第4話.冤罪
「クナ。お前は薬と偽って、毒入りのポーションを売ったそうだな」
最初、クナは何を言われたのか分からなかった。
ほんの一分前のこと。
幸いと言うべきなのか、シャリーンのあとはポーション目当ての客は訪れずに、夕の鐘の音が聞こえてきた。
そろそろ店じまいの時間だとクナが立ち上がったときだ。
鐘の音が鳴り止むより早く、狭い店の中に男たちが押し入ってきた。
村の中でも屈強で、乱暴者と言われている二人組だ。その手に武器こそないが、十五歳の少女であるクナを威圧するには十分だった。
彼らのあとからは、年老いた村長が杖をつきながら姿を現した。
――そこで村長が言い放ったのが、「毒入りのポーション」という信じられない言葉だった。
しばらく固まっていたクナは、どうにか口を開く。
「なんのことですか?」
震えを押し殺して、喉奥から声を絞り出す。
何が何やら分からないが、黙っていては不利になると思ったからだ。
そこで古い木の扉が立て続けにバン! と音を立てて開いた。
「しらばっくれないでよ、クナ!」
「シャリーン……お前、家で待っていなさいと言っただろうに」
村長は呆れたようだったが、シャリーンは引き下がらない。
昼間とはずいぶん様子が違う。激しい剣幕で、クナを睨みつけている。
だが乱入してきたシャリーンより、彼女と共に入店してきた男にクナは気を取られる。
「兄さん?」
クナと血の繋がらない兄であるドルフ。
兄弟子でもあるドルフが帰ってきたことにクナはほっとしたが、すぐに訝しげに目を細めた。
ドルフはいつまで経っても、クナに近づいてこない。返事もしない。
それどころかシャリーンの肩を支えて、気まずそうに天井あたりを見ている。
クナの胸に、いやな予感が芽生える。
シャリーンは頭の上に掲げるようにして、空っぽの瓶を持っている。
蓋の色は――黄色。
「今日の昼間のことだった。あなたはあたしに、この黄色蓋のポーションを売ったわよね?」
「……売った、けど」
「あたしはそれを、今朝から体調が悪かったロイに飲ませたの」
ロイというのは、シャリーンが飼っている子犬の名前だ。
けむくじゃらの灰色の毛をした、つぶらな目の犬。行商人が連れていたのを、シャリーンが村長にねだって買い取ったのだが、世話に飽きたシャリーンはすぐにロイを放置するようになった。
縄と鎖に繋がれ、散歩ができないロイはいつも退屈そうだったが、クナが通りかかると嬉しそうに尻尾を振っていた。
他の住人に気がつかれないよう、クナもロイに向けて小さく手を振ったものだ。
「あなたのせいで、ロイがどれほど苦しんだと思う?」
「…………まさか」
さぁっとクナの顔から血の気が引く。
「ロイは泡を噴いて死んだわ。あなたが毒入りのポーションなんか売ったせいでね!」
シャリーンがクナの顔に指先を突きつける。
村中の娘から嫉妬を、男衆からは羨望を向けられる美しいシャリーンの目は赤い。
流れ落ちた涙の跡も、頬にくっきりと残っていて同情を誘う。
だがそんなものに、クナは騙されない。
「……っお前!」
カウンターを飛び越えたクナは、シャリーンに掴み掛かろうとした。
その身体を、男たちが床に押さえつける。
腕を掴まれ、身体を強打する。全身にひどい痛みを感じながら、クナはそれでも暴れた。
「……よくも! よくもロイを殺したな!」
クナは確信していた。これは、クナを陥れるためのシャリーンの策略だと。
言い逃れできないよう、ドルフが作ったポーションは事前に村人たちに全て買わせた。
自分はクナが作ったポーションを買う。その中に毒を仕込み、挙げ句の果てに飼い犬に飲ませた。
それなら、今日起こった不可解な出来事――その全ての辻褄が合うのだ。
(この性悪女、そんな下らないことのために!)
ドルフは青い顔をして沈黙したままだ。
そんなドルフの腕にシャリーンは甘えるように抱きついている。
「何言ってるの? それはこっちの台詞だわ」
「私がロイを殺すわけない!」
「でしょうね。あなたが殺そうとしたのはあたしでしょうから」
クナの息が止まる。
村長が止める声も聞かず、シャリーンはクナのすぐ傍にしゃがみ込んだ。
殺意のにじむ目で見上げるクナを、シャリーンは哀れむように見下ろしている。
「本当は、少しだけ同情しているのよ。昔からあなたが、あたしに一方的に嫉妬していたことは知ってるから」
「……、」
「確かにあたしは美しい。あなたは捨て子で、不細工で、愛想もない嫌われ者だわ。だからあたしに毒を盛ろうと企んだのね」
(…………は?)
言葉の意味を理解して、クナは顔を真っ赤にした。
なんという侮辱。薬師に対して、これほどまでに屈辱的な言葉は他にないだろう。
「……嫉妬を募らせた私が、毒を入れたと?」
「だから、そう言ってるじゃない」
「ふざけないで。あんたみたいな人間に嫉妬したことなんて一度もない」
店内にざわめきが広がる。
クナの反抗的な態度を前に、村長の眉間に深い皺が寄っている。
はぁ、とシャリーンが溜め息を吐く。
改めて、空の薬瓶を堂々と掲げてみせると。
「この薬屋では、ドルフとクナそれぞれがポーションを作ってるわよね? どちらが作ったものか分かるように、薬瓶の蓋の色を変えてる。ドルフが青、クナが黄色。そうよねドルフ?」
「あ……、あぁ」
「で、あたしがロイに飲ませたポーションの蓋は、ご覧の通り黄色かったわけだけど?」
クナはじっと薬瓶を見つめて、努めてゆっくりと言った。
「……薬瓶自体はこの薬屋で使ってるものだけど、そんなの証拠にはならない。珍しいものじゃないから、入手する方法はいくらでもある。調合室に忍び込んで、蓋を盗むことだってできる」
誰も言葉を発さない。
クナは歯噛みした。店内に流れる空気は、すでにクナを犯人と断定している。
ロイの死を知り、クナが冷静さを欠いたのもひとつの原因だろう。
しかし、そもそも――最初から、クナを犯人扱いすることは決まっていたのだ。
勝利を確信したのか。
シャリーンの口元が、大きく笑みの形に歪んでいる。
「……もういいわ、クナを連行して」
男たちがクナを無理やり立ち上がらせる。
両手を背中に回されながら、クナは必死に言い募った。
「村長、私は売り物に毒を入れたりしていません。薬師の端くれとして、絶対にそんなことはしません!」
村長が深い溜め息を吐く。
結果的に死んだのは犬一匹。シャリーンは言い張っているが、実際は犯人だという確証もない。どう決着させたものか村長も悩んでいた。
悩んだ末に、答えを出す。
「クナを鞭打ちの刑に処す。回数は十回とする」
「おじいさま」
シャリーンが両手を合わせて、村長を潤んだ目で見つめる。
可愛い孫娘の心からの哀願だった。村長は沈黙のあと、訂正した。
「罪を認めるまで打ち続けろ」
「――、」
クナは絶句する。
その言葉は、無実のクナにとって死刑宣告に近かった。
「連れて行け」
二人の男に両脇を持ち上げられ、クナはずるずると引きずられていく。
抵抗しようにも力の差は歴然だ。クナは声の限りに叫んだ。
「兄さん、助けて! 私は何もやってない!」
首の角度を逸らし、何度もドルフを呼ぶ。
確かにクナは薬師として落ちこぼれだ。ドルフのようにうまくできない。薬屋の戦力にもならない。
それでも毎日、必死に薬草の世話や調合に励んできた。
地道な修練の日々を重ねてきた。私的な感情でポーションに毒を入れるなんて馬鹿な真似をしないと、ドルフなら分かってくれるはずだ。
「にいさ――」
そんなクナの思いを裏切るように。
ドルフが、目を逸らした。
まるでクナのことなど目に入らないかのように、冷たく背中を向ける。
ようやく、クナは悟った。
自分は――たったひとりの家族にさえ、捨てられたのだ。
クナを追いかけて店を出たシャリーンが、薬瓶をこれ見よがしに放り投げる。
小さな背中に当たった薬瓶が、地面へと落ちる。硝子が砕け散る音だけが、夕闇に響き渡った。
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