第4話 死神
一、
左近は彦佐と共に、水戸街道を江戸に向かい、取手の宿を目指していた。
日も暮れ始めていたので、先を急いでいる。
「手前の藤代で、良かったんじゃねぇのか」
「兄貴が、さっきの茶屋で長居をするからですよ」
「いやー、あそこのどぶろくが旨くてな」
「早くしないと、山賊に襲われますよ」
「そうか、虎を飼っていない事を祈るよ」
彦佐は振り返り
「ずいぶんと、虎にこだわりますね」
左近は顔をしかめて
「いやー、あれは最悪だったな。生きてるのが不思議なくらいだ」
「虎と立ち合いをしたのは、日の本、六十余州でも、兄貴ぐらいなもんですよ」
「やっぱりそうか、あー、嫌な話しだ」
「でも、そのお
「うれしくねーな」
二人で話しながら歩いていると
「兄貴、」
彦佐が右手を出して、左近を押さえて足取りを止めると
「ここで、待ってて下さい」
行く先にある。竹林に小走りで駆けていく、左近は始めは待っていたが、待ちきれずに彦佐を追いかける。
「何があったんだよ」
近付くと、カチンと刀の当たる音や、怒号が聞こえた。
「立ち合いか!!」
彦佐に追い付き、竹に隠れながら見ると、
一人の侍が五、六人の浪人と戦っている。
数の多い方が有利かと思いきや、
侍は、ばっさ、ばっさと浪人達を斬っていく、それもたいして対峙する事もなく、ほとんど相手も見ずに斬っている。
「ずいぶん、斬り慣れているな」
左近が呟く
もう、足元に六人が倒れており、残り二人になった所で
「くそっ、退くぞ」
逃げ出した。
侍は、逃げ出した二人を見送った後。辺りを見渡し、左近達を見つけた。
「やばい」
見つかった彦佐が言う
「その
侍の問いに
「違うぞ」
左近が答えた。
侍はじっと、左近達を見つめた後
「そうか」
そう言って、刀をしまい歩き出した。
「何だか不気味ですね」
「ありゃあ、相当の腕だぞ」
「あんなに人を斬っておいて、顔色一つ変えませんよ」
「人を斬り過ぎて、
歩いて行く、侍の後ろ姿を、二人はいつまでも見ていた。
二、
暗くなり始めた頃に、やっと取手に着いた左近達は、さっそく宿に入った。
風呂に入り、二人で酒を飲んだ。少しして左近が
「廁に行ってくる」
部屋を出た。
廁から帰ってくる時だった。さっきの侍が、前から歩いてきた。
「えっ、」
左近は驚いたが、相手の方は目を合わせても、たいして驚きもせずにすれ違う
すれ違った後、左近は急いで部屋に戻り、戸を閉めた。
「どうしたんですか」
驚き顔の左近に彦佐が言う
「また、会ったよ」
「また、会ったって」
「さっきの侍だ」
「さっきの侍?」
驚いて、彦佐が立った。
「本当ですか」
「本当だ」
「まあ、冷静になれば、同じ方向に向かっていれば。そういう事も有りますよね」
「そうだな」
二人は腰を掛ける。
「ん、」
左近が首を
「思いだしたぞ」
「何をですか」
「あいつは死神だ」
「死神?」
彦佐も思い出した。
「死神って、あの江戸でも有名な、
死神とは、石井陰蔵と云う浪人で、凄腕の刺客である。
金で殺しを請け負うのだが、立ち合った者が必ず死ぬ事と、無表情でばっさばっさと人を斬る事から、皆に死神と呼ばれている。
「確かに、言われてみれば。あいつが死神ですよ、あの無表情で人を斬る感じ」
「噂には聞いていたが、あいつがそうか」
左近は
「虎も嫌だが、死神も嫌だな。彦佐、早く江戸に帰るぞ」
三、
次の日、左近達は早起きをして、朝、早くに宿を出た。
「兄貴、なにも、こんなに早く無くても良いのでは」
「いや、嫌な予感がする。とっとと、あいつから逃げよう」
心無しか、左近はうつ向いて、早足になっている。
「兄貴、大丈夫ですよ。死神に狙われてるって、訳じゃ無いですか」
「馬鹿、死神って言うな、言うと、死神って、寄って来るって話しだ」
彦佐は目を細めて
「兄貴、怖さを超えて、少し楽しんでますよね」
左近はにたにたと笑みを浮かべながら、彦佐を見つめる
「とにかく、行くぞ」
四、
利根川を渡り。我孫子も越えた辺りで、二人は飯屋に入った。
急いで、とろろ飯をすする。
左近は食い終わると
「彦佐、早くしろ、行くぞ、」
彦佐は、とろろ飯をすすりながら
「もう、ずいぶん歩いたし、大丈夫ですよ。ゆっくり飯を食わせて下さい」
「だめだ、死神が来るぞ」
彦佐はまた、目を細めて
「兄貴、やっぱり、ちょっと楽しんでますよね。死神をだしにして、俺をせかして」
左近はにたーっと笑い
「そんな事は無いぞ」
「本当は死神も、そんなに恐れて無いんじゃ無いですか」
確かに死神は強いとは思うが、立ち合いをすれば勝てるんじゃ無いかと、左近は思っている。
「さすがは彦佐だな。確かに少し悪乗りしている所はあった。これだけ来れば、もう大丈夫だろう」
「ほんと、勘弁して下さいよ」
「それじゃ、俺もとろろ飯、もう一杯食おうかな」
「だめです。もう行きますよ」
五、
昼食を終えて、二人は江戸に向かって歩き出し、町外れの茶屋に入った。
甘酒を頼み、飲んで一息をついた。
「あー、生き返りますね」
「堪らんね」
その時、隣の椅子に人が座り、左近がふと隣を見た。そして動きが止まった。
あわてて顔を反らすと、彦佐を見て。ゆっくりと彦佐の腰を突つく
「何ですよ」
迷惑そうに彦佐が振り返ったが、そのまま顔が固まった。
あの、死神と呼ばれる。石井陰蔵が座っている。左近は泣きそうな顔になっている。
陰蔵も左近達に気が付いて、さすがに顔が固まった。
「お主ら!」
二人は
陰蔵はさっさと団子を食い、お茶を飲み干すと代金を置いて去って行った。
その姿を
「驚きましたね」
「心臓が止まるかと思ったぞ」
「俺達、凄い速さで、ここまで来ましたよ」
「そうだな、奴は化け物か」
「さすがに、死神ですね」
「でも、これでもう大丈夫だ。後ろから来る奴に怯える事は無いぞ」
「今度は、待って居たりして」
「はっ、はっ、冗談は止めろ」
六、
茶屋を後にして、しばらく歩いていると、薄暗い杉林が見えてきた。
「なんか、嫌な感じですね」
「そうだな、ん、」
左近が何かに気が付いた。
「誰か座っているぞ」
「また、また、冗談はよして下さいよ、ただでさえ、薄気味が悪いのに」
「死神だ!!」
驚いて彦佐が、左近の後ろに隠れる。
「本当に待っていたぞ」
「冗談でしょう」
「くそっ、本当に恐くなってきた」
「やっぱり、声掛けてくるんですかね」
二人が立ち止まっていると、陰蔵がこちらに歩いてくる。
「やっぱり、来ましたよ」
「やべぇな、今は勝てる気が、まったく、しねぇぞ」
陰蔵は青白い顔で、左近達の前に立った。
「なっ、何の用だ」
左近が声を絞りだして言った。
「話しがある」
「な、何だ」
陰蔵はぎろりと左近をにらみ
「腰の胴田貫といい、お主。只者では無いな」
「なぜ、そう思う」
「儂は
「だから、速いのか」
左近が感心する。
「それに、いつも儂の行く所におるのは、儂を狙っているのか」
左近は弱り
「まて、良く考えろ、たまたまだ」
陰蔵は刀に手を掛け
「どちらにしても、お主達は斬らせてもらう」
「なぜ、そうなる。無茶苦茶だな」
陰蔵はふっ、と笑い
「不穏の芽は摘まねばなるまいて」
左近は首を捻り
「どんな理屈だ」
陰蔵が刀を抜くと同時に、左近も刀を抜く
「仕方ねぇな、彦佐。手、出すなよ」
左近が正眼に構えると、陰蔵は正眼から少し下げて構えた。
「中段、なのか?」
陰蔵は無表情だ。そして動かない
先に左近が動いた。
「せいっ、」
上段に素早く、左右に打ち込んでいく
陰蔵はそれを、刀や体さばきでかわしていく
左近は何度も打ち込むが、疲れて動きの鈍った所に陰蔵が突いてきた。
左近がひょいと後ろに下がり距離を取る
「剣の速さなら、俺の方が上かと思ったが」
言い終わらぬ内に、陰蔵か突いてきた。
「ほっ、」
左近は横に逃げてかわしたが、足を掛けられ転がった。
すぐに片膝で、体制を立て直したが、隙はできた。だが、陰蔵は斬っては来なかった。
「なぜ、斬って来ない」
「ふっ、」
陰蔵が鼻で笑った。
左近は立ち上がり
「後悔するぞ」
「中々の腕だ。いつもは聞かぬが、名を聞こうか」
左近は少し戸惑い、答えた。
「直方左近だ」
「直方左近?」
陰蔵は思いを巡らし
「ああ、あの虎殺しの」
だが、左近はその呼び名は気に入っていない
「見ていろ」
鞘に刀をしまい、足を開き、腰を落とした。
「抜刀術か!」
左近は大きく息を吐くと、踏み込んで逆袈裟で斬りかかった。
「せいっ」
速かったが、陰蔵は後ろに下がり、紙一重でかわした。
かわされたが、左近は更に突いた。
陰蔵はそれもかわしたが、その時に左近に足を掛けられた。
「ふん、」
よろけりながら、片膝で踏ん張った。
左近は追撃せずに、それを見ている。陰蔵は左近を見上げながら
「斬って来ぬのか」
「これで合いこだな」
陰蔵は立ち上がり、笑った。
「はははっ」
その顔は、思っていたよりも、良い顔色をしていた。
「さすがは虎殺しの左近。一本、取られたわ」
左近はその様子を見ながら
「さてと、この先はどうする」
陰蔵は刀をしまい
「今日はここまでにいたそう」
「俺はやめるとは、言ってねぇぞ」
「まあ、それも良し」
そう言って、背中を向けて歩き出した。
それを左近達は見ている。
「本気で斬る気は無かったのか?」
「変な奴ですね」
「今日は、やばかったぞ」
「本当、兄貴がこんなに苦戦するなんて、虎以来ですよ」
「それは言うんじゃあねぇよ。つーか、俺もまだまだだな」
「いや、兄貴は日の本一の剣豪ですよ」
消えていく死神の姿を、二人はいつまでも見ている。
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