第13話 仁之助

一、


 左近と彦佐は大池でなまず釣りをしている。


「全然。釣れませんね」


「もう、昼になっちまうぞ」


「ぴくりともしませんよ」


「彦佐が、大きな鯰が釣れるって言うから、ここまで来たのによぉ」


えさが悪いんですかね」


彦佐が竿を上げて、餌のみみずをまじまじと見る。

その時だった。左近が


「んっ、」


「どうしたんですか」


彦佐の問いに


「声がするな」


彦佐は耳をすまし


「争っている声ですね」


左近は竿を置き、立ち上がると


「釣りも飽きたし、行ってみるか」


「えっ、私も行きますよ」


声は、奥の雑木林の方から聞こえる。

左近達が向かうと、十代中ばの若い侍が、

二十位のおそらく、旗本の子息であろう。

派手な格好をした二人組にからまれている。


「おい、お前。早くあやまれよ」


「そうだ。早くあやまらないと、後悔をするぞ」


と若い侍を責め立てている。

若い侍は


「私は当てていません」


と必死に訴えている。


「どうしたんだ」


左近が声を掛けると、三人は振り向き


「何だ。お主は」


派手な格好した侍の一人が答える。


「どうしたと聞いている」


左近の威圧に派手な格好をしたもう一人が


「この者が、兵馬殿の刀に鞘当さやあてをしたのだ」


そう言われて、左近が若い侍の方を向くと


「私はしていません。そちらが、わざと当てて来たのです」


左近が派手な二人を見る。

すると兵馬と呼ばれる侍が


「私が嘘をついたと言うのか、嘘をつくと為にならぬぞ」


「嘘ついたんじゃねぇのか」


左近の言葉に


「お主はいったい何なのだ。関係無いではないか」


「俺は通りがかりの善人だ。嘘をつく奴は容赦ようしゃしない」


そう言って刀に手を掛けた。

すると、もう一人の派手な侍が


「兵馬殿は陰流の免許皆伝だぞ」


左近は驚き


「はっ、陰流の免許伝?陰流の免許皆伝は変な奴しか居ないな。金で買っているのか?」


「何を」


兵馬が怒って刀に手を掛ける


「あっ、火の玉だ」


そう言って左近が、兵馬の上の方を見る。


「えっ、」


兵馬がつられて上を見ると

左近は素早く刀を横に振り、兵馬のはかまひもを斬った。


「えっ、」


兵馬が落ちた袴を掴む

それを見て彦佐が


「そんなんじゃ、直方左近には到底。敵いませんよ」


そう言われて、二人は驚いて、目を合わせ、


「直方左近!」


「あの、虎殺しの」


「やばいぞ」


「ひぇー、お助けを」


と逃げて行った。

二人が逃げて行くのをながめて左近が


「大丈夫か」


と若い侍に声を掛けた。


「はい、ありがとうございます」


若い侍は礼をして


「私は藤井仁之助と申します。常陸ひたちより参りました」


「へぇー、常陸から」


「江戸に来て、変なのにあっちまったな」


「はい。あの格好にも驚きましたが、あんな言い掛かりを、恐いですね」


「ああ、あいつ等は旗本の子息といってな。派手で見栄っ張り。弱い者いじめが大好きな生き物だ」


「何ですか、害獸がいじゅうみたいに言って」


「害獸だろ」


二人の会話に、仁之助が笑いだす。


「所で、なんで江戸へ」


彦佐の問いに


「兄に会いに来ました」


「お兄様に」


「私の父は結城藩に仕えておりまして。本当は兄が跡継ぎなのですが、兄は役人は嫌だと江戸に出てしまい、ずっと音沙汰も無いので、様子を見に参ったのです」


「ふん、ふん、なるほどな」


「お兄様の居場所は分かるのですか」


「はい。江戸に居る知り合いに、居るであろう屋敷を聞きつけまして」


「そうか、暇だから、俺達も付いていこう」


「その前に何か、お礼をしなくては」


「いい、いい、害獸駆除しただけだから」



二、


 仁之助の話しを元に江戸城下の大名屋敷の立ち並ぶ通りに来た。


「本当にこの辺りなんですか、この辺りは大名屋敷しかありませんよ」


「はい」


そう言いながら、仁之助はある大きな屋敷の前で止まった。


「ここか?」


周りの大名屋敷にも負けない、大きな屋敷だ。


「ふぇー、凄いですね」


仁之助が勝手口の戸を叩くと、中から若い侍が出て来た。


「何用でございましょうか」


受け答えもしっかりしている。


「大名屋敷じゃ無いんだよな」


左近が門を見るが表札は出ていない

しばらくして、中から侍が二人やって来た。

その二人を見て、左近と彦佐がかたまった。

相手の二人も固まっている。


「えっ、」


「あっ、」


出てきたのは柳沢半兵衛と藤井啓造だ。

しかし、仁之助は喜んで啓造に近付く


「兄上」


啓造も驚いて


「仁之助ではないか」


「仁之助の兄貴って、あの藤井なのか」


皆。驚いて声が出ない

仁之助は喜んで


「兄上、元気そうで何よりでございます」


「お主も大きくなったな」


啓造が二十九。仁之助が十七。歳の離れた兄弟である。


「こちらは直方左近様と彦佐さんです。先程、助けて頂き、ここにも案内あないしてくれたのですよ」


「そうか」


啓造の顔がひきつっている。


「かたじけない」


啓造が左近に声を掛ける。


「いやー」


答えたが、左近も次の言葉が出ない

見かねて半兵衛が


「啓造殿。弟御も長旅で疲れて居よう。中で休んで頂きなさい」


「あっ、はい」


啓造は仁之助に


「こちらは、我が主人。柳沢半兵衛様だ」


「兄がいつもお世話になっております」


返礼をした半兵衛に促されて、啓造が


「さあ、中に行こう」


「でも、左近様達は」


仁之助が左近達を見る。


「私がお礼を言っておくので、心配なく」


「左近様。彦佐殿。ありがとうございました」


仁之助が頭を下げた。


「おう、良かったな」


「良かったですね」


左近達が答えた。


仁之助を連れて行く啓造達を見送ると、

半兵衛は左近に向き直り


「足労をかけたな。直方左近。茶でも飲んで行くか」


ぶっきらぼうに声を掛けた。

それに対して左近は


「ここが、口伝会の隠れ家なのか」


じろじろと辺りを見渡す。


「茶を飲むかと聞いている」


「いや、やめておこう。毒でも盛られたらたまらんからな」


「あー、それは良い手ですね。私は盛りませんが」


「おー、余裕のある人間は違うね」


「余裕はありませんよ」


二人が顔を付き合わす。

それを、彦佐が左近の手を引いて引き離し


「兄貴、帰りましょうよ」


「そうだな」


左近は半兵衛をにらみながら離れる。

半兵衛も左近を睨んで


「お礼の金を渡しましょうか」


「いらねぇよ。俺は口伝会の者じゃねぇからよ」


彦佐に引かれて、左近は半兵衛から離れて行く

その内にあきらめて、向き直り歩きだす。

半兵衛はその様子を見ている。

歩き出した左近は、ふと立ち止まると


「ああ、仁之助に剣術。教えておけよ」


振り返り。半兵衛に言った。


「そうか」


半兵衛が答える。



三、


 その日の夕方


「左近様。ちょっと、いいですか」


左近の嫁である。霞が驚いて、呼びに来た。


「どうした」


客間でくつろいで居た左近と彦佐が立ち上がり。

霞にうながされて玄関に行くと


「なんじゃ、こりゃ」


荷車に大きな酒樽を乗せて、その前に酒屋の手代てだいと小僧が立っている。


「酒を届けに参りました。」


「酒?こんなにか」


酒はおそらく、四斗樽だ。


「はい。藤井啓造様より受け承わりました」


「藤井が」


「直方左近様のお屋敷で宜しかったですよね」


「そうだ」


左近が返事をすると、手代達は酒を玄関に置いて去っていった。


「また、派手なお礼ですよね」


「なんで奴ら。俺の家を知っているんだ」


「誰かに聞いたんじゃないんですか」


「誰に?」


「さーあ」


彦佐が両手を上げる。


「こんなにみきれませんよ」


うっとりとした表現で霞が酒樽を撫でる。


「あーあ、酒好きに余計な物を。絶対。半兵衛の仕業だ。嫌がらせだ」


「派手な嫌がらせですね」


言った後、彦佐が気が付いて


「あっ、毒味しますか」


「毒が入っていたら、奴をめてやるよ」


毒は入って無かったらしく、その日の夜は左近家では知り合いを呼んで、宴会になった。



四、


 それから数日が過ぎて、左近達は又、釣りに出かけた。


「本当に釣れるのか」


「間違いないですよ。ちゃんと、釣れる小川を聞いて置きましたから」


そう言いながら前を向いた。彦佐が立ち止まる。


「ん、」


「どうした」


「あれ、」


彦佐の指さす方向を見ると、仁之助が若い侍。二人と揉めている。


「こいつが俺にぶつかって来たんだ」


「ぶつかっていないと言っていますよ」


仁之助の後ろでは、どこぞの小僧が震えている。


「貴様、いい加減にしないと只では済まさぬぞ」


侍の一人がおどしを掛ける。


「分かりました」


そう言うと、仁之助は小僧を下がらせ、侍の一人と向き合う


「やるのか」


侍が刀に手を掛けると

仁之助も刀に手を掛けた。

そして、


「あっ、火の玉だ」


侍の頭上を見た。

つられて侍が上を向くと、素早く刀を横に振り。侍の袴の紐を斬った。


「ひっ、」


侍は驚き、落ちた袴を押さえる。


「まずいぞ」


もう一人の侍がそう言うと、二人は逃げて行った。

仁之助は、お礼を言う小僧の肩を叩くとさっそうと歩いて行く

それを野次馬と一緒に、遠巻きから見ていた左近と彦佐はあっけにとられている。


「素直さが、悪い方に転んじゃいましたね」


彦佐の言葉に


「やべぇな。こりゃあ、藤井に合わす顔がねぇぞ」


頭を抱えながら、左近が言った。



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