第11話 ゲッケイジュ

「この蟹美味しそうですね」


南野先生が水槽の蟹を見ながら言う。周りの子どもたちは怖い目で南野先生を見る。大人は子どもを引き連れて離れていった。


「水族館の生き物を目の前にして、美味しそうとか言う人初めて見ました」


安本先生が言う。鈴木先生が女性1人と男性複数人では嫌だと言ったので呼んだ次第だ。


「ベルーガのぬいぐるみを娘に買っていくか」


そう言いながらベルーガを見つめる金森先生。金森先生には3歳になる子どもがいる。


・・・・


糸原と鈴木先生、南野先生、金森先生、安本先生は水族館に来た。鈴木先生は、糸原と2人で来る予定だったので、来た時は不満そうに口をとがらせていた。しかし、今はウミウシを手にして子供のように喜んでいる。その様子に糸原は安心した。


「糸原先生、ウミウシです!子どもの頃からウミウシ大好きなんですよ」


「私はいいです」


「え、可愛いのにぃ」


鈴木先生はウミウシを右手と左手でペチペチしている。なんだか可哀想だった。水槽の中に戻されたウミウシはゆっくりと鈴木先生から遠ざかっていく。


糸原は、水槽に反射すら自分の顔を見て相当疲れていることに気がついた。優雅に泳ぐエイの裏腹の可愛い顔に和まされる。


「糸原先生」


金森先生が話しかけてくる。糸原は金森先生が来たことに【怪しんで】いたが、単純に楽しみに来たのだろう。


「さっき買ってきたんです。これどうぞ」


金森先生は笑顔を見せ、クリオネのキーホルダーをくれた。


「みんなにも配ってるんです。お揃いに記念としてどうですか?」


高校生の修学旅行みたいだな、と苦笑しながら貰う。そしてリュックに付けた。


「鈴木先生もどうぞ」


「わぁ、いいんですか?」


子どもみたいに喜ぶ鈴木先生。実際に去年まで大学生だった垢はまだ抜けていないのだろう。


「あっ、すみません。ちょっとトイレに行ってきてもいいですか?」


「分かりました。私たちペンギンコーナー行ってますね」


糸原はトイレの方向へと軽くダッシュをした。そして、鈴木先生たちの視野から外れたのを確認すると【店に走った】。


・・・・


「今日はありがとうございました」


「いえいえ。今日は誘って下さりありがとうございました」


南野先生は安本先生と金森先生を乗せて車を発信させた。車が完全に見えなくなったのを確認すると鈴木先生に言った。


「鈴木先生。夜ご飯とかどうします?」


「家に帰ってから作ろうかと思ってます」


「そしたらどこかで食べませんか?私も一人で食べようかと思っていたので」


鈴木先生は目を大きくして驚く。


「い、いいんですか?行きます行きます。ぜひ行きます!」


・・・・


糸原と鈴木先生は生徒や他の先生が居ないことを確認して席に座る。こじんまりとした隠れ家カフェには、30年ほど前のジャズがゆったりと流れている。


「今日は1日ありがとうございました」


「いえいえいえ、糸原先生こそありがとうございました」


カルボナーラを二つ注文する。糸原はポケットの中からスマホを取り出して文字を打つ。


「そういえばウミウシの可愛い写真撮ったんですよ。今鈴木先生に送りました」


「えっ?本当ですか!?」


鈴木先生は嬉しそうにスマホを取り出す。ウミウシのぬいぐるみを買うほどに惚れたらしい。


鈴木先生はそれを見て眉をひそめた。


そう、糸原が送ったものは写真ではない。


【文章だ】


「可愛いですね」


鈴木先生は、スマホに文字を打って返信した。そしてカバンに付けた【クリオネのキーホルダー】を取り外す。それを音が立たないようにテーブルの上に置いた。


糸原が送った文章はこう書かれていた。


『平然を装って会話をして続けて欲しい』


『驚くかもしれないが、金森先生から貰ったキーホルダーには盗聴器が仕掛けられている』


『この理由は後で話す』


糸原は、金森から香里奈を誘拐した犯人として疑われていることを認知した。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る