第26話 免許皆伝(前)

 一、


 白河は奥州の玄関口であり、松平十五万石の城下町で賑わいを見せている


 その城下町の外れに蝋燭絵師をしている紋次郎の家があり。蝋燭絵師にしては大きな屋敷で盛りの時期には多くの弟子も持っていた。


 しかし、事情があって弟子は減っていき、家主である紋次郎の父である惣吉郎も死んで、今は紋次郎と惣吉郎の弟子であった弥吉、お手伝いの八重の三人だけであった。


 今日も紋次郎と弥吉が絵付けの仕事をしていると


「若旦那様!」


 大声で八重が仕事場に飛び込んで来た。


「奴ら、また来ましたよ」


 そう叫ぶと八重は仕事場の奥に身を潜めた。

 その後からは風体の悪い浪人が三人入って来た。


「また、あなた達か」


 紋次郎の言葉に


「お兄様から家屋敷を空け渡して出ていけとのご伝言です」


「父が死んでから二十日にもなります。それなのに勝一郎兄さんは線香の一本も上げに来ない、それで家屋敷を渡せと言うのですか」


 浪人の中の兄貴分である甲衛門が


「お父上とお頭の仲が悪かったのはご存知でしょう」


「勘当をされたのだから家屋敷は紋次郎様の物です」


 堪らず弥吉が口を挟む

 それを聞いた浪人の一人が弥吉の胸ぐらを掴み


「また殴られねぇと分からねぇのか、おめぇは引っ込んでろ」


「やめろ」


 紋次郎が間に割って入る。

 甲衛門がため息を突きながら


「お頭は穏便に済ませようとしているんですよ。ましら組は今や十人を超えているんです。その気になればあなた方二人が敵う訳が無い」


「ならば、兄上と話しをさせて下さい」


「それは無理です。お頭はとても忙しい、それに」


「それに?」


「あなたの事も嫌っていなさる」


「仲が悪いとは言え、血を分けた兄弟。話しも出来ないのですか」


「これが最後の通告です。出て行かなければ力づくで奪うとお頭は言っています。夕方にまた来ますので良いお返事を」


 そう言って甲衛門はずっと睨んでいた浪人二人を連れて去って行った。

 その様子を見て立ち尽くす紋次郎の肩を茂吉は叩いて


「若旦那様。矢吹に納める蝋燭の刻限が迫っております。仕事を続けましょう」


 二人はまた仕事を始めた。



 二、


 暫くして、仕事場にまた八重が申し訳なさそうに顔を出した。


「どうした。八重」


 紋次郎が声をかける。


「また浪人が」


「奴ら、もう来たのか」


 声を荒げる茂吉に


「それが、違うお侍様で、にこやかな感じの」


 八重が静かに答えると、紋次郎が立ち上がり玄関へと向かった。


「よう、お前さんが紋次郎か?」


 にこやかに話し掛ける侍に紋次郎が質問する。


「どなた様でございましょう」


「俺は直方左近。お前さんの父、惣吉郎が剣を習っていた村上鉄山の息子だ」


 紋次郎は思い出して


「ああ鉄山様の、お話しは父から聞いております。そのご子息の方も相当の剣の達人だと」


「へへっ、そうでも無いがな」


 照れ笑いをした左近は表情を固めて


「惣吉郎が死んだと聞いてな。江戸から線香を上げに来た」


「わざわざ江戸から、申し訳ございません。ささ、中へどうぞ」


 焼香を済ませた左近達は暫く滞在する事となり。

 忙しい紋次郎の仕事を手伝った。昼になり左近が土産で持ってきたうどんを煮て昼食になった。


「なんと旨いうどんだな」


 八重が叫ぶと


「本当においしい、うどんですね」


 紋次郎も答える。


「だろ、悪どい元金貸しがうどん屋を始めてな。これが旨いと評判なんだ」


「そうなんですよ。随分と改心しまして、元々、商才があったんでしょうね。

 ただの旨いだけのうどんじゃなくて長いうどんにしたんですが、それが評判になって、凄い人気なんです」


 それを聞いた紋次郎がしみじみと


「人は生まれ変われるのですね。兄も生まれ変われるでしょうか」


「そうだな。そうだと良いな」


 訳ありげに左近が答えた。


 何年か前にまだ健在であった惣吉郎が弟子を連れて左近を尋ねて来た事があり。

 その時に素行の悪い長男と出来た次男の話しを聞いていた。


 その心配もあって左近は白河まで来たのだ。

 惣吉郎は義父である村上鉄山の弟子の一人でもあったが屋敷の使用人頭もしており、小さかった左近は惣吉郎から薪割りや風呂焚きを教わったりもしていて、左近にとっては師匠の一人でもあった。


「惣吉郎が死んだなら、惣吉郎の心配していた事の為に骨を折らねばなるまいて」


 そう決意をして左近は白河まで来たのだ。


 夕方になるとやはり甲衛門達が来た。

 話しを聞いていた左近と彦佐は対応に玄関に出た。


「貴様は何者だ」


 手下の浪人の言葉に


「惣吉郎の弟子でな。兄貴が弟をいじめていると聞いて仲裁に入ろうと思ってな」


「なんだと」


 浪人の一人が刀に手を掛けたが、左近は素早く刀を抜いて浪人の手の甲を斬り、また鞘に納めた。


「つぅ、」


 斬られた浪人も甲衛門も目を丸くした。


「俺は惣吉郎の剣の師匠の息子だ。刀でやり合うなら立ち会うと勝一郎に伝えろ、まあ、一度話しもしたいしな」


 後ろでは彦佐が懐に手を入れてくないを握りしめている。

 その様子を見た甲衛門は


「出直した方が良さそうだな」


 手下を連れて引き揚げて行く


「ちゃんと勝一郎に伝えろよ」


 玄関の陰で様子を伺っていた八重が飛び出して来た。


「左近様は本当に強いんだね」


 彦佐は笑いながら答えた。


「江戸で一番の剣豪ですよ」



 三、


 寝ぐらにしている博打宿に戻ると甲衛門は早速、頭である勝一郎に報告をした。


「江戸から鉄山の息子が来ただと!」


 顔も性格も穏やかな紋次郎に対して兄である勝一郎は

 細身で険しい顔付きをしている。


「はい、もの凄い達人のようですが」


「ああ、聞いた事があるな、天才の息子が居ると」


 勝一郎は顎に手を当てると


「厄介だな。最強と云われる無双流の跡継ぎだ。儂でもかなうまい」


 悩んだ勝一郎が、ふと閃いた。


「そうだ。兵内殿なら」


 浪人の一人を見た。

 見られた浪人は勝一郎を見て


「相手が拙者の剣を知らぬなら勝ち目はありますぞ」


「その可能性はあるぞ。儂も下野や常陸を渡り歩いたが、お主のような剣術を使う者を見た事が無い、そうだな五十両払おう」


「江戸でも有名な剣客と命がけの立ち合いをするのだぞ、百両では無いのか」


「田舎の城下町だ。そんなに稼ぎは無いぞ、分かるだろう」


「ふむ仕方が無いか、勝ったら、貸しだぞ」



 四、


 急ぎの仕事を片付けて、茂吉とそれに付いて彦佐が矢吹へと蝋燭を届けに出掛けた。

 左近は気晴らしに木刀でも振ってみるかと、惣吉郎から剣を教わった紋次郎に声を掛けた。


「昔は根を詰めた時はよく木刀を振っていたのですが」


 素振りを見ていた左近は


「迷いの無い、いい素振りだよ」


 跡継ぎは一人で良いのでどちらか一人には剣で身を立てて欲しいと願った惣吉郎だったが、紋次郎は跡を継ぎ蝋燭絵師になってくれたが、嫡男の勝一郎は剣の腕に溺れるようになってしまった。

 才覚は紋次郎の方が上だと聞いていた。


「剣士としても蝋燭絵師としても上等だよ」


 ぼそっと、左近が呟く


「なぜ、剣の道を選らばなかった」


 紋次郎はにこりと笑い


「兄が剣を選んだので私に選択肢はありませんでした」


「やさしいんだな」


 やさしさが剣にとっては弱点になると左近は思い知っている。


「一つだけ、教えても良いか」


「はい」


 紋次郎は左近を見つめた。


「集中だ。何万回も素振りをしても最後に欲しいのは気の集中。そして辛い修練を耐えた自分を信じて業を出したら迷わずに最後まで撃ちきる事」


 紋次郎はぼんやりと思い描いた物に確信を得たように表情を明るくして


「はい、承知しました」


 と答えた。



 五、


 その日の夜は彦佐が矢吹で買った、鶏肉を鍋にして白河の地酒で盛り上がった。

 朝からどんどんと戸を叩く音がして、二日酔いで寝坊した左近達を叩き起こした。


「なんだよ。朝からうるせぇな」


「見て来ますね」


 彦佐が玄関に向かうと甲衛門達三人が立っていた。


「お頭がお会いになるそうだ」


「おっ、覚悟を決めましたか?」


「その前に本物かどうか確かめたいと」


「疑ってるんですか?」


 彦佐の言葉に


「会った事の無い相手だからな」


「なるほどな」


 奥から左近が出て来た。


「左近殿の話しは聞いた事があるが会った事は無いので確かめたいと」


「同じ流派。立ち合えば分かる事だが」


「無双流の跡継ぎと弟子の弟子では分が悪すぎると」


「他の流派も学んだと聞いたが」


「とにかく、頭の指名する者と立ち合って貰いたいとの事です」


「分かった。行こう」


 左近が返事をすると、奥から様子を伺っていた紋次郎が出て来た。


「私も付いて行きます」


 それを見た甲衛門は


「今回は左近殿と付き人だけです。紋次郎殿にはその内に話しをするとお頭が言ってます」


「しかし」


 にじり寄る紋次郎に左近は


「今回は俺達に任せておけ」


「しかし、左近様達ばかりを危険な目に合わせられません」


「大丈夫ですよ。兄貴は最強の剣豪ですから」


 二人に説得をされて紋次郎はしぶしぶと引き下った。

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