第20話 熊退治


 一、


 左近と彦佐は鹿沼での役目を終えて日光街道を江戸へと向かっていた。


 勤め中に膝を痛めた彦佐の為に足利の山中に関節に良く効く温泉があると聞き、静養の為寄り道をする事になった。


「兄貴、あっしの膝はもう随分と良いんですがね」


「彦佐。俺たちゃあ役目柄、体が元だからよ。怪我したら、ちゃんと直しておこうぜ」


「兄貴、」


 感動しかけた彦佐だが、左近が必要以上ににたついているのを見て目を細め


「まさか、猪鍋が食いたいだけじゃないでしょうね?」


 二人の向かっている宿は温泉も有名だが猪鍋も絶品と有名だ。


「馬鹿言っちゃいけないよ彦佐。酒が旨いとか、鍋が旨いなんて、そんな事」


「あーあ、やっちゃてるよこの人」


 彦佐がため息をつく、左近が曖昧な返事をする時は図星の時だ。



 二、


 二人が山合いの小さな集落に差し掛かった時だ。怒鳴り声が聞こえる。

 見ると一軒のぼろ家の前に人だかりが出来ている。左近達が人だかりに混じって様子を伺う


 派手な格好をした小さな男、その後ろには背の高い体格の良い力士みたいな男と中肉中背の男が付いている。


 その前には痩せた中年の男と十歳位の少女。その女房と思われる女が七歳位の男達に背を向けた男の子を抱きしめている。


「いつになったら、返すんだ」


 小さな男が怒鳴っている。


「もう少し待って貰えませんか」


 かすれた声で痩せた男が答える。


「もう待てんぞ。今日、返せないなら娘を連れて行く」


「そればっかりはご勘弁を、必ず返しますので」


「いいや、だめだ。力ずくでも連れて行く」


「どうせ、足元を見て、払えんような利息を付けたんだろ」


「悪どいと有名だからな」


 周りの人だかりから声が漏れる。


「誰だ。今、言ったのはゆるさんぞ」


 体格の良い力士崩れが腕捲りをする。


「ちゃんと証文もあるんだ。役所に突き出してもいいんだぞ」


 小男が証文を掲げた。


「こりゃあ、やばいぞ」


「作蔵も可愛そうに体の具合いが良くねぇのに」


 娘はもう泣きそうになっている。


「私が幾らか払いますので今日の所は勘弁して貰えませんか」


 周りの者よりも少し身なりの良い老人が言った。


「黙れ、じじぃ。儂らは代官様の許可も貰っているのだぞ」


 小男の怒鳴り声に


「ああ、やっぱり無理か」


「儂も借りてるぞ」


「明日は我が身だ」


 周りの者が嘆いた。


「私が行きます。娘は勘弁してくだせぇ」


 堪らず女房が口を出したが


「貴様に何の価値がある」


「ばばぁには用はねぇ」


 女房の胸の中の息子は大声で泣き出した。



 三、


「びっくりだな」


 口を挟んで左近が小男の前に出た。


「へっ、」


 小男の欣二は突然、前に出て来た侍に驚いた。


「驚いたぞ。今時にこんな絵に書いたような金貸しがまだ居るんだな」


「浪人か?」


 左近の姿を見た中肉中背の清三が呟く、それを聞いた力士崩れの楠太郎が左近の前に立ち


「おい、浪人。余計な口出しをするとゆるさんぞ」


 と叫んだ。


「木偶の坊は黙ってろ」


 左近が言うと、楠太郎は左近の顔目掛けて張り手をした。


「ふん」


 左近はそれを下から突き上げた拝み手で弾くと、体制を崩して後ろに下がった楠太郎の左肩を右手で掴み、左手でパンと左肩の付け根を叩いた。


「ぐぎゃー、」


 楠太郎は悲鳴を声を上げて転げ回った。

 欣二と清三は目を合わせる。


「騒ぐな。肩の骨が外れただけだ」


「儂らにはお代官様が付いて居るんだぞ」


 欣二の言葉を聞いて左近は襟を正すと


「俺は八州、隠密与力の直方左近だ。貴様の言う事が本当ならその代官ごと貴様等の尋問をしなくちゃならねぇな」


「何だと」


 驚く欣二に清三が耳打ちをした。

 欣二が更に驚く


「へっ、そんなに有名なのか?」


「どうした」


「ぎゃっ、」


 二人の会話の後ろで楠太郎が大声を出してのたうち回っている。


「うるせぇな。彦佐、静かにさせろ」


「へい」


 彦佐は楠太郎の右腕を両手で掴んでぐるりと回して肩の骨を入れた。


「いっ、」


 転げ回っていた楠太郎の動きがぴたりと止まり。


「痛くない」


 静かになった。


「次は容赦なく斬るからな」


 左近睨むと


「ひー、お助けを」


 後ろに下がり木の陰に隠れた。


「与力様。儂らは貸した金を返してもらいたいだけなんです」


 悪あがきをする欣二に左近は


「彦佐、足利の殿様は確か戸田伊豆守様だったな」


「へい、そうでございます」


「代官の裁きは伊豆守様に任せるとして、貴様はどうする。島送りにするか、いや、違法に人売りもしているのなら手打ちと云う手もあるな」


 聞いていた欣二が清三を見る。清三は首を横に振る。


「へへっ、今日は帰ろうかな」


 欣二が振り返り歩き出そうとするが


「忘れ物があるよな」


 左近が呼び止める。


「へへっ、何でしょう」


「証文出せよ」


「やっぱり」


「全部だ」


「全部ですか」


「嘘付いたら草に調べさせるからな。いい加減に悟れ、貴様の生死も俺が握っている。この先も生きていたいなら誠心誠意、俺に媚びろ」


 欣二はもう一度、清三を見る。清三は今度は頷いた。

 諦めて、持っていた大きな巾着を左近に渡した。貰った巾着を覗いて


「随分あるな」


 左近は中から証文を取り出して彦佐に渡した。


「破れ」


「へい」


 渡された証文を彦佐はぶりぶりと破いた。


「ああ、」


「わぁ、」


 貸した人間と借りた人間。正反対の声が上がる。

 すっかりと肩を落として、欣二が帰ろうとする。


「待て」


 又、左近に呼び止められる。


「財布を置いていけ」


 差し出された手の平を見て、ため息が出た。


「家には沢山の金があるんだろう、だから財布は置いていけ」


「分かりました」


 もう欣二に抵抗する力は残っていない

 財布を渡された左近は


「もう金貸しは止めろ、今まで稼いだ金で今度は人の為になる商売を始めろ。

 なんでもいい、呑み屋でも飯屋でもな。草に見張らせるからな、言うとおりにしなかったら手打ちにする。分かったな」


「へい、」


 欣二は虚ろな目で返事をして振り返り、とぼとぼと歩いて行く、その後を清三と楠太郎が付いて行く



 四、


「わぁー、」


 様子を伺っていた取り巻きから歓声が上がった。


「やった」


「流石、与力様」


「作蔵。良かったな」


「ありがとうございます」


 泣いていた子供も笑っている。女の子は泣き出したが今度は嬉し泣きだ。


 左近が財布。財布と言っても小さな巾着袋だが巾着袋を覗くとずっしりと金が入っている。集金もしたのだろう小判も結構入っている。


「よし、みんな並べ」


 左近は取り巻き達を並ばせると一枚づつ小判を配った。


「本当に良いのですか」


「助かります」


「儂なんて、借金がちゃらになって、さらに小判なんて」


「神様だ」


「いや、仏様だ」


「うん、仏様は死んでるな」


 冷静な彦佐がつっこむ

 ちゃっかり、先程。金を少し肩代わりすると言った老人も並んでいる。


「ほらよ」


 小判を配り終えた左近は残った金を作蔵に渡した。


「よろしいのですか」


「顔色が悪いからな。これで薬でも買え」


「来年。来年。家さ寄ってくだせぇ、体を直して、たけぇ薬になる熊のいを用意して待ってますので」


 作蔵は泣きながら左近の手を握っている。


「別にいいよ。役目柄だからな」


「与力様。大した物はありませんが、ぜひ、家に寄ってくだせぇ、お礼をしたいのです」


 老人はこの村の庄屋らしい


「そうか、少し腹も減ったしな」



 五、


 左近達は村の庄屋、千蔵の後ろに付いて行った。


 少し歩いて、この辺りではまともな家に着いたが、俗に云う庄屋の屋敷では無い

 先程、集まっていた者達もボロを縫い合わせた着物を着ていた。


「いくら山の中っていっても、なんでこんなに貧乏なんだ」


 左近の問いに千蔵はため息をつき


「最近、猪が増えて畑を荒らすんですわ」


「猪か」


「それで山から何かを取ってこようとするんですが狂暴な熊が出るようになりまして」


「熊、」


「はい、赤目と言われる大きな熊で、村の者も、もう三人も殺られまして」


「難儀な話しだな」


「でも、与力様に小判をいただいたので村の者も少し息をいた事でしょう」


「そうか」


 千蔵の家には息子夫婦に小さい男孫が一人。下男が一人居た。


 千蔵が大事に取っていたどぶろく。焼いた栗。大根汁。小判を貰った者達が持ち寄ったもち米や小豆で炊いた赤飯が出された。


 どぶろくは旨かったが、栗や大根汁ではたいした酒の肴にもならず。皆が大事に取って置いた。なけなしのもち米で炊いた赤飯をいっぱい喰う気にもなれず。


 左近達はそうそうに庄屋の家を出た。日も傾きかけていたが、目指す宿は半時も歩けば着くと云う事で宿を目指す事にした。



 六、


 歩きだして森の中に入っているとみるみる暗くなっていく、まだ日が照っていても日の当たらない森の中は暗くなるのが早い


「兄貴、やっぱり庄屋の家に泊まれば良かったんじゃ」


 実は庄屋には山の中は暗くなるのが早いし、大熊の事もあるので泊まっていくように勧められたのだが左近が断った。


「酒は旨かったが栗や大根汁じゃ腹は満たされないんだよ」


「赤飯をいっぱい食えば良かったじゃ無いですか」


「なけなしのもち米を集めて炊いた赤飯を食えるか、胸が熱くなって茶碗一杯食うのが精一杯だったぞ」


 言いながら左近は涙ぐんでいる。


「確かにそうですけど」


「物足りないんだよ。もっとがつんとした食い物。肉だ肉、猪肉が食いてぇんだよ」


「そうですか、なら、急ぎましょう。これで熊に襲われたらしゃれになりませんからね」


「大丈夫だ。熊が出たら俺が斬ってやる」


「流石は兄貴」


「俺を誰だと思っている」


「よっ、虎殺しの左近」


 言われて左近がずっこける。


「それを言うんじゃねぇよ」


 虎に襲われて以来、左近は猫まで嫌いになっている。



 七、


 二人が薄暗い森の中を暫く歩いていると突然、藪の中からばきばきの枝の折れる音が聞こえてきた。


「なんだ。なんだ」


「この音はただ事じゃありませんよ」


「来たか、大熊。俺が退治してやる」


 左近が刀を抜いた時だった。藪の中からもの凄い早さで何かが飛び出し左近に襲い掛かった。


「ちぃ、」


 咄嗟に左近が刀を横に振ったが、何かは素早く横に飛んで避けた。そして、その姿を現した。


「ぐぉっ、」


 と唸り声を上げた大きな熊だ。


「本当に熊か?」


 余りにも狂暴なその姿に暫く見とれた後。左近が言った。


「なんと、狂暴な」


「本当に大きいな」


 身の丈、六尺はありそうな大きな熊だ。


「がううっ、」


 と左近達を威嚇している。


「兄貴、気を付けて下さいよ」


 彦佐も小刀を抜いたが熊はあきらかに左近を狙っている。


「くそっ、」


 彦佐がくないを構えると


「がぉっ、」


 又、左近に飛び掛かった。


「舐めるなよ。獣ふぜいがっ、」


 今度は下から刀を振り上げたが手応えは無い。熊の早さは尋常では無い。熊は地面に着くと左近を睨んでいる。


「この野郎」


 彦佐はくないを必死に投げているが、熊の巨体には刺さらない


「んっ、」


 ふと左近が胸元を見ると着物が切られていて、胸の三筋の爪痕から血が流れている。


「ひぇっ、」


 左近の表情が青ざめた。


「いつのまに、思ったよりはぇーし」


「兄貴、」


 彦佐は必死に熊にくないを投げ続けている。


「彦佐、おめぇのくないは効いてねぇんだよ」


「この野郎」


 指摘された彦佐が小刀を構えて熊に突進した時だった。

 再び熊が左近に襲い掛かった。


「くそっ、」


 熊に襲い掛かられて左近が倒れ込んだ。


「あにきっ、」


 彦佐が叫んだ。

 左近に被い被った熊はそのまま突進した。いや正しくは投げ飛ばされた。


 左近は突進してくる熊を倒れると同時に下から蹴り上げた。いわゆる柔術で云う巴投げだ。


 素早い突進力を利用されて投げ飛ばされた熊は大きく飛んで杉の大木に頭から突っ込んだ。


 バキッと大きな音がした。

 木の中程にぶつかった熊は木からずり落ちた。


「ちくしょう、この野郎」


 訳も分からずに左近が立ち上がる。


「兄貴、大丈夫ですか」


「どうだ!」


 体を見渡して左近が我が身を確かめる。


「大丈夫かな?」


 彦佐が駆け寄る。


「良かった」


 二人は抱き合い、そして熊を見る。熊は動かない、二人は見つめ合い


「兄貴、見て来ます」


 傷を負った左近を気遣い彦佐が動く。長めの枝を見つけるとそっと倒れている熊に近づいて様子を伺い、木の枝で突ついた。


 動かないのを確認して近づくと熊は白目を向いて口から血を流している。


「頭から木にぶつかって、首の骨が折れた?」


 そして左近の方を見て


「兄貴、死んでますよ」


「そうか、良かった」


 聞いた左近は安心して尻もちをついた。

 彦佐は死んだ熊をまじまじと見て


「熊殺しの左近」


 そう呟いた。

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