第8話 死神の二

一、


 神田の外れにある。例の評判の団子屋で、左近と彦佐が甘酒を飲んでいる。


「いやー、無事にお役目も終わりましたね」


「そうだな」


江戸一番と、評判の団子をかじりながら、

左近が答える。

大盗賊と呼ばれる。鳴子の正の、江戸への護送の警護役が無事に終わり。


お礼参りに、神田明神へ訪れた帰りだった。

茶屋の周りに沢山ある。外椅子に二人で座って居たのだが、突然、彦佐が左近に近付き、指で突ついた。


「兄貴、」


「なんだよ」


彦佐を見た。


「あの奥の椅子に座っている男なんですが」


「おう、」


「石井陰蔵じゃ無いですかね」


「石井陰蔵?あの死神の」


振り返ると、確かに奥の椅子に死神と呼ばれる石井陰蔵が一人で座っている。


「あーあ、あいつは確かに死神だな」


残っていた甘酒を飲み干すと、左近は立ち上がり


「挨拶でもしてくるか」


彦佐は驚いて


「本当ですか、関わらない方がいいんじゃないですか」


「いや、あれ程の剣豪には、なかなか会えんぞ」


左近は刀を脇に差すと、すたすたと歩き、

石井陰蔵の隣に腰を降ろした。


「どうも」


驚いて、脇を見た陰蔵に左近が礼をする。

左近を凝視して、思い出した陰蔵が


「ああ、虎殺しの左近か」


「いや、その呼び名は、気に入って無いのですよ」


「ならば、江戸一の剣豪、直方左近か?」


「それも色々と面倒なので、江戸で十本の指に入るぐらいにして貰えませんか」


陰蔵は笑い声出し


「そうだな、江戸一番になると、馬鹿なやからが腕試しだのと寄ってくる」


「本当の江戸一番は、石井殿なのでは無いのかと思っておりますが」


「それは違う、儂はただ、場数ばかずんでいるだけだ」


そう言うと、陰蔵は人々が行き交う往来を見つめた。


「その場数が物を云うんじゃ無いんですかね、剣の世界は」


「いや、数ではどうにもならない物があるのが、剣の世界だ」


そう言うと、陰蔵は立ち上がり


「お主に会えて良かったよ、ご免」


多めにお代を置いて、歩いて行った。その後ろ姿を、左近はじっと見つめる。


「兄貴、」


いつの間にか、すぐ後ろに、席を替えていた彦佐が声を掛ける。


「見たか、彦佐」


「袖やはかまの刀傷ですか」


「血の匂いもしたな、そうとうの修羅場だぞ」


「そんなに、立ち合ってるんですかね」


「いやー、ありゃあ、なかなかだぞ。少し調べてみるか」


「へい、」


返事をして、彦佐は陰蔵の後を尾ける。



二、


 左近が家に帰ると霞と茜が出迎えた。


「お帰りなさいまし」


霞が刀を受け取り、茜が足湯を出す。


「彦佐殿は?」


左近は茜を尻目に


「ああ、用事を頼んだ」


「久しぶりに帰ると聞いて、馳走ちそうを用意したのですが」


「すぐに戻るだろ」


居間で酒も飲まずに待っていると、二時程、過ぎてから、ほろ酔いで彦佐が戻って来た。


「随分とかかったな。漬物しか食ってねぇぞ」


「へっ、へっ、すいませんね、ねたを集めるのに時間がかかりまして」


彦佐が左近の前に座ると、霞と茜が酒と豪華なつまみを運んで来た。


「それで」


彦佐は左近から、おちょこを受け取りながら


「結果から言いますと、口伝会の黒川がからんでいます」


「黒川、あの達素小三郎を破った?」


「そう、そして、この間、俺達を襲った黒川です」


左近達の隣では霞達が酒盛りを始めている。

それを、いぶかしそうに横目にしながら


「どうしてだ」


「まず、石井様を着けたら、浅草の浪人宿に入りましてね」


「浪人宿?陰蔵殿は、金を持って無いのか」

「いや、雑魚寝ざこねになるので、安全の為でしょう」


「確かに、周りに浪人達が居れば、襲われる時は良いな」


左近は気付いて


「ん、でも、浪人達の中に仲間が居たら、かえって危険だぞ」


「そこは黒川が、立ち合って斬らねば。口伝会の立場がありますから」


「そうか」


彦佐が鯛のお頭付きを、つつきながら


「実は石井様には、付けている奴らが二人居まして」


「忍びか」


「いえ、普通のよた公なんですが」


「奴らと飲んでいたのか」


「ええ、奴らに近付きまして」


「ふーん」


「最近、旗本の三男坊が斬られた事件がありましたよね」


「おう、身投げした。大店おおだなの娘を手込てごめにしたって云う話しだな」


「あれを斬ったのが、石井様で、怒った旗本が仇に、打手うってを出したのですが、相手が石井様なので返り討ちに合いまして」


「そうだろうな」


「それで、黒川に泣きついたと云う事なんですよ」


左近は腕を組み


「黒川じゃ、陰蔵殿をやるのは難しいんじゃねぇのか」


「そうなんですよ、江戸一番の剣豪と言えば、今や死神か、虎殺しの左近かって話しですからね」


「馬鹿にしているな」


左近が彦佐を睨む、彦佐は姿勢を正し


「それで、浪人達を引き連れて、十人がかりで石井様を襲ったのですが」


「なんと汚い、武士もののふならば一対一で勝負するものでしょう」


さっそく酔った霞が立ち上がり叫んだ。そんな霞を、左近は左手で静止しながら


「あの血の匂いは、そう云う事か、失敗したか」


「そうです。黒川達は失敗して、ほうほうのていで逃げたそうです」


「それで、見張りとは、また、陰蔵殿を狙っているのか」


「はい、今度は三十人で」


「三十人!」


左近が立ち上がる。


「三十人はきついだろ、陰蔵殿は一人だし」


「ならば、左近様が助太刀してあげれば良いでは無いですか」


霞の言葉に


「いやー、陰蔵殿は、それを望んでは、おるまいて」


「確かに、そう思うならば、今日、会った時に助太刀を頼んだ筈ですよね」


「ずっと、一人で乗り越えてきたんだよ。あの人は」


「でも、左近様は彦佐と二人で」


茜の問いに


「剣豪だのと、江戸で一番だのと言われても、やっとなんだよ、一人で、大人数を相手にしなくちゃならねぇ時もあるし、飛び道具を持つ奴も、相手にしなくちゃいけねぇ時もある。

彦佐に助けられて、やっと武士もののふていもっているの、だから」


左近は息を吐いてから


「本当の、江戸一番の剣豪は、陰蔵殿なんだろうな、一人だったら、俺はとっくに死んでるよ」


「そんな事はありません。左近様が江戸一番の剣豪です」


そう言って霞が立ち、泣き出した。


「なんだよ、また、泣き上戸かよ、面倒臭せぇな」


左近が霞をなだめていると

彦佐が左近に近付き耳打ちをした。


「兄貴、それから」


最後まで聞いて、左近の顔色が変わった。


「何、本当か?」



三、


 それから二日後に、口伝会の黒川周玄達は、町外れの杉林の中に集まっていた。

打ち合わせも終わり。もう石井陰蔵が来るのを待つばかりだった。


「本当に鉄砲を使うのか」


門沢広己が、黒川周玄に問い正していた。


「念のためだ。この勝負、絶対に負けられない事をお主も知っておろう」


「しかし、鉄砲を使ったとなると、会頭は良い顔をしないぞ、あの方が、立ち合いに鉄砲を使うのを嫌いな事を知っているだろうに」


黒川はいぶかしそうに


「だから、使わん。念のためだ。最後は儂が斬ってやる」


「儂は知らんぞ」


「だったら、お主は下がっておれ」


門沢が、群れから離れて行く


「どうしたのだ」


浪人の一人が黒川に声を掛ける。


「なーに、怖じ気づいたのよ、高名と大金を手に入れる好機だと云うのに」


そして浪人達に向かい


「良いか、相手は石井一人だ。皆でかかれば造作も無い、一人三両、手傷を負わせた者は更に二両だ」


「本当に死神を殺ったら、口伝会に入れるんだろうな」


浪人の一人が言う


「ああ、間違いない。儂は口伝会の副頭目だぞ」


「おおっ、」


黒川の言葉に、浪人達が色めき立つ、それを群れから離れた門沢が、見つめながら


「確かに負けは許されぬ、しかし、鉄砲を使って勝っても、口伝会の評判は落ちる。それを、あの方は許さぬぞ」



四、


 しばらくして石井陰蔵が、こちらに歩いて来た。

付け人の一人が走って来て、黒川に知らせる。黒川が合図をして、浪人達が配置についた。


石井陰蔵は飄々ひょうひょうと歩いているが、殺気さっきに気付いのか刀に手を掛ける。

杉林に入ると、浪人達が一気に陰蔵を取り囲んだ。

陰蔵は大して驚きもせずに

刀に手を掛けたまま軽く腰を落とした。


「いけっ、」


黒川の合図で、浪人達が斬りかかる。

陰蔵はいつものように、相手の位置が分かるかのように

相手も見ずに、身をかわしながら斬って行く、やはり、その姿は不気味で、浪人達は、怖じ気始める。


「死神がっ、」


「化け物だ」


その様子を見ていた黒川が


「間合いを取れ、斬り込む時は、二人で行くのだ」


口を挟む


「恐れるな、こっちには奥の手もある」


浪人達は気を取り直し、黒川の言う通りに間合いを取った。

そして、二人同時に斬り込むと、陰蔵の剣は空を斬るようになった。


「いいぞ、そのまま疲れさせるのだ」


的確な黒川の言葉に、陰蔵は舌を打つ


「ちっ、」


その時だった。突然、浪人の一人が叫んだ。


「ぐおっ、」


血の流れた手を押さえた。遠くから彦佐が、くないを投げているのだ。


「くそ、あの忍びか、まずいぞ」


彦佐を視認した黒川が、隠れている鉄砲隊の方を見て合図の右手を挙げた。


「合図だ」


「真ん中の浪人を撃てば良いのだな」


二人いる鉄砲撃ちの一人が構える。

すると、杉の陰から左近が現れて、さっと火縄を斬った。


「鉄砲は駄目だぞ、一人相手に卑怯過ひきょうすぎる」


鉄砲撃ちの首筋に刀をあてる。


「ひっ、」


その時に、さっと陰蔵が鉄砲撃ちの方に小刀を投げた。


「ぐぇっ、」


一人の首元に当たり、倒れた。


「たっ、助けてくれ」


もう一人が、腰を抜かした。始めの一人はもう息絶えている。


「ん、致命傷か」


左近が確かめると、傷口が黒くなっている。


「おいおい、毒、塗ってあるんじゃねぇのか?」


「しっ、死にたくねぇ、ご勘弁かんべんを」


もう一人の鉄砲撃ちが、一目散いちもくさんに逃げ出した。


「あの親父、すごいな」



五、


 左近も黒川達の前に姿を出した。


「直方左近か、」


「直方左近?」


「あの、」


「虎殺しの?」


黒川の言葉に浪人達がざわざわとしだす。

左近は刀に手を掛け


「さてと、死にたい奴から、かかって来い」


「好機だぞ、奴を倒せば、江戸一番の剣豪だ」


黒川の言葉に浪人が一人、左近に斬り掛かった。


「きえーい、」


「遅いな」


左近が得意の逆袈裟ぎゃくけさで素早く斬った。


「二人で同時にかかるのだ」


そう言われて、二人同時に左近に斬りかかったが、受け流されて、振り向きざまに一人が斬られ、返す刀でもう一人も胸を突かれた。


「死神と虎殺し、無理だ」


「逃げろ」


「命あっての物種〈ものだね〉だ」


何人かの浪人の言葉に、残っていた浪人達が散り散りに逃げ出した。


「待て、逃げるな」


慌てて黒川が止めるが、もう、左近達しか居ない

左近は黒川の前に立ち


「本当に汚い奴だな、お主は武士もののふか?」


「くそっ、めやがって」


黒川が刀を抜き、左近に斬りかかった。

左近はそれを、ひょいと避けると


「おめぇの相手は俺じゃねぇよ」


後ろに下がった。

黒川は、陰蔵、左近、彦佐に囲まれている。

陰蔵の方を向き、上段に構えて間合いをとる。


「きぇーい」


奇声と共に陰蔵に斬りかかる。が、黒川はそのまま陰蔵の脇をすり抜け、走って逃げ出した。


「おぼえておけよ」


すれ違いざまに、陰蔵が刀を振ったが上着を少し斬っただけだった。只、財布も斬ったらしく、ばらばらと小判が数枚落ちた。

それも構わずに、走り去る黒川を、三人は見ている。


往生際おうじょうぎわの悪い奴だ」


「また、来ますかね」


「どうかな」


左近が首をひねる。


「噂だと、負けた奴には、口伝会は厳しいらしいじゃねぇか」


「えー、殺られちゃうんですかね」


「どうだろう、奴もそれを知っているだろうからな、俺なら逃げるな」


二人の会話をよそに陰蔵は小判を拾っている。


「今回は、お二人に迷惑をかけたな、しかし、手間賃は出たぞ」


拾った十数枚の小判を半分に分けて、二人に渡した。

彦佐はそれを受け取りながら


「その為の最後の一振りだったんですか」


左近も受け取りながら


「小刀に毒塗ってんですか?」


陰蔵はちらりと左近を見て


「火縄の匂いはしていたのだが、場所が分からなくてな、お主のおかげで助かった」


そして、にこりと笑うと


「猛毒のとりかぶとだが、当たらなかっただろうな」


それを聞いて、左近は両手で両腕をさす


「ひえー、当たっら死ぬのかよ、とりかぶと、こえーよ」



六、


 黒川周玄はあせっていた。

二度も失敗して、口伝会がこのままで済ます筈が無い、しかも、禁じ手の鉄砲まで使ったのだ。


命も危ない、早く江戸から離れなければ。

江戸外れの大きな橋を渡り、びっしりと生えた茅野の林を曲がった所に、

口伝会の会頭である柳沢半兵衛達は待っていた。


もう一人の副会頭の藤井啓造や門沢広己も居た。後ろも三人の侍に囲まれている。

藤井に促され、河原に場所を移すと


「周玄殿、これはどういう事ですか」


半兵衛が問い正した。


「それは」


黒川が萎縮して答える。


「一人相手に三十人も人を使い、しかも、鉄砲まで持ち出して、武士もののふとして、恥ずかしく無いのですか」


「いや、儂は口伝会の事を思い」


「口伝会の為、お金の為でしょう」


「ち、違う」


答える黒川の言葉に力は無い


「私なら死神などと、縁起の悪い者に手を出しませんよ。しかも、あの直方左近まで呼び込んで」


「そうなんだ。あの直方左近が出て来なければ」


「ええーい、だまらっしゃい」


半兵衛が黒川の言葉を遮る。


「口伝会としてはこのまま、あなたを許す事は出来ません」


そして刀に手を掛け


「最後の機会です。私に勝てば、このまま逃がしましょう」


「待ってくれ」


黒川は怖じ気づいたが、半兵衛を見て、周りも見て、逃げられぬ事をさとると


「分かった。勝てば良いのだな」


刀を抜いた。


刀に手を掛けて中腰で居る半兵衛を、青岸の構えで、じりじりと伺っていたが、

動かない半兵衛に、上段に構え直し、一瞬、目を閉じ、覚悟を決めて


「きえーい」


奇声と共に、半兵衛に斬り込んだ。


「ふん」


一瞬だった。目にも止まらぬ速さで、半兵衛は踏み込み、黒川の胴を抜いた。

二人が交差する。信じられぬと云う顔で、黒川は振り返って半兵衛を見たが、やがて大量の血しぶきと共に倒れた。


「お見事」


藤井が言った。


半兵衛は倒れた黒川を見ながら


「この件は、これで終わりです」


そして門沢を見ると


「これからは門沢殿が、もう一人の副会頭です。

どうです。周玄殿と同じ副頭目を名乗りますか?」


「いや、縁起が悪いので止めておきましょう」


門沢が答えた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る