擦を無視した氷上の滑走。曲線的で無駄な動きなど一切ない、まっすぐひたすら距離を稼ぐことだけを望んだ故の行動。

 しかしそれは悪魔の咆哮に阻まれる。

「Aaaahhhhhhhhhhhhhhhh!!!!!!!」

 悪魔の咆哮はソニックブームとなって悪魔を中心に河川敷の氷を砕いていく。当然のように真裂特製の滑走路も跡形もなく砕け散った。

「あぁもう面倒だねだね!」

 それでも真裂の顔には焦りも不安も生じない。真裂は翼をはためかせ、戦場を再び空中に移す。

「彼世ちゃんと帝クンのウェディングパーリーには招待してあげないんだからねだからねっ!」

 仕方ない、と悪魔を迎え撃とうと向き直る真裂だが、それが最後の言葉になるとは彼女自身も思っていなかった。

「っ……!」

 百メートルはあったはずの距離はいつの間にか縮んでいた。

 一瞬の静寂の後、音と衝撃が遅れて現実に到着する。

「Ah……?」

 悪魔の指が氷の少女の細い首筋を締め上げる。氷の少女は今までにない快感に顔を歪めると、よだれを垂らしてだらしなく舌を曝け出す。

 狂った騎士が地に堕ちると、激戦はようやく幕を閉じた。

  ・ 

 夕焼けの朱に染まった悪魔は少女を見下ろし、尚佇んでいたが、

「……ハアァッ! ハァッハァッ」

 やがてバラバラと影は砕け散り悪魔の外装が剥がれると、虚は手を膝に当てて荒く呼吸をした。

「あぁ、くそ……まあギリギリ、及第点、つったとこだろ、ハァッ」

 自分じゃどう足掻いても倒せないなら、倒せる自分に作り変えればいい。

 ふと頭に湧いたその考えは自身を変質させるゼラニウムにしかできないことだった。

 虚は自分を『真裂彼世を圧倒する存在』に作り変えた。狂った少女をも圧倒するものとしてイメージしたものが悪魔であり、虚は自分を悪魔にするという降霊術に似たオカルトをやってのけたわけだ。

「疲れた……つーか、死ぬ……」

 一刻も早い休息を求める身体に鞭を打ち、傷だらけの味方に目を向ける。

「籠ヶ峰……お前、いつまで休んでんだよ。さっさとコイツ運ぶぞ。……って、おい」

 虚が呆れたように頭を掻く。それもそのはず、当の本人の籠ヶ峰は、

「気絶……つか寝てやがる」

 糸目のせいで非常にわかりにくいが、籠ヶ峰は立ったまま寝ていた。近づけば聞こえるいびきのような低音がそれを証明している。

「わんぱく小僧かっての。一人で持ち上げれんのかコイツ」

 身長一九十センチを超え体重も百に近い籠ヶ峰を細身の虚が持ち上げることは当然できないだろうが、さて。

「応援呼ぶかぁ……」

 沈みかけた太陽を背に虚は最も頼れる弟に電話をかけた。

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