第16話 当たり屋

一、


「きぇーい!」


 朝から左近邸の庭では、左近達のかなきり声が響いていた。

左近と柳生慶之助は木刀での打ち合いをしている。


「はぁーっ、」


慶之助の斜め上段からの鋭い打ち込みが左近に襲い掛かる。

左近はそれを受け止めて、ぐっと溜めると木刀で慶之助を押し返した。


「待った」


左近が打ち合いを止める。

慶之助は頷いて木刀を降ろした。

左近は息を整えながら


「又、腕を上げたな慶之助殿」


「恐れ入ります」


慶之助も息を整えながら頭を下げる。


「いや、うかうかしてると打ち負けそうだよ」


「打ち込みが前よりも素早く、力強くなりましたね」


二人の様子を見ていた彦佐も口を挟む


「そうだな、踏み込みが速くなって、力も乗っている」


そう言って左近は縁側に座った。


頃合いを見て、奥から霞がお茶と菓子を持って現れた。


「どうぞ、慶之助殿」


慶之助にお茶と羊羹の乗った小盆を差し出す。慶之助をそれを受け取りながら


「疲れた時に甘い物は助かります」


「甘い物。好きですものね」


「この羊羹が旨いんだよ。なっ、彦佐」


「はい」


貰った羊羹を頬張りながら彦佐が答える。

しばらく四人で談笑をした後、慶之助は去って行った。


「随分と修練に励んだ見たいですね」


「この間、陰流の達素小三郎に負けたのが悔しいと言ってましたからね」


霞の言葉に左近は


「それにしても、すご凄い上達だ」


そう言って、慶之助が去って行った木戸を見ながら


「いやー、慶之助殿を見ていると修練だけではたどり着けない物があるんじゃ無いかと思えてくるよ」


「さすがは尾張柳生」


「慶之助様は嫡男では無いんですよね」


「しかし、尾張柳生の血を一番受け継いだのかもな」


「慶之助殿は江戸に来て、左近様に会えて良かったと申しておりました。良い師匠に出会えたと」


「えっ、俺が? 俺は慶之助殿の師匠じゃねぇぞ」


霞は笑いながら


「いえ、一番為になる師匠だと申していました」


「反面師匠ですね」


彦佐の嫌みに


「彦佐、てめぇ。木刀を持て、鍛えてやる」


「勘弁して下さいよ。刀の勝負で兄貴に叶うわけ無いでしょう」


「そうですよ。意地悪は止めて下さい。それに」


「それに、何だ」


左近が霞に振り返る。


「反面師匠は合っていると思います」


「何だよ。霞も彦佐の味方かよ」


霞の言葉に左近は肩を落とした。



二、


 住まいにしている宿への帰り道。慶之助が歩いていると、往来に人だかりが出来ていた。


何かと慶之助も人だかりに入って行く、見ると侍が二人。十を越えた位の男の子とそれよりも少し小さい男の子を攻めたてている。


「やい、小僧。早く親を連れて来い」


「早くしろ」


「どうか、許して下さい」


二人は手を付いて、謝っている。

見かねた見物人が


「もう、許してやれよ」


声を挙げると


「誰だ。今、言った奴は出てこい!」


侍の一人が見物人の方へ怒鳴りつけた。


「私です」


慶之助が前へ出た。

言ってはいなかったが前に出た慶之助は


「こんな子供を相手に恥ずかしいと思いませんか」


「何だと」


侍、二人が慶之助に詰め寄る。


「誰だ貴様は」


「柳生慶之助と申します」


慶之助の言葉に


「このガキは武士の魂である刀にぶつかって来たのだぞ」


侍の一人が


「柳生?、あの柳生か」


「はい、尾張柳生の者です」


「柳生なら引くと思ったか」


「我らは水戸の者だ」


「柳生は尾張藩の家臣、こちらの宮坂殿は水戸藩主様の御親類だぞ」


「いえ、水戸藩にケチを付けるつもりはありませんが、余りに恥ずかしいかと」


「何だと、ガキでは話しにならぬから親を呼んで来いと話しておるのだ」


「親を呼んでどうするのだ」


別の侍が話しに割り込んで来た。

皆が振り返ると、人混みをかき分けて三十絡みの身なりの良い、堂々とした侍が現れた。


「誰だ貴様は」


「私の名は柳沢半兵衛だ」


「何、柳沢半兵衛?」


水戸藩士の一人が宮坂と呼ばれた侍に耳打ちする。


「柳沢半兵衛とはあの口伝会の半兵衛では無いのか」


「何だと口伝会か」


口伝会には旗本の子弟も多く在籍しており、大名との繋がりも有り、御三家の水戸藩でも迂闊には手を出せない


「口伝会の柳沢なのか」


「そうだ」


「その柳沢が何の用だ」


「その若侍の言う通り、みっとも無いと思ってな」


「何だと」


「水戸藩に逆らうのか」


「水戸藩の者なら、なおさらだ。御三家の者として民に好かれるように範を示さねばならぬと思うが」


「そうだ。そうだ」


民衆の中からも声が上がった。


「くそっ、舐めやがって」


宮坂が刀に手を掛けたが


「止めておけ、奴は凄く腕が立つとの噂だ」


「くそっ」


宮坂は刀を収めて


「この刀は藩主様から頂いた我が家の家宝だ。それにこのガキはよそ見をしてぶつかってきたのだぞ」


その言葉を聞き、半兵衛は


「家宝を持ち歩くな。家に飾って置く物だぞ」


「何を」


顔を付き合わせる二人に慶之助が割って入る。


「分かりました。私が良い鞘師さおしを紹介しましょう。勿論、費用は私が持ちます」


「ふざけるな、儂は乞食では無いぞ」


「そうだ。水戸藩を愚弄するのか」


「そうは言ってませんよ」


半兵衛は慶之助を制止して


「もう良い。言っても無駄だ。これは喧嘩として私が買おう。武士ならば刀で決着を着けようでは無いか」


「ここまで舐められては儂も面目が立たぬわ」


宮坂が刀を手を掛ける。


「お若いの、子供らを下がらせろ」


慶之助に子供らを下がらせると半兵衛も刀に手を掛ける。取り巻く野次馬達の輪も広がった。


刀を抜き、正眼に構えた宮坂に対して半兵衛は刀に手を掛けたままである。


「抜かぬのか」


宮坂がそう言った一瞬だった。半兵衛が宮坂の脇を素早くすり抜けた。


「何、」


周りの者が驚いた時には宮坂の肩の辺りが少し斬られた。


つぅ


肩を押さえて宮坂が振り返る頃には半兵衛は刀を鞘に収めていた。


「水戸藩には知り合いも居るので、敬意を払い加減をした。本気ならばお主はもう斬られている」


皆が驚いたが、宮坂が一番驚いている。

(こやつには叶わぬ)


「恭之助」


もう一人の水戸藩士の言葉に


「ふん、今日の所は勘弁してやろう、いくぞ」


二人はそそくさと消えていった。二人が消えていくと


「お見事」


「素晴らしい」


「素敵、」


と周りから歓声が上がった。

慶之助も拍手をして半兵衛に近寄った。


「ありがとうございます。助かりました」


半兵衛はにこりとした顔を見せると、男の子らに近より


「今日はひどい目に合ったな。これからは良く周りを見て走れよ」


そうして兄に方に小遣いを渡すと


「何か、菓子でも買って帰れ」


 と言った。


「助けて貰い、ありがとうございます」


兄弟は半兵衛、慶之助に頭を下げて、小遣いに握り嬉しそうに帰って行った。

それを見送って半兵衛は慶之助に向き直り


「尾張柳生と言っていたが、柳生兵庫助様の知り合いか」


「はい、兵庫助は私の祖父でございます」


「何と、兵庫助様のお孫殿か!お会いした事は無いが、昔から兵庫助様の噂を聞き尊敬をしていた。是非ともお話を聞きたいのだが」


「はあ、」


「近くにぜんざいの旨い店を知っている。ご一緒にどうか」


「うーん、」


慶之助の困った顔に


「何か、まずい事でも」


半兵衛の問いに、慶之助は


「私は直方左近様と懇意にしております。口伝会の柳沢様は左近様と因縁があると聞いております」


半兵衛は驚き


「何と、左近と親しいのか」


顎に手を置き、考え込んだが


「その事が私とそなたの仲を裂くような事とも思えんが」


「そうですか」


慶之助がそう返事をすると


「さぁさぁ、お代は私が出すので、それとも甘い物はお嫌いか」


「いえ、甘い物は大好きです」


慶之助が半兵衛に付いて行く

茶屋に着くと奥の座敷に通された。


「座敷なんですね」


「ここは要人などが忍びで来れる茶屋なのでな」


「高級茶屋ですか」


「まあ、そうだな」


座敷に入ると、半兵衛は慶之助に席を勧めて


「酒なども飲めるが」


「いえ、酒は遠慮しておきます」


「そうだな」


半兵衛はぜんざいを二つ頼んだ。


「江戸には修行に」


「はい、江戸は日の本一の剣豪が集まる所。一度、来てみたいと思っておりました」


「尾張柳生と江戸柳生は仲が悪いと聞いたが」


「祖父が昔、宗矩公と揉め事があった聞きますが、それも身内の事。今は特に行き来の出来ない間柄でもありません」


「そうか、噂が大きくなったのか」


「只、双方共に柳生の一番は我が方との思いはあるやもしれませぬ」


「そなたもそう思うのか」


半兵衛の問いに、慶之助は笑って


「私は、まだまだ修行中の身ですから、そのような考えはありません」


「そうだな、修行中は己の事で頭がいっぱいだ」


「でも、江戸に来て左近様に出会えて良かったです」


「どうしてだ」


「今まで見たことの無い、剣豪に出会えました」


「ほう、確かにあいつは珍しいが」


「あんなに強いのに謙虚でふざけていて」


「確かにふざけている」


「剣の事を聞いても、未だに分からぬと」


「剣の道は難しいからな」


「幼い頃からずっと剣の修行をして、数々の修羅場をくぐって来たのにですよ」


「ふーむ」


半兵衛は顎に手を当てて考え込む


「奴は仕事柄も斬り合いが多いしな。確かに、あやつ、腕がある割には姑息な手を使ったりするな」


「その事を尋ねた事があるのですが」


「ほう、何と」


「やっとなのだと」


「やっと?」


「剣豪のふりをしてはいるが、実は弱いのだと、だから、仕方なくと」


「弱くは無いだろう。奴の太刀筋は面倒だ」


「そうですよね。それに、一々、まともに構うのも面倒臭いと」


「それが、本音だろう。ふざけた奴だ」


「まあ、ふざけてなければ、斬り合いなどやってられぬと」


「んー、確かにな」


「半兵衛様は、今までそんな剣豪に会った事がありますか」


「確かに、あんな奴は初めてだ」


「そうでしょう」


二人は運ばれて来たぜんざいを頬ばりながら笑い合った。



三、


「はっくしょん」


左近は道の真ん中でくしゃみをした。


「誰かが噂をしてやがるな」


彦佐と二人で、頼んでおいた着物を取りに言った帰りだ。


「はっくしょん」


左近がもう一度、くしゃみをする。


「悪口だ」


「何を一人でぶつぶつ話してるんですか」


彦佐の言葉に


「何でもねぇよ」


ぶっきらぼうに答えて歩きだす。

前方に人だかりが出来ている。


「どうした」


左近達が近寄ると、二人同士の侍がいさかいを起こしている。


「当ててはおらぬ」


一人の侍の叫びに


「どうした」


左近が脇に居た行商人に聞いた。


「何でも刀に鞘当てをしたと騒いでいるんですわ」


「ふっ、くだらねぇ」


左近は吐き捨てて、様子を伺った。


「我らは水戸藩士だ。お主等は何処の藩の者だ」


「我等は」


相手の侍は少し、言葉が詰まらせてから


「松川藩だ」


「松川、聞いた事が無いな。外様か?」


「これは水戸藩主様から拝領した由緒ある刀だぞ」


もう一人が叫ぶ


「そんな刀を持ち歩くんじゃねぇよ」


思わず左近が言葉を洩らした。


「おい、相手が悪いぞ」


答えた侍の連れが袖を引いた。


「しかし、鞘当てはしておりませぬぞ」


「もう、よい」


そう言って、連れの侍は前に出て


「すみませぬ、こちらの不手際でした。謝りまする」


もう一人の頭を掴んで二人で頭を下げて


「これは、些少ですが詫び料です」


と金を握らせた。


「んっ、」


握った金を見て、連れの侍と目を合わせると


「どうする」


「まあ、悪気があってやった事で無いとして、今日の所は許してやったら、どうだ」


「そうだな」


「かたじけない」


松川藩の二人がそうそうと立ち去った。

その様子を見た水戸藩士、二人は満足そうに顔を合わせて


「見せもんじゃねぇぞ、どけどけ」


人混みを掻き分けて歩きだす。


「あの水戸藩士。また、やっているぞ」


「この間、口伝会の柳沢に注意されたと言うじゃねぇのか、懲りねぇな」


「ありゃあ、当たり屋だな。たちが悪い」


人足達の会話を聞いて、左近は


「ふん、ふん、なるほどな」


つかつかと前に出て行き水戸藩士に体にぶつけた。


「何奴だ、」


大きく弾けとばされた水戸藩士が叫ぶ


「ああ、すまん。すまん。よそ見をしていたものでな」


転んだ水戸藩士に手を伸ばした。


「貴様、宮脇殿に何をするのだ」


「怒ったか」


「怒ったも何も只では済まさぬ」


宮脇の言葉に


「そうか、謝ってもだめなら、武士もののふ同士。立ち合いにて勝負をつけましょうか」


「何だと、宮脇殿の刀は水戸藩主様から拝領した刀だぞ、御三家を愚弄するのか」


「なんと、それはまずいですな」


すかさず近寄ると、刀の柄で宮脇の供の侍のみぞ打ちをして気絶させると、宮脇を引き上げて刀を抜きさり


「彦佐、水戸藩主様。御拝領の刀だ。大事に持っていろ」


彦佐に預けた。


「はい、兄貴」


彦佐が、かいがいしく受け取った。


「貴様。大事な刀に何をするのだ」


「私の田舎ではこういった場合は真剣での立ち合いになるのです」


「何を訳の解らぬ事を」


「だが、流石に水戸藩主様御拝領の刀と戦う訳には参りませぬ」


そう言って、左近は自らの刀を差し出した。


「私の胴田貫です。お使い下され、私は脇差しで十分ですので」


「なっ、なっ、」


驚いている宮脇に


「ささ、私は主君を持たぬ浪人者ですので、遠慮なさらずに」


「くそっ、許せぬ」


刀を受け取って、斬り掛かってきた宮脇を、左近はするりと躱して


「腰が入って無いな。もっと、本気で掛かって来い」


「何を、」


宮脇が上段から、もう一度左近に斬り掛かってきた。


左近が紙一重で躱すと、後ろに周り込み、脇差しの峰打ちで宮脇の肩を思い切り叩いた。


「つぅ、」


宮脇が刀を落として、かがみ込んだ。


「あーあ、大事な胴田貫を落としやがって」


左近は刀を拾い、宮脇を見た。


「ぐぉっ、」


宮脇がのたうち回っている。


「肩の骨が外れたか、それで済めば良いが」


振り返り、彦佐を見て


「彦佐、刀、持って来い」


「へい」


大事に持っていた刀を彦佐が左近に渡す。

それを左近が受け取り


「ほい、大事な刀を返すからな」


宮脇の前に刀を置いた。


「水戸藩主様から御拝領した刀は家に飾って置いた方が良いぞ。それと、水戸藩士ならば幕府側の人間として皆に好かれるようにするべきだな」


そう言うと


「彦佐、帰るぞ」


彦佐を連れて、去って行った。


 それから程なくして宮脇は当たり屋の所業が水戸藩主の耳に入り、謹慎の処分を受け水戸に帰された。

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