第29話 悪霊退治(後)

 一、


 二人が舘山に近付くにつれて霧が出てきた。どんどんと濃くなって行く


「嫌な感じだな」


「いかにもって感じですね」


 どんどんと霧の深くなる道を歩いて行くと


「もし」


 二人に声を掛ける者が表れた。


「来たか」


 出るか出ないかの小さな声を出した左近が振り返る。

 そこには使用人の身なりの背の低い老人がにこにこした顔をして立っていた。


「この先は崖道になっていて霧の中を歩くのは危のうございます。近くに我が主人の屋敷がございますので霧が晴れるまで休まれては」


「それはかたじけないが主人の断りも無く大丈夫なのか?」


「なーに、我が主人は暇をもて余しております故、旅人の話しを聞くのは大好きにございます。我が屋敷は良い酒もございますので、ぜひ」


「では甘えるか」


 二人は好好爺の後を付いて行く

しばらく歩くと霧の中に大きな舘が見えてきた。

 門を潜り童使いの案内で客間に進むと狩衣姿の公家が表れた。

 切れ長の目で細身、いかにも御公家様といった容貌だった。


「よく来られた」


 左近と彦佐が頭を下げると


「堅苦しい挨拶はよい、とりあえずは酒宴といたそうぞ」


 酒とつまみが運ばれてきた。

酒を注がれた彦佐が左近を見るが、左近はのほほんと注がれた酒を飲んだ。

 酒の味を確かめて


「うん、旨い」


 これが悪霊の幻ならば味はするのかと半信半疑で彦佐が恐る恐る酒を舐めると


「旨い」


 本当に美酒の味わいだ。


「貴公は侍のようだが浪人か?」


「いえ、このような身なりをしていますが役人です」


「そうか、ならば剣の腕に自信はあるか?」


「はい、刀を使う事の多い役目ですので」


 つまみとして出された焼き魚を頬張りながら左近が答える。


「流派は」


「無双流です」


「無双流?はて聞いた事が無いな」


「養父が色々な流派を合わせて作った新しい流派です」


「ほう新しい流派でおじゃるか」


 公家は笑みを浮かべて


「それは楽しみじゃあ。麿も剣の腕には自信がおじゃる。若き頃は剣の修行に励んだものじゃ、どうだ、明日は麿と剣の勝負を致さぬか」


 左近はちらりと公家を見て


「構いませんまが手加減は致しませんよ」


 聞いた公家は喜んで


「よい、よい、勝負は全力でせねばつまらぬからのう」



 二、


 寝所の蝋燭の下で二人は声を出さずに口読術で話している。


「本当にまぼろしなのでしょうか?」


「うむ、区別はつかぬな」


「酒や料理も味がしましたしね。しかしびっくりしましたよ。いきなり出された酒を飲むんですもの」


「そりゃあ、幻ならば味がするか興味が湧くだろ」


「いきなり飲んで、何かあったらどうするんですか」


「大丈夫だよ。俺と立ち会う事が目的ならばそれまでは何もせんさ」


「明日大丈夫ですかね」


「心配するな。彦佐は手はず通りに離れて援護して何かあった時は助けを呼びに言ってくれ」


「心配です」


 左近は近付けていた顔を離すとごろりと寝転がり声を出して


「後はなるようにしかならんぞ」



 三、


 次の日の朝、味のする朝食あさげを済ませると舘の中庭で左近と公家が向かい合った。 左近が正眼に構えると


「ほっ、ほっ、ほ、良いぞ隙の無い構えだ」


 公家が喜んでいる。そして右手で下段に刀を持ち無構えにしている。


「こっちは本気だっていうのに舐めているのか、この馬鹿公家がっ」


 変形の正眼に構え直し摺り足で左に周りながら頃合いを謀った左近が素早く逆袈裟で斬り込んだ。


「つぉー、」


 頃合いは合っていた。普通の侍なら斬られている。しかし、公家はすっと躱した。

 だが左近はすかさず袈裟で斬り直し、躱されても左上段、右上段と斜めに斬り込んだが、それも公家は体裁き足裁きで躱していく


「素早い」


 諦めた左近は間合いを取る。


「くそっ、強いぞ!」


 すうーっと息を吐いて落ち着いた左近は


「受け身ばかりですねぇ、西の剣豪は」


 公家を挑発する。


「そうでおじゃるな、こちらも本気を出そう」


 そう言って公家は飛んだ。人とは思えないような凄い跳躍力で左近を飛び越えて、すたっと彦佐の前に落ちると驚く彦佐の顔に息を吐いた。


「えっ」


 崩れるように彦佐が気を失って倒れた。


「これで邪魔者が居なくなって心置きなく戦えるのぅ」


「なっ、彦佐に何をしやがった。このいかさま公方がゆるさねぇぞ」


 懐から御札を出して口に咥えた左近は再び走り出し、くないを投げた。


(御札も祓った刀も仕事をしろよ)


 そう念じながら飛んで、くないを払っている公家に斬り掛かった。


(やったか?)


 頃合いは完璧と思われたが公家の姿が消えた。


「うつせみか?」


 呟いた左近に公家が目の前に現れ斬り込んで来た。

 左近が刀で受ける。それを公家がぐいぐいと押し込んで来る。


「くそっ、とても幻とかの力じゃねぇぞ」


 その力強さに苦戦する左近に公家が息を吹き掛けた。


「ふぅ」


 体から力が抜けて気を失いそうになりながらも左近は踏み止まった。


「こんなくそっ、」


 咥えた御札のお陰だろうか左近は公家を押し飛ばした。


「ふほほほっ」


 公家は不気味に笑っている。


(御札が効いたのか?しかし確かに斬った筈。刀はだめなのか)


 又、斬り掛かってくる公家を見て左近は刀を置いた。


(まだ手はある)


 素早い公家の動きに合わせて左回りに回り込んでその手を掴んだ。


(掴めたぞ)


 そのまま公家の手首を捻りながら刀を奪った。


(はい無刀取り、上手くいった)


「なっ、」


 驚く公家を突き飛ばして間合いを取ると踏み込んで奪った刀で袈裟斬りに斬った。

 公家の衣が斜めに斬れた。


(今度こそやったか)


 苦悶の表情を浮かべて公家が飛び下がったがにたりと笑うと斬られた衣が元に戻っていく

 それを見た左近はがっかりして肩を落とした。ついでに咥えていた御札も落とした。



 四、


「はぁ、疲れた。もう手は無いぞ、どうする養父おやじさんよ」


 困った左近が亡き養父を呼んでみた。


「んっ、」


 その時、左近は昔、義父である鉄山との会話を思い出した。


「なあ左近。この世に斬れぬ物があると思うか?」


「そりゃあ沢山あるでしょう。でかい岩とか鋼とか、ああ、水とかも斬れませんぞ」


 鉄山は笑いながら


「そう思うなら迷わずに刀を振ってみよ。今まで何万回と振った想いを込めて、その先に剣の極意があるやも知れんぞ」


 その時は何を訳の分からない事を言ってるのかと馬鹿にしていたが


「やった事はねぇが、もう、それしかねぇな」


 左近は深く息を吸い込むと


「見せてやるよ。何万、何十万回と振ってたどり着いた最高の一振りってやつを」


 左近が置いた刀を拾い、公家は片手で刀を構える。


「もう、終わりか」


 左近は目を閉じた。


(もう相手の姿などどうでもいい、念を刀に込めて気配を読み、ただ無心に刀を振るだけ、それでダメなら仕方が無い。みんな、すまんな、さよならだ)


「ほっほっほっ、諦めたのか、ならば斬っておじゃる」


 今までとは違う、あきらかな殺意を持ち、公家が刀を大きく振ってきた。


「今だ」


 刹那、半身をずらして右上段から袈裟懸けに公家を斬った。。


「ぎゃっ」


 大きく斬られた。

公家は離れて刀を捨てて肩口を押さえたが今度は戻らない

 しゅうしゅうと音を立てながら公家の身体が霧になって行く、苦悶に表情を歪めていたが、ついには


「見事じゃ」


 そう言って公家は消えた。


「やったのか」


 目を開けた左近は疲れはてて膝から崩れ落ちた。


 彦佐の所に戻ると老使用人が小刀を振り上げている。


「何をしている」


 老使用人は振り返り


「主人が殺れたのです。されど、あなた様にはとても敵わぬでしょう。ならば、この忍びだけでも道連れにせねば」


「やめろ、そいつは俺の大事な弟だ」


「たかが家来。一人死んだ所でまた雇えば良い話しでしょう」


 左近は胸元のくないを握りしめて


「不幸な奴が折角、幸せを掴んだんだ。どうしてもって云うなら代わりに俺を連れて行け」


「ならば、尚の事。うっ、」


 老忍は小刀を振り下ろそうとしたが、左近の投げたくないが背中に刺さった。

 効くか効かぬか半信半疑だったが老使用人の動きが止まった。

 左近は急いで駆け寄り、念を込めながら素早く老使用人を斬った。


「互いに天涯孤独の身。俺に取って唯一無二の弟。だから絶対に殺させはしない」


「ぎゃー、」


 老使用人の体も霧となり消えて行く



 五、


 すっかり霧の晴れた山の中腹にある草原くさはらで左近と彦佐は積んだ石の前で拝んでいる。


「なんだったんでしょうね」


「気が付いたら二人でここに倒れてたからな。ほんとに悪霊を退治したか分からねぇし、信じて貰えねぇぞ」


「左近殿」


「彦佐さーん」


 そこに半兵衛と桐丸の二人を呼ぶ声が聞こえた。


「えっ、この声は半兵衛様」


 姿を見つけた彦佐が手を振る


「こっちです」


「無事だったんですね」


「良かった」


 駆け寄って来た半兵衛と桐丸は少し窶れていた。


「何でここに居るんだよ」


 無愛想な左近に


「心配で付いて来たんですよ」


 必死に答える桐丸に


「顔色が悪いぞ」


「一晩中、二人を探してたんです。眠りもせず、何も食わず飲ますで」


「何だよ。その無鉄砲ぶりは、その辺に倒れていて俺達に助けられたらしゃれにならんだろう」


 左近は懐から懐紙に包まれた飴を出して二人に舐めさせた。


「ありがとうございます」


「助かります」


 甘い物を口にして落ち着いた二人に


「所で悪霊を倒したんだが見ていたか?」


「いえ」


「俺達を付けてたんだろ」


「それが二人が霧の中に消えて行ったので後を追いかけたのですが見失い、霧の中をずっとさ迷っておりました」


「屋敷は見たのか」


「ずっと霧の中で」


「そうか」


 左近は山の上の方を見上げて


「はぁー、困ったね」


 そう呟いた。


 しかし、それから悪霊はぱったりと出なくなり、左近達が悪霊を退治したとの噂が広まった。

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