第30話
本格的に蒸し暑さを主張し始めた六月初頭の異能都市はお世辞にも過ごしやすい気候とは言えない。連日続く雨は沿岸部の高潮を激化し、夜間の高い湿度は人々の眠気を奪う。
そんな中珍しくカラっと晴れた日曜日はお出かけ日和と言えるだろう。
「お待ちしておりました、守桜様、現様、虚様。姫様のおわす御部屋までご案内いたします」
現たち三人がアーチ型に育った蔓の門をくぐるなり、待ち構えていた初老の男性が頭を下げた。男は案内するように、三人の一歩先を歩いた。
行く末を見るように目を凝らす。現たちの進路を紫色の花のアーチが囲っているのが見える。そしてその奥を覗くと、赤レンガの洋館が現たちを出迎えた。
「……で、ここはどこだ?」
耐えかねた現が口を開く。
「花の洋館。又の名を異能都市の植物園」
「あー、それ聞いたことあるわ。都市伝説だとかなんとか」
「都市伝説?」
「あぁ」
探すことなかれ、見ることなかれ、近づくことなかれ。
喰われるぞ、飲み込まれるぞ、魅入られるぞ。
かの場所には神がおわす、全能の神がおわす、全てを統べる神がおわす。
隠し事など無駄、嘘など無意味、画策など幼な子の遊び。
神には、万事が意味をなさぬ。
「都市伝説というか、もはや言い伝えだな」
「都市伝説なんて所詮そんなもんだろ」
「まぁ、その実態は……じきわかるさ」
五分ほど歩いてようやく洋館の入り口に到着した。洋館とは相入れぬ巨大な鉄扉の横で、守桜は壁に埋まった小さなカメラを見つめた。
『瞳孔、彩度、光度から運営統制委員会守桜隠身と認識。開錠します』
重厚な機械音と共に鉄の扉がスライドする。守桜が先頭になりエレベーターの中に入ると、無機質な白い壁の中にただ一つ存在する、強烈な違和感を発する赤いボタンを押した。
「いってらっしゃいませ」
初老の男性はぴったり角度六十度まで深く頭を下げるとそのまま押し迫る扉の向こう側に隠れた。
ゴウンと音を立てて箱状の空間が下降するのを感じる。そのまま一分ほど経過して虚が口を開いた。
「で? 姫様っつーのはこの先にいんのか? つかどんだけかかんだよこのエレベーター」
「あぁ、姫様はこの真下だ。十分もかからねえよ。」
「十分て……エレベーター以外の手段ねぇの? 飛び降りるとかよ」
時短しようぜ、と革靴のつま先でと床を指す虚に、守桜は呆れた。
「できるわけねえだろ。あと、姫様のおわす場所までこのエレベーター以外の手段はねえ」
「随分と厳重だな。そんなに姫様って人は臆病なのか?」
「まさか。むしろわんぱく……んんっ、ちょいと好奇心がそんじょそこらの凡人より旺盛だからな、逆にこれで外に出ないようにしてんだよ」
カカッ、と破顔すると守桜は胸元から取り出した煙草に火をつけた。最初に吐いた煙が天井に着くと、黒い眼帯に覆われたのとは逆の目を細くしてつぶやいた。
「あのガキはこの中で吸わせてくれなかったなぁ」
もちろん、『あのガキ』が誰を指しているかわからないわけがなかった。
だが、二人はあえて無視した。見かけと言葉によらず責任感の強いこの男にその話題を続けさせるのは得策ではない。また単騎特攻しかねない、というのはタチの悪い冗談だとして。
沈黙を破ったのは現だった。
「なあ、守桜。一つ聞きたいことがあるんだが」
「お? 何だ?」
「お前クラレントのスパイだろ」
言い切ると同時に、守桜の頭部に銃口を突きつけた。
「……」
虚は黙ってそれを見ていた。特に驚きのないその表情は、この行動を把握していたわけではなかったが予想はできていたようだった。
当の本人の守桜自身も口を紡いでいた。現の位置からは角度と眼帯のせいで顔を伺うことはできなかった。守桜は煙草を咥え直すと、ただ現の次の言葉を待った。
「理由は二つ。一つは、何故か管理局側の異能がクラレントに筒抜けだった」
殻例夜唯々も、真裂彼世も、果ては下っ端の亜楽恋思でさえ。何故か全員が管理局員の異能を知っていた。異能都市有数の実力者である地神や龍爪であれば、情報が出回っていても不思議ではない。むしろクラレントからすれば抗争相手の親玉の異能の情報を知らない方がおかしいだろう。
しかし真裂彼世は色なしの籠ヶ峰の異能を知っていただけでなく、管理局に入って間もない虚の異能も知っていた。言ってしまえばただの色持ちの虚の異能が有名なわけがない。
「そしてもう一つ。天将と戦う前、虚と籠ヶ峰が真裂彼世に襲われた。一介の管理局員に過ぎない二人が、だ。クラレントが管理局全員に監視をつけていた可能性もゼロじゃない。だけど、真裂彼世は二人が管理局に向かっていることを知ったうえで待ち伏せしていた。
そして僕たちが管理局に到着して間もなく、丁度良すぎるタイミングで天将が現れた。しかも、奴は室内に僕たち三人しかいないことを知っている素振りをしていた」
虚と籠ヶ峰の不在だけであれば、真裂が報告したと考えられる。しかし天将は心月と守桜もいないことを知っていた。
「ここまで情報が筒抜けになってると、流石にクラレントの情報網が優秀、じゃ無理がある。じゃあ、誰がスパイなのか。真裂に襲われた籠ヶ峰と虚は違う。天将を実際に倒した雛菊も違う、殺された地神さんは……確かめようがないけど、おそらく違う。残るは二人。心月が違うってことは守桜、お前しかいないんだよ。……そういえば、三騎士の最後の一人が判明してなかったな。探しても探しても、影ひとつ掴めない仮面騎士」
静寂がエレベーター内を支配する。エレベーターが下降する機械音と自身の鼓動以外は何も聞こえない。長い沈黙の後、守桜は胸元から携帯式の灰皿を取り出すとすっかり短くなった煙草を捩じ込んだ。
「探しても探しても見つからない、ねぇ。そりゃ見つかるわけねぇだろ」
そして守桜は揺れる前髪をかきあげた。
「そう、この俺守桜隠身がクラレント仮面騎士だ」
瞬間、狭い室内に緊張が走る。虚は前腕を鎌に変質させると勢いよく守桜の首もとに振りかぶり、
「だが、同時に異能都市運営統制委員会の一員でもある」
首の皮数枚、守桜の細い首から一滴赤い血潮が溢れたところで止めた。
「クラレントと同時に運営側だぁ? どういうこった」
虚の問いに対し、守桜は悪びれもせずに話した。
「ダブルスパイってやつだ。俺は地神の局長就任以前から統制委員会からクラレントとのダブルスパイを命令されてた。そんでもってやっとの思いで三騎士まで上り詰めた」
「信用できねぇな」
「そうか? じゃあ何で俺があの陰キャラのっぽと頭イカれたメンヘラ女…………もとい、他の三騎士の情報を漏らしたか説明できんのか?」
「それは……」
「確かに会議と称して呼び出したが、そもそもそこまでお前らが生きてるのがおかしいだろ? 殻例夜って大事な駒を潰すマネをするのはおかしいだろ? それにだ、俺が本当にクラレントなら天将が殺されてから現れるわけがねぇだろ」
矢継ぎ早に畳み掛ける守桜の反論にむっとした表情で押し黙る虚。
実際守桜の言葉の信憑性は皆無と言ってもよかった。そもそもダブルスパイが事実だったとして、もともとがどちら側だったかはわかりようがない。
「まあ、いいさ」
それでも現が守桜が許すに値すると判断したのは、守桜のただ一つの行動があったからだった。
「守桜は心月に挑んだ。天将のにしろ地神さんのにしろ、仇討ちに行った。それは事実だろ」
「……まあ、な」
ふん、と鼻を鳴らすと虚は右腕をもとに戻した。
「信用したわけじゃねぇから、そこんとこ勘違いすんなよな」
「ハッ、十分だよ……あぁ、そうだ孤衣無兄弟。お前らに伝えなきゃいけねえことがあるんだった」
首を傾げる二人に守桜は続ける。
「心月の異能についてだ。俺と戦った時奴はアルメリアを使わなかった」
アルメリア。殻例夜戦で見せた、白い巨獣を召喚する心月の異能だ。
「もちろん使うまででもなかったっつー説がないわけではねぇが、俺は違うと思ってる。奴はアルメリアを使わなかったんじゃなくて、使えなかったんだってな」
「使えなかった……というと?」
ああ、と守桜はぼりぼりと後頭部を掻いて説明する。その表情は面倒くさい、というよりもどう説明すればいいか悩んでいるようだった。
「心月は異能二つ持ちなんて前代未聞の存在だが、おそらく奴は異能を二つまでしか持てない。確証はねえけどな。んで、心月の二つの異能の内一つはゼフィランサスで固定のはず。もう一つは自由に異動できると考えると、アルメリアを使えなかった理由は、」
「アルメリアじゃない、別の異能を持ってる……?」
守桜の言葉を引き継いで現が口を開く。現の仮説に虚は不快そうに眉間に皺を寄せ、守桜はにやりと口角をあげた。
「その通り。俺がやりあった時、奴は巨大な植物を操る異能を使っていた。攻撃力が高いわけじゃねぇが、汎用性はかなり高い。かなり面倒くせえ異能だ。心月がどうやってその異能を手にいれたかはわかんねぇが注意しろよ。……なーんて話してる内に、ほら」
着いたぜ、と言い切るが早いか、チンと鐘の音が鳴り扉が開く。
短い廊下は薄暗く、エレベーターから豪奢な赤いカーペットが真ん中に敷かれていた。カーペットの通じる先はさらに鉄製の扉。
小さい老婆が杖をついて立っていた。シワとシミだらけの顔、お団子結びにした白髪、深緑色の着物は老舗和菓子店の当主や旅館の女将をイメージさせたが、その眼光の鋭さがただものではないことを明らかにしていた。
「ご苦労、守桜。それに来たかね、無能の少年。それと、その双子の色持ち」
「そりゃ来るだろ。呼ばれたんだから、なぁ?」
「あぁ」
ふんっ、と鼻を鳴らすと老婆は続けた。
「まずは自己紹介から行こうかのぅ。あたしゃ、異能都市運営統制委員会副委員長白絹一葉(しらぎぬ いちよう)と申す老婆よ。噛み砕くと、この異能都市のナンバーツーというやつよな」
それより、と白絹は現たちから目を離し、守桜を睨みつけるように見上げた。
「守桜、この小僧供は姫様にまでこんな態度をとるんじゃないだろうね?」
「んなもんコイツらに聞いてくださいよ。謁見するのは俺じゃないでしょう」
「万が一、もしものことがあれば責任者はお前さんよ。指導しとくのは当然の話さね」
「ごもっとも」
ですが、と煙草の火を指で捻り消す守桜。
「こんなちんちくりん供が我らが姫様に万が一にでも何か起こせる可能性はないでしょう」
「それは僕達を信じての言葉か? それとも信じてないのか?」
両方、と答えると守桜は壁にもたれかかって新たな煙草に火をつけ始めた。どうやらこれ以上雑談に付き合うつもりはないらしい。
「さて、現、虚」
名前を呼ばれ二人の意識は自然と目の前の老婆に向けられる。
白絹は瞬きもせず、見定めるようにじっと二人の瞳を覗き込んでいた。
「お前さんが今から会うのは文字通り、異能都市のトップ、最高権力者よ。姫様がお前さん達に巨万の富をやると言えばあたし達はそれに従うし、お前さん達を処分すると言えばあたし達が問答無用でお前さん達を殺す。覚悟はあるかね?」
そう言って扉に手をかける白絹。問いかけたのはあくまで形式に沿ってだろう、扉にかけられたその手にはもう力がこもっていた。
だから二人は示し合わせることなく、こう答えた。
「あるわけない(ねぇ)だろ」
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