第6話 神速

一、


 その日、柳生慶之助は、朝早くから左近宅を訪れていた。

慶之助は、霞のはとこにあたる。尾張柳生の剣士で、江戸に修行に来ている所で、霞の夫である左近に会い、仲良くなった。


「ほう、ほう、それで」


慶之助が買って来た。葛餅くずもちを頬張りなから、左近が慶之助の話しを聞いている。


「正に神速の剣なのですよ、いわゆる上段斬りなのですが、上段に打つと宣言をして

来ると分かっていても、誰も止める事が出来ないのです」


「確かに、それは厄介だな」


「上段に来ると分かっていても、避ける事も出来ない。私も速剣ですが、とても、まねは出来なません」


「元は、風呂炊きの小僧だったのだろう、薪割りで、上段斬りの素養そようが付いたのか?」


「それで済まされる。速さでは無いと」


「天賦の才もあるな」


「でも、元は百姓の小倅こせがれ、何も考えずに打ち込んで居るから、速いだけなんじゃ、無いんですか」


慶之助の茶碗に、お茶を注ぐ彦佐が口を挟む


「しかし、それを防げる者が居なければ、それは凄い話しだ」


「そうでしょう。それで、ぜひ、この目で見てみたいのです」


「そうだな、そりゃあ、確かに見てみたいな」


慶之助が左近に詰め寄る


「一緒に見に行きませんか」


左近は、慶之助の圧に、身体を後ろに退け反らしながら


「しかし、麹町の陰流の道場には、もう居ないのだろう」


「それが、週に何度かは、小遣い稼ぎに道場に顔を出すみたいなのですよ」


「見に行くのは良いが、下手に勝負を挑まれて負けでもしたら、しゃれにならんぞ」


「見物人に強そうな奴がいると、金を掛けて、勝負を挑んでくるんでしょう」


「そうなんですよ、だから左近殿にも付いて来て頂きたいのですよ」


「おりゃあ、やだよ、負けそうな気がするもの」


「それは私もそうですよ、でも、宣言されてもかわす事のできない、神速の剣を見たいと思いませんか」


「んー、」


左近が悩み込んだ。


「分かりました。付き添い料として、一両、出しましょう」


「えー、そうかぁ」


左近の顔色が変わった。


「あーあ、金に釣られて、勝負挑まれたら、勝てるんですかね」


「長い間、辛い剣の修行を積んで、ここまで来たからな。ぽっと出の若い奴には負けたくねぇが、神速を見てみたいのも事実。

まあ、一両、くれるって言うし、行ってみるか」


「そうですよ、彦佐さんも行きましょうよ。帰りに鰻でも奢りますから」


彦佐の顔色も変わった。


「そうですね、兄貴一人では、行かせられませんからね」



二、


 麹町の陰流の道場に、三人が着くと、もう人だかりが出来ていた。


「ほらね、今日は来ると聞いていたんで、やっぱり、間違いありませんでしたよ」


「それは、裏柳生からの報せですか」


「裏柳生からの報せなら、間違いないだろう」


彦佐の突っ込みに左近が答えた。

道場の中をのぞき込むと、もう立ち会いをしている侍が打ち込まれていた。


「参った」


達素小三郎は、中年の侍の突きだした木刀を軽く払いながら


「分太」


呼ばれた分太が、侍に近付き


「では、一両頂きます」


侍から、一両を受けとる。


小三郎は次の獲物を探して、周りの野次馬を見渡す。すると道場生の一人が近付き、小三郎に耳打ちをした。小三郎は左近を見て


「あなたが、江戸で一番の剣豪と噂されている。直方左近殿ですか」


そう言うと、左近に近付き


「どうですか、私と一本、勝負して見ませんか」


「若造が、上から目線で話してくるねぇ」


後ろに居た彦佐が愚痴ぐちる。

そして、周りからどよめきが起こった。


「あれが直方左近か」


「あの、虎を斬ったと云う」


「この間も、侍、六人を、一瞬に斬り捨てたとの話しだ」


野次馬の盛り上がりに、小三郎はさらに詰め寄る。


「江戸一番の左近殿なら、私の剣もかわせるのでは、一本、一両の勝負です。安い物でしょう」


「うーん、どうしたもんかねぇ」


渋っている左近の前に、慶之助が割って入った。


「待って下さい、左近殿は私の付き合いで来たので、勝負をしに来たのではありません」


「あんたは」


いぶかしそうに、小三郎が聞いた。


「私は柳生慶之助です」


「柳生?。柳生と云うと、あの」


「一応、尾張柳生の者ですが」


それを聞いて、小三郎は喜びながら


「これは良い、天下の柳生の者なら、ぜひ勝負をしたい、左近殿がだめなら、お主に相手して貰おう」


小三郎の言葉に、慶之助はむっとして剥きになった。


「分かりました。相手しましょう」


「おい、おい、大丈夫か」


左近の言葉に慶之助は


「多分、大丈夫です。名を名乗って、逃げたら、柳生が笑われます」


「確かに、それはそうだが」


こうして慶之助は、小三郎と木刀試合をする事になった。

木刀を持つと、小三郎は正眼に、慶之助は青岸に構えた。


「上段を打ちますよ」


その言葉と同時に、慶之助が先に動いた。

大きく踏み込んで、小三郎の上段を打とうとした。だが、すんでの所で、小三郎の上段打ちの方が早く慶之助を打ちえた。


「つぅ、」


慶之助の首の付け根辺りに、木刀が打ち込まれた。


「一本、」


分太が叫んだ。


「ちっ、何にも考えてねぇ、養由基ようようきが!」


見ていた。左近がつぶやいた。

慶之助が首筋を押さえて、膝を落とす。打ち込んだ小三郎も、少し顔をしかめた。


僅かな差だった。僅かな差で慶之助は打ち負けた。こんなに僅差きんさは小三郎にとっても、久方ぶりの事だ。

分太が慶之助に近付き


「へへっ、旦那、一両頂きますよ」


慶之助は懐から財布を出し、一両を払った。

その様子を見ていた左近が


「まあ、慶之助殿の上段打ちも、まんざら無駄でも無かったぞ」


そして、小三郎に近付くと


「気が変わった。ぜひ、お主と立ち会いをしたい」


小三郎は喜び


「おお、そうですか、噂の左近殿と立ち会えるとは有難い」


「でも、大丈夫か、今日はもう何人と立ち会ったのだ」


「まだ三人です。まだまだ大丈夫ですよ」


「そうか、なら俺との勝負は三両にしないか、勝ったら三両、悪い話しじゃ無いだろう」


「兄貴に、勝てるかとでも思っているのか、図々しい」


思わず放った分太の言葉に、彦佐はつかつかと歩いて分太に近付き、胸ぐらを掴んで


「いいから、てめぇは黙って見ていろ」


鬼の形相で突き飛ばした。

その脇では慶之助が、彦佐から貰った濡れ手拭てぬぐいを首元に当てて、心配そうに見ている。


「左近殿」



三、


 彦佐達の一連の動きを見ていた左近は、小三郎に向き直ると


「良いか、それで」


「ええ、勿論です。本当に三両で良いのですね」


「おう」


木刀を持ち、二人が対峙する。すると左近は両手で横に木刀を持ち、少し前の頭上に構えた。


「へっ、」


驚いて、小三郎が言った。


「上段で来るんだろう、俺はこれで行かせて貰うわ」


「まあ、良いですけど。行きますよ」


そう言うと小三郎は、すかさず横から払うように斬り込んだ。

だが、その木刀は空を斬った。そして、小三郎の体は宙を舞い、吹っ飛んだ。


避け際に、左近に足を引っ掛けられたのだ。

小三郎はごろごろと転がり、道場の壁に体をぶつけた。


「いてぇ、」


そう言って、腰を押さえながら、小三郎は立った。


「悪ぃ、悪ぃ、上段だったな。打ち込んで来いよ」


そう言われて


「この野郎、」


小三郎が怒り、上段で素早く打ち込んだ。しかし、左近にひょいと交わされた。


「なにっ、」


小三郎は左近にかわされた事に驚いたが、

すかさずにもう一度、上段に打ち込んだ。

左近は打ち込まれた木刀を受け流しながら、

小三郎の頭に打ち込んだ。


「一本、」


彦佐が叫ぶ、小三郎は頭を押さえながら、しゃがみこんだ。


「馬鹿な」


余りの事に、皆も驚き、辺りはしーんと静まりかえっている。

それを見届けて、左近は


「分太、三両をよこせ」


ぽかーんとしている。分太から、三両をもぎ取ると


「慶之助殿、ほら」


慶之助に一両を渡した。貰った慶之助は驚き


「良いのですか?」


「今日は気分が良い、鰻は俺がおごるから食いに行こうぜ」


「はい」


「はい!」


彦佐、慶之助は返事をして左近に付き従い、三人は道場を出て行く

そして、それを見ていた観衆からどっと、拍手と歓声が起こった。



四、


 それから江戸中で、左近が小三郎を破った話しで持ち切りになった。


「やはり、江戸で一番の剣豪は、直方左近だとの評判ですよ」


熱を帯びて、慶之助が話している。左近は慶之助が持って来た。豆大福を喰いながら


「確かに、ここ何日か、話しがしたいとか、弟子にしてくれと、何人も来たよ、全部、彦佐に追い返さしたが」


「やはり、左近殿は凄いですね」


「いや、実はね。半分は慶之助殿の手柄なのよ」


「私のですか?」


思わぬ左近の言葉に、慶之助が驚いた。


「奴は何で、もの凄く早く上段打ちを出来ると思う」


「修行の成果と、天性の物が合わさったかと思いますが」


「まあ、そうなんだが、ようは、彦佐の言う通り。何も考えて無いのよ」


「何も考えて無い?」


「己の剣の速さを信じて、只、無心で打ち込んでいる。だから、速いんだよ」


「そうなんですか」


「だが、慶之助殿との立ち合いで、ぎりぎりの勝負となり、奴の打ち込みに迷いが生じた」


「迷いですか」


「そうなると、奴の剣の速さは、わずかだが、遅れる。そこに、付け込んだんだよ」


「そうなんですか」


「でも、まあ、それでも負ける可能性があったんで、もし。立ち合いになった時の為に考えていた。あの構えをした訳」


「あの上段の受けですか」


「奴は自分の腕に自信があるから、上段が打てなくなっても、中段に打ち込んで来ると思った訳よ」


「はぁ、」


「でも、上段程は速くないから、かわせるかなと」


「はい」


「やっぱり、かわせたんで、足を引っ掛けてやったのよ」


「見ていました。すごいですよね」


「そうなったら、こっちのもんよ、迷いも持って、体を打ちつけて、痛めていたら、あの神憑りの上段打ちは、出来ないもの」


「それで」


「それで、奴の得意な上段打ちで、敗ってやったのよ」


「そうだったんですか」


「ありゃあ、そうとう自信を失くしたから、今なら慶之助殿でも勝てるんじゃねぇか」


「いえ、いえ、そんな事は無いと思いますが」


謙遜に慶之助が答えた。

その時だった。買い物に出掛けていた彦佐が駆け足で戻って来た。


「兄貴、大変ですぜ」


客間まで駆け込んで来て、慶之助を見つけると軽く会釈をした。


「何だよ、うるせぇな。慶之助殿と話してんだよ」


左近の顔を見つめた彦佐は


「小三郎の奴、また負けたそうです」


「本当ですか」


驚いて、慶之助が立ち上がった。


「あー、あー、気付いちゃったか」


「気付いたと云うと」


「さっきも言ったろ、迷いの分だけ遅くなったから、今度やったら勝てると、で、相手は誰だ」


「口伝会の黒川と云う、侍です」


「口伝会と云うと、今、江戸で噂の剣客集団です」


「奴ら、兄貴に対抗しやがって」


「黒川は、そこの副頭目です。しかし、ただ者ではありませんね」


「まあ、良いさ。これで俺の周りも静かになる」


左近はにこりと笑って言った。


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