第31話 帰還

 一、


 深川の外れにある。鉄山の庵にぼさぼさ頭で薄汚れた清史郎がたどり着いた。


養父おやじ様は居るか?」


 庭で洗濯物を干していた手伝いのおとみが驚き、庵の中に入って行く


「鉄山様。若いお侍様が」


「おう」


 呼ばれた鉄山が中から出てきた。

 そしてぼさぼさで薄汚れた清史郎をまじまじと見つめると


「うむ、清史郎か」


「久方ぶりです。おやじ様」


「元気そうで何よりだ。ここの場所を誰に聞いたのだ」


「道場に向かう途中で豆腐屋の政から聞きました」


「そうか、しかし何だその汚い格好は」


「帰って来る途中で極貧の姉弟に会いましてな。持ち金を全部渡して来ました」


「それで」


 鉄山の目が険しくなった。


「大丈夫ですよ。金は小銭にして少しづつ使うように言い渡し、ぼろぼろの服も新しく買ってやり、病気で寝込んでいる母親にも薬を買い、裏に竹林があったので丈夫な竹菷の作り方を教えて、それを売って生活の足しにするよう教えて参りました」


 清史郎の話しを聞いた鉄山は納得して顎髭を撫で


「うむ、余計な施しは人を不幸にする事がある。面倒を見るなら最後まで、良い事をしたな清史郎」


 にっこりと笑った。


「所でこちらのご婦人は」


 清史郎がお富を見ると


「手伝いをして貰っているお富だ。お富、風呂を沸かしてくれ」


「はい、旦那様」


 お富が風呂を沸かしに行った。


「そのなりでは腹も減っただろう。丁度、餅が焼けておる。さあ中に入れ」


 中に入り、茶を啜りながら餅を頬張った清史郎が


「神田の道場は閉めたのですか」


「儂も歳だからな。道場を師範代に任せて、ここに隠居した」


「なるほど」


「どうであった奥州巡りは」


「どうもこうも西国巡りと変わりませんよ。紹介頂いた師範方にも良くして頂きました」


「そうか、腹が落ち着いたら、まずは刀裁きを見せてくれ」


「はい」


 何処かに修行に行かせられ帰って来るとまずは刀裁きの確かめられるのが清史郎の常であった。


 刀に手を掛け低い構えからまずは素早く逆袈裟で斬り抜いた。


「ふむ、良いぞ。お主の逆袈裟は天下一品だ。また研きが掛かっておる」


 止めた刀を両手で持ち、右からの袈裟斬り、そして横斬りと進んで左からの袈裟斬り、そして突きと淀みなく刀が流れていく


「最後に右袈裟からの燕返しじゃ」


 言われた通りに清史郎は右袈裟から返して燕返しをした。それを見た鉄山は


「まあ、悪くは無いが逆袈裟に比べると切れが今一つだな」


 清史郎は刀を収めながら


「筋が硬いのか何度やってもおやじ様のような素早さは出せませぬ」


「うむ、鍛練を重ねる事だな」



 二、


 風呂に入り、髭も剃ってさっぱりとした清史郎は鉄山と鳥鍋を突ついていた。


「それでこれからなのだが」


「また、何処かに修行ですか」


「いや、これからは若年寄をされている土屋相模守様の元で隠密をして貰いたい」


「隠密?」


「そうだ。実は儂も昔、やっていてな」


「それで隠密ですか」


 清史郎は驚きもせずに答えている。


「私に出来ますか?」


「大丈夫だお主は天才。儂が育て上げた最強の剣士。無双流の後継者だ」


 ちらりと鉄山を見る。

 鉄山は神田に道場を持っていたがそれは免許皆伝を得た一空流の道場で、鉄山が諸国を巡り完成させた無双流は清史郎にしか教えてはいなかった。


 それゆえに清史郎は幼き頃から厳しい修行をさせられた。

 そして鉄山の元で修行を終えた清史郎は他流修行の為、諸国巡りをさせられていたのだ。


「別に隠密をやるのは構いませんが、私は己を天才だとは思っておりませんぞ」


 その言葉を聞いて鉄山はにっこりと笑い


「儂の弟子の中にお主を超える者はおらぬ、それに剣客は強さだけでなく賢さも臆する心持ちも必要だ。お主には全て備わっておる」


 言われた清史郎は


「何だか、いつもこの笑みにやられてる気がするよ」


 ぼそっと呟いた。



 三、


 鉄山に言われた屋敷に行くと、用人。矢部一康の案内で若年寄である土屋相模守の前に通された。


「貴公が鉄山の一子。清史郎か、表を上げい」


「はい」


 こうべを上げて相模守を見た。

 ほりの深い顔立ちに先の尖った口髭を生やしていて、いかにも偉い侍といった風情だ。


「良い顔付きをしておる。鉄山より必殺の剣を学んだとか」


「はい、幼い頃より厳しい修行を受けました」


「ふむ、隠密の勤め。頼んだぞ」


「はい、全身全霊で勤めさせて頂きます」


「それでのう」


「はい」


「勤めに入るにあたり、鉄山にも頼まれて貴公の新しい名を考えた」


「名前ですか?」


「そうだ」


 用人の矢部が相模守に近寄り巻物を渡した。

 受け取った相模守は巻物を拡げて清史郎に見せる。


左近さこんじゃ」


 言われた清史郎は左近と書かれた文字をまじまじと見て


「左近ですか」


「そうだ。古くは左近衛権少将様にも支えた家柄と聞く、それに左は右よりも位が高く縁起も良いしな」


「こほん、清史郎殿これは名誉な事ですぞ」


 矢部の言葉に


「確かに良い名前だ」


 清史郎の第一の印象であった。

 支度金として袱紗ふくさに包まれた三十両を受け取り、清史郎改め左近は屋敷を出た。

後ほど勤めの知らせが出るそうだ。


「左近か、おやじ様。喜ぶかな」


 左近は懐の袱紗を握りしめながら


「いきなり金持ちだな。腹も減ったし酒でも飲んでくか」



 四、


 帰り路に見つけた飯屋に入ろうとすると戸を開けて二人の町人が出てきた。


たちの悪い奴に絡まれたな」


「あいつら、この辺りで評判のわるだぞ」


 ちらっと左近と目が合ったが慌てて目を反らし去って行った。


「何だ。あいつら」


 中に入ると若い女給が浪人に手を掴まれている。


「ほれ、さっさっと酌をしろ」


「お侍様。ご勘弁下さい」


 店の主人が必死に泣きそうな女給を助けようとしているが、もう一人の浪人が間を塞いでいる。


「別に良いではないか、その為の女給だろう」


 その様子を見て全てを察した左近が


「本当に達が悪いな」


 主人を止めている浪人を引き剥がした。


「ここはそういう飯屋じゃ無いんだよ。女に酌してほしいなら他に行け」


「なんだと」


 浪人達が左近を囲んだ。

 浪人達は明らかに左近より年かさだ。


「この若造が、邪魔だてするとゆるさんぞ」


「儂らを誰だと思っておる」


「誰って浪人だろ」


 飄々ひょうひょうと話す左近に


「貴様も浪人だろうが!」


 手前に居た浪人が怒鳴った。

 左近は耳を押さえながら


「確かに先程までは浪人だった。が、若年寄の土屋相模守様にお役を貰ってな、役人になった」


 それを聞いた浪人の一人が激昂している浪人の袖を掴んだ。


「おい」


 しかし、激昂している浪人が


「その身なりで信じられるか」


 その言葉を聞いて左近は頷きながら


「うん、うん、言ってる事は分かる。だがな良く考えて見ろ」


「何がだ」


「なんで俺が相模守様からお役が貰えたか」


「なんでだ」


 左近は左袖を捲り、腕を叩きながら


「腕だよ、腕。この腕で相模守様に雇われたんだ」


「だから、なんなのだ」


「よーく考えろ、お主も腕に自信があるなら、今、外に出て立ち合いをしても構わんが、お主が勝っても負けても良い事は無いぞ」


「なんだと」


「何故だ」


「負けたとして命を落とす事もあるだろうし、もし助かっても腕の筋でも切ったりしたら侍としての商売は上がったりだ」


 左近は身を乗り出し


「それに勝ったとしても、それはそれで相模守様が黙っていまい。腕を見込んで雇った手の者を殺されて面目を潰されたのだから。

 恐いぞー、幕府のお偉いさんを敵に回すのは、おちおち夜も寝てられんて」


 それを聞いた後ろの浪人が


「おい、」


 強い口調で前の浪人の袖を引いた。


「うーむ」


 激昂していた浪人も血の気が下がり


「今日の所は引き下がってやろう」


 そう言って後ろに下がった。

 そして帰ろうとしたが


「お代は置いていってくれよな。俺が主人に叱られる」


「分かっておる」


 多めのお代を置いてそそくさと帰って行った。その後ろ姿を見送りながら


「まあ、こんな所か。あいつら、たかりかと思ったら意外に金持ってたな」


「ありがとうございます。お侍様」


 喜び左近の手を握る二人に


「いい、いい、気にせんでも。それより、急いで酒と焼き魚をくれ」


 そう言って椅子に腰を掛けた。


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隠密与力。直方左近 吉田 良 @ryo1944

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