第34話.助ける薬
誰もが絶句し、口元を覆う中。
表情のない薬師の少女――クナは、ひたすら淡々と、瓶の中身をぶちまけていく。
血まみれの二人の男に、休むことなく注がれる緑色の薬液。
垂れ流された液は、血と混ざり合って担架を伝い、石畳へと跳ね、辺り一面には薬独特のにおいが広がっていく。
いち早く我に返ったのは、以前クナと話した中年の門衛であった。
「君、い、いったい何をしてるんだ?」
「何って――」
顔を向けずに、クナが答えようとしたときだった。
「や、やめ、ろ」
くぐもった悲鳴のような声が上がる。
声の持ち主は、担架に転がされた男だった。右腕が折れており、しかも太い角の突き立った痕がある。
苦悶に顔を歪めながらも、彼はクナを睨みつけている。
「やめ、てくれ。頼む」
「へぇ、喋る元気があるんだ」
(感心感心)
二本の瓶が空になったので、その場に背負いかごを下ろしたクナは、あとの二本を掴む。
再び蓋を口で開ける。黄色蓋が地面をからからと転がる。そのうちのひとつは呻く男の足先まで転がって、そこで止まった。
男は懇願するように言う。
「兄貴の態度が悪かったからって、そこまですること、ないだろ。兄貴が死んじまうよ……やめてくれ……」
「は?」
何やら、おかしな誤解をされているらしい。
クナは露骨に溜め息を吐いた。そうしながら二本のポーションを逆さまにし、再び男たちの頭にぶちまけ始めるので、男は啜り泣きをしている。口が、「やめてくれ」と何度も動いている。
起き上がろうとしているようだが、うまく身体に力が入らないのだろう。横になったまま鼻水を垂らす情けない様を一瞥して、クナはまた大きく息を吐いた。
さすがに人殺し扱いされるのは心外である。そもそも放っておいても死ぬ相手をいじめるほど、クナは暇人に見えるのだろうか。
「あんたたちにとって足蹴にするほどどうでもいいものでも、私にとっては大事な売り物だ。人を殺すのに使うわけないだろ、もったいない」
「……じゃあ、いったい……」
クナが合計して四本のポーションを空にしていると。
恐る恐る近づいてきた門衛たちが、二人の傷の具合をそれぞれ確認し合う。
そして、どちらからともなく呟いた。
「……傷が、塞がってるぞ」
その一言に、見守る周囲がどよめく。
誰もが小声で何かを囁き合う。どこか興奮に掻き立てられるような熱が、場を満たしている。
多くの視線を浴びるクナはといえば、勝利の予感に拳を握るでもなく、腕を組んで冷静に男たちを観察していた。
(うん、本当に塞がってる)
傷を癒やし、体力を回復するポーションは、経口摂取がもっとも効果的で望ましい。
だが、彼らは自力でポーションを飲める状態ではなかったので、クナは直接、傷に浴びせることにした。魔獣と遭遇した際はポーションを飲む暇などないので、そのようにポーションを使う冒険者も居るのだ。
(消毒できればいいな、程度に思ってたけど)
血が噴き出ていた頭部の傷も見たところ塞がっているし、千切れかけていた腕や足の皮膚も繋がっている。
クナとしても思っていた以上の結果である。アコ村を出てからというものの、妙に調子が良いようだ。
(アコ村で採取できる薬草より、森で採れたのが良い薬草だった……とか?)
クナには、それくらいしか理由が思いつかない。
「信じられない……初級ポーションで、あれほどの傷が塞がるなんて」
若い門衛は狼狽えたように何度も繰り返している。
目を見開いていた中年の門衛は、クナに話しかけてきた。
「リュカのことも森で助けたそうだな。……君は、何者なんだ?」
怖々と問われても、それこそ意味のない問いだとクナは思う。
なぜなら、答えはひとつしかないのだから。
「私は薬師だ。薬師は、薬を売るのが仕事だ」
ふんと鼻を鳴らしたクナは、背負いかごから目当ての瓶を取り出す。
担架に横たわる男の真横におけば、何事かというように目を向けてくる。クナは顎をしゃくって言い放った。
「意識があるなら自分で飲め。横で寝てる男にも飲ませろ。ただし、半分ずつだぞ。大事に飲め」
ようやく、助かるという実感が湧いてきたのだろうか。
男の双眸に、みるみるうちに涙が浮き上がる。洟を啜りながら、男がぽつりと呟いた。
「……あ、ありが、とう……」
クナは少しだけ微笑む。
今まで向けられた覚えのない言葉を、アコ村を出てからよく聞くようになった。
だからこそクナは、どんなに未熟であっても、目の前の命を諦めるような真似はしたくないと思う。
といっても、無償で働くつもりは、やはりないのだが。
「言っとくけど、お金はもらうから」
「も、もちろん、だ……はは」
迷いない目で言ってのけるクナに、男は苦笑している。
(よし、言質はとった)
やる気の出たクナは、周囲を見回した。
二人の男の傷は塞がったといっても、失われた血が多すぎる。依然として予断を許さない状況だ。
「誰か、竈を貸して。中級ポーションを作りたい」
「店主よ、頼めるか?」
門衛が気を使って、薬屋の店主に声をかける。
それまで黙って事の成り行きを見守っていた店主だったが、とたんにクナに見下したような笑みを向けてくる。反射的に、クナは眉根を寄せた。
「お前、薬師なんだな?」
「そうだけど」
「お前も魔力は切れているんだろう。良い格好がしたいからと、無理をするのはよせ」
だがその指摘は、的外れだ。
クナは肩を竦めた。薬屋をやれるほど裕福な中年男と異なり、クナは一本の瓶を買い足すにも迷うほど貧しいのである。
「深夜に六本の初級ポーションを調合したけど、まだ魔力は余ってる」
「六本……一日にその程度の調合しかできんか。まぁ、流れの薬師にはそれくらいが限界か」
癪に障る言い方を選んでくる店主だ。
よっぽど、クナのポーションが衆人環視の前で役立ったのがむかついたのだろう。薬屋を営む自分の面目が潰れたと思っているのかもしれない。隣の倅とやらも、こちらを露骨に睨みつけている。いちいち相手にしてやるクナではなかったが。
「だが中級ポーションの調合なぞ、その程度で音を上げる薬師にはとうてい無理だぞ。そもそも私だって未だ作れたことはなく、私の師匠もその域に到達するには……」
(あー、面倒くさい)
クナはその先を聞く気がなくなった。
見栄を張った下らない言葉の数々。こんなものに時間を割いている暇はない。
背負いかごに引っかけて持ち運んでいる携帯鍋を、クナは取り外す。
まだ喋っていた店主が失笑する。調合用ではなく、鍋の底は凹んでもいる。みすぼらしいと馬鹿にしたかったのだろう。
だがクナは気にしない。というのも『死の森』で拾ってから何度も使ってきた、愛着がある鍋だ。誰の持ち物かは知らないが、今やクナの大事な相棒といえよう。
「きゃん!」
なぜかロイが対抗するように鳴いているが、クナは無視することにした。
魔力水で両手を洗い、鍋の中身も洗う。服が濡れるのも気にせず、丁寧に。
しかし往来のど真ん中である。砂や埃など不純物が入るかもしれないが、緊急事態なのだから致し方ない。それくらいは我慢してもらおうと思う。命あっての物種だ。
(まず、鍋に浮遊魔法)
自分の身体を浮かすような高度な魔法は、クナには使えない。それは王都で名の知れる賢者や魔女が使うような難しい魔法なのだ。
だが、空中に鍋を浮かせる程度は可能だ。それを持続させることも、常日頃から魔力の放出を練習しているクナにならばできる。
その時点で、周囲にはどよめきが広がっていたのだが、集中を増しているクナは気がつかなかった。
(水魔法で、魔力水を注ぎ入れてっと)
胸あたりに浮かせた鍋の中に、勢いよく魔力水が溜まる。その中にかごから出した薬草とキバナの花を、クナは風魔法で細かく粉砕して入れていく。
乳鉢と乳棒を使い粉末状にすればもっと効果は上がるのだが、時間が惜しい。苦肉の策というやつだ。もっと強い術者であれば、無数の風の刃で硬い魔獣の身体さえ貫くというが、クナは逆立ちしてもそんな芸当はできないだろう。
(次に、炎魔法)
鍋の底に這うようにして、赤々とした炎をまとわせる。
竈はないし、鍋自体も調合釜ではないので、魔法陣は刻まれていない。炎の大きさは風を読みながら、都度都度、自力で調整するしかなさそうだ。これも手間だが、致し方なしとする。
(あ、木べら出し忘れた……なら、もっかい風魔法)
もはや妥協だらけであるが、問題はない。
ささやかに起こした風が、鍋の内部だけを中心に回転する。キバナの溶ける魔力水がぐつぐつと沸騰しながら、鍋の中で踊っている。花の色が染みて、薬液の色は濃い青色へと染まっていく。
(ぐるぐる、ぐーるぐるっと)
見守る人々は、すでに誰もが言葉を失っていた。
浮遊魔法、水魔法、風魔法、炎魔法。それぞれ単体で見れば、生活魔法と呼ばれる程度で、そう難しい魔法ではない。そこらの子どもでも、素養があれば扱うことはできる。
しかし恐ろしいのは、その持続性と完璧なまでの精度である。
三つの魔法を同時に発動させ、その出力を細かく調整しながらも、鍋の中に休まず魔力を注ぎ入れ続けていく――そんな芸当ができる人間を、彼らは今まで見たことがなかったのだ。
人は理解を超える現象を目の当たりにしたとき、言葉をなくし、ただその光景を注視するしかなくなる。
そうして畏怖の念がこもる目で見つめられるクナが、ただひとつ思うことは。
(やっぱり早く、調合道具を揃えないと不便だなぁ……)
であった。
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