第15話 鵺
一、
晴れた日なのに芯まで冷える。凍える冬の風が吹く午後だった。
霞に使いを頼まれ、買い物に出掛けた彦佐が飛ぶように帰ってきた。
「兄貴、」
玄関を駆け上がると、左近の居る客間に飛び込んだ。
「何だよ騒がしいな。危ねぇだろ」
左近は愛刀の手入れをしている。
彦佐は左近の前に座り込むと
「大変です。兄貴、
左近は磨いた刀を眺めながら
「何だよ。鵺って」
「鵺と言う呼び名の忍びです」
「忍びねぇ」
「狙われたら助からないって有名な、最強の忍びです」
「最強ねぇ」
愛刀を見るのに必死で、うわの空の左近が生返事をする。
「兄貴、刀磨いてる場合じゃ無いですって」
「大事だろ、刀磨きは、
彦佐の言葉に左近がむきになって答える。
そんな左近の姿を見て彦佐はため息を付いて
「石井様が侍の死神なら、鵺は忍びの死神なんです。狙われなら助からないと有名なんですよ」
「ああ、石井殿か、懐かしいな、元気かな。おりゃあ、あの人より強い侍。見た事ねぇぞ」
刀を置いた左近は落雁を口に放り込み、呑気にお茶を啜っている。
「兄貴、ふざけてる場合じゃ無いですよ」
左近は笑いながら彦佐に向き直ると
「そうだな、使い手の忍びが狙っていると知ったのは良い事だ。しかし、いつ来るか分からんものをじっと待っても居られまいて」
そう聞いて彦佐は頷き、考え込んで、手を叩いた。
「とりあえず今日からあっしが泊まって、兄貴の横に寝ますか?」
左近は眉をしかめて
「やだよ、茜が寂しがるだろう。それに」
「それに?」
「俺が霞と仲良くできなくなる」
「はい」
彦佐は左近の気持ちを察した。
「しかし、どうしますかね」
「まあ、忍びとは何度も戦った事もあるし、後は固く戸締まりしとけば大丈夫なんじゃ無いのか」
「昼間はあっし達が居るので守れると思うんですが」
結局、彦佐は屋根裏や床下に撒き菱や鳴り鈴を付けて、更に入れないように厚い板を打ち付けた。
「後は」
左近が寝る寝室の枕元に投げる為のくないやら、毒の解毒剤を置いた。
「これだけやりぁ、大丈夫だろ」
左近も納得をした。
「外に出掛ける時は暫く、あっしが付き添いますので」
「そうか」
二人は万全の体制を整えた。
二、
それから十日が過ぎ、二十日が過ぎたが鵺は現れなかった。
「諦めたのか」
左近の言葉に
「そんなに簡単に最強の刺客が諦めるとは思えませんが」
彦佐が答える。
「今さらだが、しらせは確か何だろうな」
「はい、柳生の
「そうか」
左近は顎に手を置き腕を組むと
「所で何で鵺って、名なんだ」
「誰も素顔を見た事が無いそうで、殺した時に奇妙な叫び声を挙げるとか言われています」
「ふーん、得体の知れない者なのか、何だか面倒臭せぇな」
それから三日経って、村山角之進がやってきた。
角之進は老中、土屋相模守の配下で、直属の隠密である左近との連絡係である。
「どうした。お役目か?」
左近の問いに角之進は
「いえ、会津から酒が届いたので左近様にも持って行けと殿が」
「いつも、すまんな」
角之進は酒を渡すと
「所で来る途中に蕎麦屋ができましたな」
「蕎麦屋、何処に?」
「屋台なんですが、桔梗屋の脇の柳の所です」
「桔梗屋!すぐ近くじゃ無いか」
「左近様は蕎麦好きなので、てっきり、もう食べていらっしゃるかと」
「いや、いや、食べてない。食ってみたいな」
「行きますか、評判も良いようで、私も食べて見たいのです」
「そうだな」
言った後で左近は悩み込んだ。
「んー、」
「何か」
「実は最近、俺を狙っている刺客が居てな。外に出る時には彦佐と一緒にと言われているのだ」
「左近様。狙われているのですか」
「まあ、狙っていると言われてからもう二十日以上も経っているのだがな」
「それは、
言った後に角之進は息を吐き
「しかし、左近様と彦佐殿の最強の二人を狙うとはどんな奴なのですか?」
「鵺とか云う最強の忍びだとか」
「
角之進は思いを巡らし
「ああ、お庭番から聞いた事があります。狙った獲物を必ず仕留めるとか」
「そんなに有名なのか」
「恐らく誇張されていると思いますが、油断は出来ませんな」
「でも、食いたいな」
「いや、止めて置きましょう。相手が
「何だよ。結局、食えねぇのか、鵺の野郎。ゆるさねぇよ」
三、
角之進が帰り、半刻程過ぎてから彦佐達が帰って来た。
「左近様。好きな、いなり買って来ましたよ」
霞が左近にいなり寿司を差し出す。
「ああ、今は蕎麦が食いてぇんだよ」
いなりをつまみながら左近が言う
「蕎麦なら食って来ましたよ。そこの桔梗屋の所に屋台があったんで」
彦佐の言葉を聞いて左近は驚いて
「何だよ。彦佐が来たら、一緒に行こうと思っていたのに」
「すいません」
彦佐が謝る。
左近はがっくりと肩を落として
「蕎麦、旨かったか」
「ええ、きつねを食べたんですが、でっかい揚げが乗ってましてね」
「彦佐!」
茜が気が付いて彦佐を突ついた。
「良かったな」
左近の寂しそうな顔に
「兄貴、明日。みんなで行きましょう」
彦佐が言ったが、左近は座り込んで一点を見つめ
「畜生、鵺の野郎。人の楽しみ奪いやがって、絶対、ゆるさねぇからな」
歯ぎしりをした。
四、
その日も朝から霞や楓、彦佐が出掛けていた。左近は相変わらず留守番役だ。
陽当たりが良いので縁側であぐらをかき、ぼーっとして、流れる雲を見ている。
「今日は暖かいな」
「左近様」
左近が驚いて、声の方を見ると、庭に入る板戸の所に村山角之進が立っている。
「おう、角之進か、入れよ」
「はい」
角之進は中に入ると、持って来た手土産を差し出す。
「酒を又、持って来ました」
「二回目とは珍しいな」
「随分と送ってきたようで」
酒を渡して、今度は風呂敷を広げて和紙の包み紙を取り出し、それも広げた。
「落雁も買って来ました。一緒に食べましょう」
「おお、そうか」
左近は喜んで落雁を一つ摘まんで口へと運んだ。
「そうだ。お茶を入れよう。そこに座ってくれ」
角之進を縁側に座らせて、左近は奥に茶を入れに行った。
「すいませぬ」
角之進は落雁を座った脇に置いた。
奥から茶を入れた左近が戻って来た。
「ほら」
角之進にお茶を差し出して、その隣に座った。
「旨いな。この落雁」
「そうでしょう。美味しいと評判の落雁です」
お茶を啜る左近に
「沢山、食べて下さい」
「大きさも、大き過ぎずに丁度良い」
左近がもう一つ、落雁を取った。
そして、その落雁をまじまじと見ながら
「今、素振りをしていてな」
角之進は置いてある刀を見て
「真剣で、ですか」
「ああ、」
左近は角之進へと向き直り
「久しぶりに見てやろうか、貴殿の素振りを」
「私のですか?」
「前はよく見てやったよな。変な癖があるって」
「そうですね」
角之進は立ち上がり、刀を抜いた。
「振ってみろよ。見てやるから」
言われた通りに角之進を刀を一度、ゆっくりと振った。
「おう、良いな」
左近の言葉に更に二度、三度と振った。
「良いぞ」
言われた角之進は左近の方を見た。
左近は頭を下げて、うなだれている。
それを見た角之進は左近の方へと進んで、振り上げた刀を左近に振り落とした。
だが、左近の姿は消えて、振り落とした刀は縁側の板に刺さった。
「何、」
角之進が気配のする右の方を見ると、刀を持った左近が立っている。
「色々、考えて見たよ。俺が刺客だったら、用心している相手をどうやって倒すかと、
相手が待ちくたびれて、忘れた頃が良い。
しかも一人の時を狙って、親しい人間に化け、相手に近付き毒を盛る。
それなら、相手が腕が立とうが関係ないなと」
角之進は驚き
「気付いて居たのか」
左近はにやりと笑みを浮かべて、手に握った落雁を二つ、見せた。
「食ってないんだ」
「ふん、何故、分かった」
「角之進は汗っかきな男でな。結構、体が匂う。それは冬でもだ」
左近は日輪を見上げて
「今日は陽気が良く暖かい」
角之進に目を戻して
「なのにまったく、匂いがしない」
「ふん」
角之進は鼻を鳴らした。
「冬だからなのかとも思ったが、一つ試して見た」
「試した」
「角之進と木刀で立ち合った事はあるが、真剣の素振りを見てやった事は無い」
「くそっ、」
角之進は刀を変形の上段に構えた。
「貴様が鵺か」
忍びが良く構える刀の型に左近は確信した。
「きぇーい、」
奇妙な掛け声と供に鵺が斬りかかって来た。
左近はそれをするりとかわした。そして、刀を抜いた。
「毒も使えず。刀での勝負。貴様に分は無いと思うが」
「舐めるな」
鵺は懐から灰を出して、左近に振りかけた。
だが、左近は驚きもせずに袈裟斬りで斬り込んだ。
鵺は下がって、それを避けて上段から左近を斬ろうとしたが、左近は更に進んで逆袈裟で鵺を斬った。
「ぐぉっ、」
腹を斬られた鵺が倒れた。
荒々しく息を吐きながら、必死に被った化けの皮を剥がしている。
「それが本当の顔か」
その様子を見ていた左近が呟く、細い目でのっぺりとした顔をしている。
その内に鵺は息絶えた。
「最後は本当の顔で死にたかったのか」
五、
左近と彦佐は浅草の、前に無縁仏として弔った荒木竜之進の墓の前にいる。
その隣に鵺を弔った。
「荒木竜之進はまだ分かりますが、忍びの鵺まで弔う事は無いんじゃないですか」
彦佐と問いに、左近は笑みを浮かべながら
「虎殺しで有名になったが、今度は鵺殺しで有名だ。祟りがあると嫌だからな」
「そんな。理由なんですか?」
左近は鵺の墓に手を合わせて
「お役目柄、常に死と隣合わせだ。一対一の勝負で勝った者が負けた者を弔う位の情けは良いだろう」
「そういう事なんですか」
左近の言葉に彦佐が妙に納得をした。
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