隠密与力。直方左近

吉田 良

第1話 狂剣士

一、


 小田原から、四十八瀬川沿いに、渓谷を越えると、目の前には、秦野の盆地が広がっている。


盆地を、道なりに下って行くと、市が立っていて、賑やかな町並みに出た。

左近達は休みがてら、茶屋で甘酒を飲んだ。


「あー、生き返りますね」


彦佐がそう言うと、右近は


「焼き団子も喰おうかな」


茶屋の奥の方を見ている。

茶屋は市の往来にあるのだが、人々が行き交い、かなりの賑わいを見せている。


「どけ、どけ、」


往来の奥の方から、怒号が近付いてくる。

見ると、大男を真ん中に、派手な格好をした男が二人、叫んでいる。

怒号と勢いに押されて、皆が道を開けて行く


「どけ、じじぃ、ぶっ殺すぞ」


右側の男が、目の前に居た。杖を突いた老人を突き飛ばした。


「ひでぇ奴らだな」


彦佐の言葉に、右側の男が反応した。


「なんだと、この野郎」


彦佐に近付いてくる。


「この方は、富士丸様だぞ」


「名前負けだな、変えた方が良い」


左近が口を出し、男が今度は左近に近付く

、だが、左近のにらみに後ずさりをする。

すると、今度は後ろに居た大男が、ずいと前に出た。


「お侍、あんた。よそ者だな」


「ここは旗本、辻様の御料地。そしてこのお方は、この辺りを取り仕切っていなさる。

岡っ引きの富士丸様ですぜ、逆らうと為になりませんよ」


左に居る男が話す。


「岡っ引きが、町人をいじめて、良いのか」


「おい、浪人。いい加減にしねぇと、番屋にしょっぴくぞ」


右の男が、左近に顔を寄せる。

その瞬間、左近は、刀を素早く抜き、右の男のまげを斬った。


「ひっ、」


右の男は、腰を抜かした。

頭を押さえ。、べっとりとした感覚に、両手を見ると、血が付いている。


「富士丸様、お助けを」


そう言って、富士丸の後ろに隠れて、ぎゃーぎゃーと騒いでいる。


「騒ぐな、皮一枚斬っただけだ」


「ここを、旗本様の御料地と知っての狼藉ろうぜきですか」


富士丸が冷ややかに言った。


「いや、何、売られた喧嘩を買っただけだ」


「それじゃあ、俺の喧嘩も、買って貰いますよ」


「おいおい、力比べはしないぞ」


そう言う左近を見ながら、富士丸は腰の後ろに隠してあった。鎖鎌くさりがまを出した。


「すごいもん、持ってんな」


「てっきり、相撲取りくずれかと思ったが」


「相撲取りくずれだよ」


富士丸は、分銅の付いた鎖を、ぶんぶんと振り回す。


「見かけによらず、器用なんだな」


「ほざけ」


左近めがけて、分銅を放つ


「はっ、」


とっさに、左近が左に身をかわす


「まあ、まあ、だな」


「ふん、これなら、どうだ」


分銅を回し、今度は横から仕掛ける。

左近はしゃがんで、分銅をよけながら、踏み込んだ。


「馬鹿が、」


避けられた分銅を、上から振り下ろした。

だが、左近の姿は無い


「消えた」


富士丸はそう感じたが、錯覚さっかくだ。


「ぐおっ、」


太ももを斬られた。

左近が、走り抜けながら斬ったのだ。


「鎖鎌は養父おやじに、さんざん、鍛練させられたからな」


「くそっ、」


富士丸が、立って居られずにへたり込む


「さてと」


左近は立ち上がり、刀をしまう。


「手加減はしたけど、どうする。兄貴分の仇でも討つか」


富士丸の手下の二人を見たが、二人は顔を見合わせて、首を横に振る。


「無理だ」


「なら、富士丸を連れて帰れ、次に会う時は手加減はせんぞ」


手下達が、歩けない富士丸を、重そうに抱えて帰って行く、それを見ていた観衆達は、喜んで拍手を贈った。

だが、観衆の一人が


「富士丸をやったら、次は、あの男が出てくるぞ」


「兵吾か」


「兵吾?」


彦佐の疑問に、町の顔役が答える。


「この辺りを治める旗本、辻家の次男坊ですわ、素行が悪すぎて、江戸を追い出されて

 領地である。こちらで謹慎しているのですが、代官である叔父の目を盗んで、富士丸を使って、悪さをしているのです」


「なるほどな、そりゃあ、面白そうだ」



二、


 辻兵吾は叔父であり。この地の代官である辻平次郎に呼ばれて、代官所の一室に居た。

兵吾の手土産である落雁らくがんを、うまそうに一口頬張り、お茶を啜りながら平次郎が


「兵吾、お主の悪い噂を耳にしたぞ」


「悪い噂ですか?」


煎餅を、かじりながら兵吾が答える。


「富士丸を使って、商人達から、金を巻き上げていると」


「違いますよ、叔父上、相談料を貰っているだけです」


お茶を置いて、平次郎がぎらりと兵吾をにらむ


「それだけでは無い、腕の立ちそうな浪人にいちゃもんを付けては、立ち合いをしていると」


「それは悪さをする。浪人どもを懲らしめているのです。町の治安の為ですよ」


「お前は、剣の腕も立つし、賢い事も承知している。

しかし、今、自分の置かれている。立場を忘れては、居ないだろうな」


「ええ」


「お前は、江戸での行いが悪く、目付に目を付けられて、ここで、謹慎を申し付けられたのだぞ」


「はい」


兵吾が背筋を正す。


「わしも次男だが、こうして兄上から、ここの代官をまかせられておる。

お主も真面目にしておれば、いずれは、ここの代官にもなれよう、兄上は、ああ見えて辻家の棟梁。

三男である。栄三郎も居るのだから、いざとなれは、お主に詰腹つめばらを迫る事もありえるぞ」


「分かっていますよ、父上は、お家の為なら、私も切り捨る事もいとわないでしょう」


「ならば、自重をいたせ」


「分かっています。昔から、私の本当の味方は叔父上だけです」


「本当か?」


平次郎は、少し安堵あんどした顔を見せた。


「儂も、若い頃は次男である自分を呪い、剣術にのめり込んで、己の腕を過信して、悪さをした時期があった。お主の気持ちも分かる。

いや、お主の剣は、儂も及ばない高い所にある。戦国の世であれば、どれ程、辻家の名を轟かせた事か」


「はは、誉め過ぎですよ、叔父上」


「さぞかし、お主にとって、今の世はつまらぬ事だろう。だが、自重いたせ、今は堪える時と、心得よ」


「分かりました。叔父上を、裏切る事は致しません」


「頼んだぞ」


そう言って、平次郎は落雁をまた一つ、口に放り込んだ。



三、


 代官所を出ると、兵吾の連れである。藤井継之助が待っていた。


「お代官の、説教は終わったのか」


兵吾は継之助を見やり


「ああ、」


「浮かない顔だな」


「叔父上の話しは、最もなのだ」


「静かにするのか」


「分かってはいるのだが、どうにもこれだけはな」


「たかりの事か、それとも立ち合いの事か」


「両方だ」


やまいだからな」


「父上達も俺を見捨て始めているし、今、味方は叔父上だけだ。暫くはおとなしくしよう」


「暫くだけか?」


継之助の言葉に、兵吾はうらめしそうに、にらみ


「剣豪ぶっている。侍を見ると、我慢がならんのだ。それに、遊ぶ金も欲しい」


「それなら、一度に大金を狙えば良いのでは」


「お主は馬鹿か、少しづつ絞りとるから、長く続くのだろうが、

大金だと金を隠すのも大変だしな、いらぬ、いさかいも起こす」


「そんなもんかね」


歩きだす兵吾に、縦之助が付いて行く



四、


 市の近くに宿を取ると、彦佐は近所に兵吾の探りを入れに出掛けた。

左近は、昼から干物をあてに酒を飲み始めた。窓を開けて、往来を見る。


「はあ、たまらんね」


市場の出た通りで、人の往来は多い。町人から侍、旅人や農民、色々な人が歩いている。

元来、左近は人を観察するのが好きだ。


まあ、職業柄の事もあるのだが、その中で一人、左近の目を引いた侍が居た。

着崩してはいるが、中々、良い服を着ている。精悍な顔つきをして、細身だが良い肉付きをしている。


「ただの浪人では無いな」


左近は目を細めて


「当たりかな」


向こうも、二階から見ている左近に気が付いた。

つかつかと、左近の下に歩みより


「旅人か?」


そう訪ねた。


「そうだ」


不思議な会話に、一緒に居た縦次郎が


「どうした」


兵吾は、縦次郎に振り替えると


「なぁーに、感が働くのさ」


そう言って、にやりと笑い、左近を見やり


「また、会えそうだな」


「そうだな」


返事を聞くと、兵吾はまた、往来を歩き出す。


「知り合いなのか」


「いや。ただ、強そうだ奴には種を蒔いておかんとな」



五、


 左近が、往来を眺めるのに飽きて、酒の酔いも随分と回ってきた頃、彦佐が、手土産の油揚げを持って帰ってきた。


「兄貴、」


「おお、彦佐、戻ったか、どうだった」


「色々と、辻兵吾の事を調べてきましたぜ」


辻兵吾は、この辺りを治める辻家の次男坊で江戸で暮らしいたのだが、色々と悪さをしでかし、謹慎の為に、辻家の領地である。


この地で暮らしているのだが、悪い癖が治らず岡っ引きである。富士丸も使って、悪さをしているというのだ。


まず一つ目は、用心棒代と称して商人達から守り代を徴収して、遊興ゆうきょうに使っている。

もし、断わる店があると、その店は罪を着せられて罪人が出たり。浪人達が来て騒いだりするそうだ。

その代わり。守代さえ払えば、何かあった時はちゃんと、揉め事を解決してくれる。


兵吾は、守代を徴収するに当たって、町に居た渡世人達を潰したそうで、

用は、今まではやくざに払っていた守代を、兵吾に払うようになっただけなのだが


「ほう、賢いやり方だな」


もう一つは、腕の達ちそうな侍を見つけると、なんくせを付けては、立ち合いをするそうなのだ。


「そんなに強いのか」


「何でも、御前試合に出場の声が、掛かった事もあるとかで」


「それで」


「結局、御前試合には出れなかったようなんですよ」


「なぜだ」


「何でも、御前試合に出る。大名の師範が、試合前に、若い兵吾を馬鹿にして、立ち会いを挑んで来たそうなをんです」


「ほーう」


「それを兵吾は、打ち負かしたそうなんですが、それを聞いた。弟子達が兵吾に闇討ちを掛けたそうなんです」


「それは、そいつ等が悪いだろう」


「それが、師範を破った時に、兵吾が師範の腕を斬ったらしくて」


「ふーん、やり過ぎだとは思うが、真剣の立ち合いとは、そう云う事だろう、加減できない時もあるしな、それで?」


「闇討ちを仕掛けた四人は、皆、斬られて、死んだそうです」


「そうか」


「それから、双方を擁護ようごする。大名側と旗本側の対立になったとかで」


「それで、御前試合に出れなくなったのか」


「騒ぎが大きくなったのを静める為に、兵吾は御前試合の出場停止、謹慎処分となったそうで」


「ふーん」


「それからは、ずいぶんと素行が悪くなったそうで」


「その時の恨みで、強い侍を見ると、立ち会いを仕掛けたくなるのかね」


「そうなんでしょうね」


「まあ、随分と危ない嗜好しこうだな」


「へたすると、死にますからね」


「しかし、そんな嗜好を持つと、刺激が強すぎて、止められなくなるぞ」


「だから、今も謹慎を命じられてここに居るんでしょう」


「まあ、刀使いとしては、ちょっとは理解出来そうな話しだ」


「そうなんですか」


「剣に生きる者は、多かれ少なかれ、狂人だからな」


左近は、彦佐の買ってきた。油揚げをつまんで酒を流し込み


「で、奴等は、俺を探しているのか」


「早速、奴等の、やさに探りを入れましてね」


「やさを見つけたのか」


「なぁーに、富士丸の野郎がすけに居酒屋をやらしていましてね、そこが、奴等の溜まり場ですわ」


「ほう、ほう、」


「足を斬られて、医者に行った後、そこで寝込んで、手下が、兵吾を探しに行ったんですよ」


「兵吾は来たのか」


「暫くして、半時前位ですかね」


「そうか」


「二人で表れましてね」


「やはり二人か」


 彦佐が驚いて


「はっ、兵吾を見たんですか!」


「外を見ながら酒を飲んでたら、それらしいのが通った」


「へー、」


「声を掛けられてな」


「強そうな侍を見つけたんですかね」


「目つきが悪かったのかな」


「それはありますね」


彦佐が皮肉り


「で、どうなんですか奴は、兄貴より強そうなんですか」


「どうかな、顔つきと体つきは良かったが、立ち会いは、やって見ないと分からんよ」


「そんな事、言って、いつも勝ちますよね」


左近は、笑みを浮かべて


養父おやじに随分としごかれてきたからな、簡単には負けられんさ」


「そんなぁ、才能もあるんでしょう」


「まあ、長い間、斬り合いしてきたからな、才能と云うより慣れだな。

慣れれば、相手の動きや太刀筋も読めるようになるしな」



六、


 兵吾達が、富士丸の居酒屋に着くと、すぐに手下の平六が寄ってきた。


「兵吾様、探したんですよ」


「何だ」


兵吾が、冷ややかに返事をすると


「富士丸の兄貴が、浪人に足を斬られたんですよ」


「ほう、」


奥の部屋に進むと、布団で富士丸が横になり。その脇には、もう一人の手下、小三次が控えていた。


「富士丸、えらい災難だな」


縦之助が声を掛ける。

富士丸は、包帯の巻いた太ももを出し、頭に濡らした手拭いを当てている。


「とんでもない話しですよ、久しぶりに、あんなに強い侍を見ました」


「誰に、やられたんだ」


兵吾の問いに


「市に居た。浪人です」


「浪人か、どんな?」


「中肉、中背で薄紫の羽織を着た。歳は四十絡みでしょうかね」


兵吾は、顎をさすりながら


「薄紫かぁ、」


縦之助がひらめいて


「さっきの」


平六が驚いて


「知っているんですか」


「まぁな」


兵吾は、にたにたとしながら


「こりゃあ、楽しくなりそうだ」


縦之助は、今の兵吾の立場を思い


「大丈夫なのか?」



「降りかかる火の粉は払わねばなるまいて」


そう言った。



七、


 次の日、左近は、朝から、宿から離れた人気の無い川辺で、釣りをしていた。

夕べから、見張りをしていた、小三次がすぐに兵吾に報告をし、兵吾達、三人がやって来た。

釣りをしている。左近から離れた。やぶかげで様子を伺う


「一人か」


「そのようですね」


「一人、連れが居ると聞いたが」


「居ないようですが」


「匂うな」


「誘いか」


「人気の無い所で、一人で釣りでわな」


「小三次、声を掛けてみろ」


縦之助の言葉に


「えー、嫌ですよ。あいつは、いきなり斬り掛かってくるような、奴ですよ」


「しょうが無い、俺が行くか」


そう言うと、兵吾はすたすたと左近の方へ歩きだして、声を掛ける。


「何を釣っている」


待って居たように、左近は振り向き


「なーに、達の悪い人斬りさ」


「ほーう、そいつは強いのか」


「どうだろうね」


左近は、竿を置いて立ち上がり、兵吾に向きあった。


「野郎、」


声を出して、小三次が駆けよろうとしたが


「痛っ、」


腿に、くないを受けて倒れた。


「馬鹿が、罠だと云うのに」


縦之助が叫ぶ

左近と兵吾は、向き合い、刀に手を掛ける。


「富士丸をやったそうだな」


「しつけの悪い犬だったからな」


「お主のように強そうな侍を見ると、わくわくするよ」


「立ち合いもしない内から、強いかどうか、分からんだろうが」


兵吾は、目をきらきらと輝かせて


「いや、強いな。立ち姿だけで俺には分かる」


「そりゃあ、どうもよ」


そう言いながら、右近は刀を抜く。

兵吾も刀を抜きながら


「今は、余り派手な事は出来なくてな、これは、稽古という事にしてもらえんか」


「いいだろう」


言い終わらぬうちに、兵吾は八相に構えると奇声を出しながら、斬りかかってきた。


「きぇーい」


鋭い太刀さばきで、何度も、斬りかかってくる。

左近はすんでで、かわしながら


「おいおい、示現流かよ」


器用に、かわしている右近に


「やっぱり、ただ者では無い」


「まあ、本物の示現流じゃ、無いからな」


兵吾は、八相の構えを止め


「ばれたか」


青岸に構え直した。


「今度は柳生の剣か」


言いながら、今度は左近から仕掛ける。踏み込んで、逆袈裟ぎゃくけさで斬りかかった。

兵吾は大きく身をそららして避けたが、


「つぅ、」


少し頬を切った。

左近は斬った後、身をひるがえして、再び横から斬ろうとしたが、兵吾に刀で受けられた。

鍔競り合いになった。


「本当に楽しいよ」


「そうか」


同時に押し返した。

兵吾が、今度は、正面の正眼に構えた。


「流石に、数はこなしているな、次は何流だ」


兵吾は、頬から流れる血を、拭きざまにぺろりとなめると


「次は本気だ」


素早く、斬りかかってきた。

左近が、その太刀を避けると


「またなっ、剣豪」


そのまま、走り抜けて行く


「縦之助、小三次、逃げるぞ」


「おい、待てよ」


「勘弁して下さいよー」


慌てて、縦之助と小三次も逃げ出す。


「なんだーっ」


左近が、あっけに取られていると


「変な奴ですね」


身を隠していた。彦佐が姿を表した。


「ありゃあ、ちょっと厄介やっかいだぞ」


兵吾達の後ろ姿を見ながら、左近が言った。



八、


 宿場の外れに、大きな料理宿が有り、そこが兵吾達の寝ぐらだった。


「兵吾様、勘弁して下さいよ」


「一体、どうしたのだ」


まだ息も調わぬ内から、兵吾は、二人に攻め立てられた。


「うーん、けはしたが、奴の太刀筋が見えなかったわ」


「本当か」


「兵吾様ほどのお方が」


息を整えた兵吾が


「まずは酒だ」


兵吾が大きく手を叩くと、暫くして、酒とつまみを持った女が現れた。

年の頃は三十路絡みの、妖艶と云う言葉が似合う、この宿の女将だ。


「お待たせ致しました」


盆を置き


「あら、斬られたんですか」


兵吾の頬の傷口に、手拭いを当てた。


「ああ、凄腕の剣豪が居てな」


兵吾は、手拭いを受け取り頬を押さえる。


「大丈夫だ。大した事は無い」


「そうですか」


そう言うと、女将は立ち上がり


「では、何かありましたら」


そう言って、立ち去る。

その後ろ姿を見つめながら


「相変わらずの、良い女っぷりですね」


小三次が言う


「それより、そんなに強いのか」


縦之助の言葉に


「ああ、あんなに強い奴は久しぶりだ。それに」


「それに、何だ」


「あんな、凄い奴が、只の浪人なんかじゃ、無いと思ってな」


「浪人じゃ無いと」


呑気に酒を飲んでいる。小三次に


「小三次、葉月を呼んで来い」


兵吾が言った。

小三次は酒をぐいっと飲み干し


「へい、」


と返事をし、領内の見廻り組与力の、葉月周蔵を呼びに行った。


「確かに、只の浪人が、あんな忍びを供に連れてはおらぬか、だとしたら」


「うーん、隠密の同心か」


「隠密の同心、勘定奉行支配の」



九、


 二人が酒を呑んでいると、小三次が、葉月周蔵を連れて来た。


「若、お呼びで」


五十絡まりの、中肉中背の男が膝まづく


「呼んですまんな、足を崩して、とりあえず飲んでくれ」


おちょこを、葉月に渡して酒を注ぐ


「忙しいのか?」


「まあ、ぼちぼちでございます。所で何の用でございますか」


「聞きたい事があってな」


「聞きたい事とは」


八州廻はっしゅうまわり事なのだが」


「はい」


「あれにも、隠密の同心が居るのか」


葉月は宙を見上げて、暫く考え込み


「断言は出来ませんが、町方にも居るのだから、八州にも居るでしょうな、何やら噂では人手不足と聞いております」


「やっぱり、腕は立つのだろうな」


葉月が思い出したように


「そう云えば、中に凄腕の隠密が居て、その者は与力扱いで、老中様、じきじきの支配下だとか、あくまで噂ですが」


「それか、」


縦之助が言った。


「見たのですか」


葉月が、驚いて言った。


「確かに凄腕だったわ」


「若、八州の隠密と、めるのはまずいですぞ、しかも、老中様。直々の手の者となると」


焦る葉月を、兵吾は、手で制止すると


「なぁーに、その為に確めたまでだ。もう、父上や叔父上に迷惑は掛けんさ」


そう言って、葉月に酒を注いだ。


「その言葉を聞いて、安心致しました」


葉月が胸を撫で下ろして、帰っていった。

二階の兵吾達の居る部屋で、その後ろ姿を見ながら縦之助が


「本当に引き下がるのか」


兵吾の方へ振り返った。


「そう云う事なら、余り派手な事は、できんだろう」


「そうなのだが」


そう答えながら、兵吾はにたりと笑い


「ただし、身を守る為に、間違って、斬るのは仕方がないだろう」


縦之助が、高笑いをしながら


「お主と云う奴は」



十、


 その後、兵吾は一人になりたいと、料理宿の中にある寝室に入った。

頃合いを見て、酒と食事を持ち、女将かやって来た。


「おせいか」


お静と呼ばれた女将は、兵吾の脇に座り。酒を注いだ。


「また、お侍と斬り合いですか」


「ああ、今度の相手は手強そうだ」


「もう、そんな事は、お止めになったら」


お静が、うるんだ目で見つめる。並みの男ならその目に堪えきれず、言う事を聞くのだが、兵吾は目を反らし


「病なのだよ、強い男と斬り合い、打ちのめしたいとな」


「そんな、命を掛けて、やる事ですか」


お静は、悲しい表情で


「もう、嫌ですよ。旦那様が変わるのは」


「お前は大丈夫だよ、俺が居なくてもやっていける」


兵吾の言葉を聞き、お静はじっと兵吾を見つめる。

それを見て、兵吾は酒を飲み干し


「そうだな、これのかたが付いたら、静かにしよう、父上達の目も光っているしな」


「頼みますよ」


そう言って、お静は立ち


「それでは、仕事が有りますので」


立ち去った。

元々、小田原で花魁をしていたお静を、小田原の材木問屋の主人が身上げをして、別宅のある秦野に置いたのだが

暇潰しに、料理宿をしていたお静を、兵吾が気に入り、宿ごとお静を買い取ったのだ。


それも身分に任せて脅したのではなく、相場の三倍もの金を支払ったので、その話しは小田原でも持ちきりになった。

それがあったからなのか、お静は兵吾に尽くしていた。



十一、


 泊まっている宿の前に、毎日のように夜泣き蕎麦の屋台が来る。そこで、彦佐は漬物をつまみに酒を飲んでいる。


「今日は、お連れの旦那は来ないんですか」

 屋台の主人の問いに


「今日は、部屋で一人で、気を練るそうだ」


「気を練る?」


「まあ、一つの鍛練でさ。とって置きの感を取り戻す為の」


宿の部屋では、左近が一人。蝋燭ろうそくの前で長い間、黙祷もくとうをしていた。

そして、きっと、目を開けると、今度は片膝で刀に手を掛けて、じっと蝋燭の炎を見つめた。ゆっくりと息を吐き、その刹那、刀で蝋燭の炎を斬った。

切っ先に炎が残るのを確認して、すぐに刀を回して、水の張った皿に炎を落とした。


「大丈夫そうだな」



十二、


 次の日、左近は彦佐を使いに出し、兵吾を呼び出した。

兵吾は縦之助、小三次、平六の三人を従えて待ち合わせ場所である。町外れの川原に現れた。


「あんた、隠密与力なのか」


開口一番に、兵吾が聞いた。


「大した、探索力だな」


左近が笑いながら答える。


「これは私闘だろう?」


「どうした。身内に迷惑が掛かるのを心配しているのか」


「まあ、そんな所だ」


「ここは、お主の父の領地ではあるが、手下を使い、領民を苦しめているのは、公儀の隠密として捨て置けぬ」


「そうだろうな、理解できるよ、俺は斬られても文句は言えぬ。

だから俺が負けた時は家には何のおとがめも無しと、約束してくれるか」


「そこまでして、俺とやりたいのか」


「何だろう、次男坊で、家にも、さして必要とされずにどうしようも無い俺だが

せめて最後は、強い男と戦って死にたいのだ」


「お主が勝ったら」


「また、強い男を探すさ」


「つまらん人生だな」


「そうだな」


兵吾が刀を抜き、正眼に構える。


「それが、元々の構えか」


「もう、まやかしは効かなそうだからな」


左近も刀を抜き、正眼に構える。二人はじりじりと間合いを詰めながら、右回りに回っていく


「せいっ、」


頃合いを見て、右近が上段から打ち込んだ。その切っ先をかわしながら、兵吾が刀を横に振った。


「くうっ、」


左近は、かわしはしたが、頬を少し切った。


「早いな」


この間の立ち会いより、あきらかに、兵吾の太刀筋たちすじが早い


「これで合いこだな」


にたりと兵吾が笑う

それを見て、左近もにたりと笑い、兵吾の持つ刀をまじまじと見つめる


「なるほど、そうきたか」


そして刀を少し下げて、深く深呼吸をした。


「隙あり」


兵吾が斬りかかってきた。

と、同時に、左近は踏み込んで、兵吾の胴を抜いた。


「ぐぉっ、」


脇腹を斬られた兵吾は、信じられないと云う表情で左近を見た。


「細身の刀で、速さは増したが、その分、油断したな」


深く斬られているので、助からないと自覚し、もうろうとした兵吾は、笑みを浮かべ


「始めてだよ。こんなに強いのは、流石だ。隠密与力」


そして、倒れながら


「すまんな、お静」


そう言った。


「兵吾、」


縦之助が駆け寄り、兵吾を抱えた。だが、縦之助の顔を見て、すぐに兵吾は事切れた。


小三次、平六も駆け寄る。


「先程、兵吾も言ったように、これは私闘だ。二人が斬り合い、一人が死んだだけだ。ねんごろに弔ってやれ」


そう言って、彦佐を引き連れ、左近が去ろうした時


「野郎、」


小三次が、どすで左近に斬りかかろうとしたが、縦之助がその手を押さえ


「やめろ、無駄死にだ」


小三次を止めた。



十三、


 次の日、左近達は宿を引き払い、江戸へと旅立った。

宿場を歩いて居ると、一人の女が左近達に近付いて来た。お静である。

お静は左近の前に立ち、軽く会釈をした。


「初めまして、あなたが隠密与力様ですか」


左近は少し身構えて


「そうだが」


「あなたに斬られた。辻兵吾のめかけです」


彦佐から聞いて、予想はしていたが


「そうか」


左近が答えた。


「あなたに旦那を斬られて、これからどうして良いか、困っています」


「それで?」


「これからは、あなたが私の面倒を見て貰えませんか」


うるうるとした瞳で左近を見つめる。


「なるほどな」


左近があごに手を置く、その様子を見ながら、お静が


「とりあえずは、私の料理屋で酒でも飲みながら、これからの話しをしませんか」


お静の誘いに、左近は少し間を置き


「やめておこう、江戸に、やきもち焼きの妻が居てな、妾を持とうとは思っておらぬ。

それに油断をして、毒でも盛られたら堪らぬからな、行くぞ彦佐」


左近は、お静を避けて、歩き出した。

その様子を、ひやひやしながら見守っていた彦佐も、お静を横目にしながら付いて行く、

お静は、歩き出した二人の背中を見つめて


「あんた、ごめんね。かたきは取れなさそうだよ」


そう言った。


その様子をずっと伺って居た縦之助が、お静に近付く


仇討あだうちに失敗したか」


お静は、縦之助を見て


「あら、親友の仇討ちもせずに、見ていたのですか」


皮肉まじりに言った。

縦之助は、ため息を吐いて


「そうだな、奴とは若い頃から、ずっと一緒だったからな、駄目もとで、奴に斬りかかる位の義理はあろう」


左近達の背中を、見送りながら言った。


「だがな、兵吾に頼まれた事があってな、」


「何を?」


「もし、兵吾が斬られても、俺やお静には仇討ちなど思わぬようにと」


「どうして」


「俺は好きで、斬り合いをして死ぬのだから、お静には俺の分も長生きして欲しいと、その分の金は残して置いたつもりだと」


確かに、兵吾はお静に金の隠し場所を教えていた。

見えなくなった。左近達の方をじっと見つめながら


「勝手に決めて、勝手に死んで」


立ち尽くす。お静の頬を涙が伝った。



十四、


 左近と彦佐は、江戸へと向かい歩いて行く


「兄貴、怖かったですね」


「ああ、必死に殺気は隠していたがな、ありゃあ、とこが終わってから、刺すたぐいだな」


「でも、そこまでは乗っても、良かったんじゃ無いですか」


「旦那に対する忠節だ。命を賭けた者を、もてあそぶ気にはならんよ」


「兄貴、格好いいですね」


「いやぁ、実際、やばかったよ、あの女の目、見たか」


「やばかったですね、俺なら、あのとろんとした目にやられてますよ」


「ふう、寒い、寒い、身震いがするぜ」


そう言って、右近は身体をさする。


「茜様に会いたくなったんじゃ無いですか」


「そうだな、早く江戸に帰りてーよ」


「兄貴、そういう所は素直ですね」


「やっぱり、霞が一番さ」


「あーあ、八州一の剣豪がのろけてるよ」


左近は笑いながら


「八州一かどうかはわからんぞ、今回もたまたま勝っただけだ」


そして、彦佐に振り返り言う


「さあ、帰るぞ、彦佐」


「はい、兄貴」


彦佐は答えて、足早になった。

東海道を江戸に向かう二人を、春のやさしい風が包む。

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