第19話

瞬間、雛菊の身体はくの字に曲がって、部屋の反対側のガラス窓に亀裂を走らせた。

 あまりにも鮮やかすぎる蹴りはそれが攻撃だったのだと理解するまで、現と龍爪は数秒かかった。蹴られた雛菊自身でさえも、『王の邪魔をしたからその報いを受けた』と勘違いしてしまうほどに、彼は美しかった。

「む……地神稲荷か? 何だこの有り様は。醜い。この王が来る場所ではないな」

 龍爪は彼を深紅の瞳に入れた瞬間に理解した。

 彼には勝てない、と。

「唯々と彼世が討たれたらしいな」

 はっきり男と分かる、身体の内側まで響く重低音。聴いた者を支配するかのように染み入るが、一方で耳を優しく包むように安心感を与える、不思議な声だった。

「二人とも良い臣下だった」

 シャラ、と鐘の音を出したのはピアスだ。琥珀の結晶の内側に小さな鈴が埋め込まれている。

 彼は歩みを進めるでもなく、ただ、無能の少年を見下ろす。

「孤衣無現よ。これは仇討ちではない。王のいる世界に無能などという汚点があることが許せんだけだ。だが、しかし」

 彼は胸元から金糸雀色の弾丸を取り出すと指で摘み、銃身を透明にしたように弾頭を現に向ける。

「仇討ちで納得するのなら、それもまた良い。キングプロテア『銃弾の侵入を禁ず』」

 現は全力でその場から跳び去った。着地のことを一切考えていなかったため血みどろの棚に突っ込んでしまったが、それはいい。

 血で赤く染まった床に金糸雀色の弾丸が埋め込まれたが、それも今はいい。

問題は、目の前のこの男だ。

「天将……帝……!!」

 天に逆立つ黄金色の髪にはところどころ黒と白が入り混じっていた。

 振り向いた金色の双眸と、怯むことなく睨み返す現の黒い視線が交差し、しばしの静寂を生み出す。

 先に口を開いたのは現ではなかった。

「王の許し無しに名を呼ぶか。無能風情が」

 この時現は、天将のあまりのプレッシャーに空気が振動しているようにさえ感じた。それはその場にいた龍爪も同じで、彼女は約十秒ほど呼吸することを忘れていた。緊張が極限まで上がりきってようやく天将は現から目を逸らした。

「初めてだ、構わん。しかし二度は無いと思え。尤も、貴様が迎える二度目は無いが」

 胸元のホルスターから拳銃を抜き取り有無を言わせない速度で天将に連射する。至近距離で一発で相手を仕留めるという本来の用途から逸脱した使い方は、現が管理局で改造した逸品にしかできない。

「…………嘘だろ」

 現実主義者の現をしてそう言わせるほどの理由は、撃つ前と撃った後とで目の前の景色に変わりがなかったからだ。蜂の巣になるはずだった天将の身体には埃ひとつついているようには見えない。

「王の玉体が風が吹いた程度では傷つかんことがそんなに不思議か」

 現実の認識に時間を要した現は天将が脚を振り上げていることにも気づかず、

「現さん!」

 自身を呼ぶ声に反応する間もなく強引に引っ張られる。何かが腹に巻きついた感触から、龍爪が助けてくれたことを知る。

直後吹き荒れる突風を横目に現は緊張を取り戻した。

「すまない龍爪、助かった」

「いえ……お礼はいりません。それより現さん、天将の異能を忘れたんじゃないでしょうね」

「龍爪、僕がそんな低脳に見えるのか?」

 忘れてないとは決して言っていないのがみそだ。

 三騎士の情報を必死に集めていた管理局だが、実は天将帝の異能だけは最初に確認できていた。

 黄の原色にしてクラレントの王、天将帝。異能キングプロテア。半径二メートル以内の領域に、指定した物体が侵入することを禁止する能力。先程の現の銃弾も、天将が『銃弾が侵入することを禁止』したため、銃弾が領域にいられなくなり弾かれたというわけだ。

 しかしそれは、本来の能力の副産物でしかない。彼が黄の原色と呼ばれる所以は、他の異能とはひとつもふたつも格が違う、正真正銘唯一無二にして頂点に君臨するに相応しい異能だからである。

「周囲に絶対服従のミーム汚染を流し続ける、無差別精神攻撃。人間はもちろん、動物、精神を持たない無機物、この世に存在する者全てにまで影響を与える異能……チートどころの話じゃない。当然、僕たちも例外じゃない。天将に近ければ近いほど、同じ空間にいる時間が長いほど異能の影響を受ける。今はまだ大丈夫だけど、一旦引いて体制を立て直した方がいい」

「ええ、わかってます。ですがそれにしても……不味いですね」

 龍爪が言ったのは目の前の天将もそうだが、隣に横たわる雛菊もだろう。視認できるだけで吐血、腹部からの出血、頭部からの多量出血、腕の骨折。もちろん外傷だけで済むはずもなく、むしろ内臓の方が重傷だろう。

「雛菊さんだけでも、せめてどこかに運ばないと」

「いえ……俺、は……大丈夫っス、か、ら……」

ひゅー、ひゅー、と雛菊の口から空気が漏れる音が聞こえる。目の焦点は合っておらず、唇は真っ青で震えていた。

「息は絶え絶えで、今にも死んでしまいそうで。一体何が大丈夫なんですか? あと、大丈夫だったら何ですか?」

「そ、れは……」

 答えあぐねる雛菊に現が助け舟をだす。

「大丈夫だ龍爪」

「根拠のない希望は肩透かしと呼ぶんですよ」

「根拠はある。いや、今来た」

 カツン、という革靴の軽快な音ではなかった。ぺちん、という裸足で地面に着地したような気の抜ける音とともに現れたのは敵よりも気配を感じさせない味方だった。

「間に合っては、ねぇみたいだな」

 部屋の惨状を見て虚はそう呟いた。地神の死、天将帝、雛菊の状態、すべてを見ての言葉だった。

「虚。籠ヶ峰と一緒じゃないのか?」

「ああ、さっき俺と籠ヶ峰は狂騎士・真裂彼世と戦った。勝ちはしたが、箱庭は瀕死だし気絶してたから病院に送ってやった。んで、真裂を収容施設にぶち込んでお前の忘れ物を渡しに管理局に来てみりゃあこんな有様ってこった」

 狂騎士と戦い、籠ヶ峰は瀕死。虚の言葉に二人は思わず耳を疑ったが、虚が嘘をついているようには見えない。事実彼もところどころから出血しており、白かったであろうシャツはところどころ赤黒い。

「俺も万全じゃねぇけど、雛菊一人を運ぶぐらいだったら出来る。問題は、やっこさんがそれを許してくれるかどうかだ」

 緊張の糸が張り切った三人の視線の先に当の本人は悠然と仁王立ちしていた。

「この王と相見えれば逃亡の選択をとりたがるのは自然の理。しかし、万物において選択権があるのは王だけだ」

 瞬間、全員の身体が強張る。一人は唯一の武器である一丁の拳銃を構え、一人は異能を発動できる準備をし、一人は自身の腕を鎌に変質させる。そんな三人を見て天将は、

「哀れよな、愚民は」

 敵視でも警戒でも、油断でもなく、哀れみの目を向けた。

 気づけば、天将は足を振りかぶっていた。そして次の瞬間、ジッ、と肌を切り裂く嫌な音と共に、現はその場を半強制的に退けられる。そして直後、轟ッ! と局室内に嵐が吹き荒れる。

「あっぶねぇ……大丈夫か?」

「あぁ、助かった……!」

 間一髪で虚に助けられた現は思考を巡らせる。

 現在の最優先事項は雛菊をこの場から離脱させること。しかしそれには必ず雛菊を連れて行くための人員が必要になる。時間稼ぎとは言え天将相手に一対一を挑むのは無謀すぎる、となれば戦闘を離脱できるのは一人だけ。

 標的である現が天将の意識を攪拌し、三人の内唯一の十本指である龍爪が天将の相手を、機動力に富んだ虚が雛菊を連れて戦闘離脱するのが三人の考えだった。

 そして、離脱するには天将の目をかいくぐる必要がある。攻撃を与えることすらできていない現状ゆえに、天将が最も注意力散漫になる状況は『攻撃される』こと。

天将に攻撃を与えることができれば、雛菊を連れて離脱できるはず。

「……問題はどうやって攻撃を当てるか、か」

 ぼそっと呟いた言葉を虚は聞き逃さない。

「もう正直攻撃したかねぇんだが……一発だけでいいなら俺に考えがあるぜ。けどそりゃアイツの死角に入れればの話だ、ねぇものには入れねぇ」

「無いものは作るんですよ。ねえ、現さん?」

 覚悟を決めて現を一瞥する龍爪。その目に怒りはない。いや、なんとか押し殺しているだけで、深紅の瞳の奥には未だ燃える怒りの炎が揺らめいていた。

「ああ、その通りだ」

 それは怨敵へのものか、それとも……

「死ぬなよ、二人とも」

 現は未だ確かめる術も勇気も持っていない。

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