第39話.リュカの願い



「クナ。その瓶、なんだ?」

「これ? 昨日売ったポーションの、空瓶」


 黄色蓋の硝子瓶を、クナはぶらぶらと顔の横で振る。


「瓶を引き取って金を渡すのか? それだとクナが損にならないか?」


 子どもに十ニェカを渡したので、リュカは不思議に思っているらしい。


「こうすれば私の手元に瓶が戻ってくるから、雑貨屋で新しく瓶を買わずに済む。客もお金が少し戻ってくるからお得になるし、また立ち寄ってくれるわけだから、別の商品を売りつ……売る機会につながるでしょ」


 今は他の売り物がなかったので、そうはいかなかったが。

 それに三百ニェカの初級ポーションを二百九十ニェカで手に入れられるわけだから、薬屋の顧客をこちらに引っ張ってこられるかもしれない。

 薬屋のクナへの態度を鑑みるに、きっと貧乏くさいやり方だと馬鹿にして真似たりはしないだろう。それこそクナの思うつぼなのだが。


 瓶は魔力水できちんと消毒し、日干しした上で再利用する。リュカは本気で感心したように息を吐いていた。


「はぁ、なるほどなぁ……クナは頭が良いな」

「感心されるようなことじゃないよ」


 クナは首を振る。アコ村の薬屋でも思いついて実践していたことだ。

 けれど、あまり空瓶が店頭に戻ってくることはなかった。クナを侮る村人たちは、わざと店の前に泥まみれの瓶を置き去りにしたり、店の前でこれ見よがしに割っていくこともあった。


 だから、ウェスの住人たちが空瓶を戻してくれるたびに、クナは少し温かい気持ちになるのだった。


「だけどそんなの、他にやってる連中を知らないぞ。空き瓶は面倒だからって、そこらに捨てていく冒険者が多いんだ。……裂いた魔獣の腹から、瓶が出てくることもあるし」


 いやな思い出があるのか、リュカが溜め息を吐いている。

 へぇ、と相槌を打っていたクナは、目を瞬かせた。リュカが急に顔を近づけてきたからだ。

 クナは面食いではないので、整った顔が触れられるほど傍に迫っても照れたりはしないが、それなりに驚きはする。もう少し驚いていたら、手にした空瓶をその頭に容赦なく叩きつけていたことだろう。


 けれど、リュカにはいやらしい企みなどひとつもなくて、ただ歯を見せて笑うのだった。


「クナはすごい。すごいんだから、ちゃんと誇ってくれ」

「……そりゃあ、どうも」


 と答えつつ、ぎゅうと、クナは自分の頬を片方の手でつねっている。


(こいつ、なんで恥ずかしげもなくこんなことが言えるんだ?)


 口を開けばいやみったらしい言葉を吐いてしまうクナ相手にも、リュカはまっすぐだ。

 この男は腹に一物抱える、という言葉さえ知らないのだろうか。裏表がなく、ひたすら前に突き進むみたいに生きている。


 このまま頬をつねっていると、あとで痛み出すに違いないので、クナは早々に話題を変えることにした。


「ところで、セイジョ……って何?」

「え?」

「ちらほらと、子どもからそういう風に呼ばれるんだけど。さっきもそう」


 外れポーションを作る役立たずの薬師、などとは呼ばれ慣れているが、セイジョ、という響きはどうにも落ち着かないクナである。

 何か、蔑むような意味合いでないのは、その言葉を発する子らの顔つきからして分かっているのだが、急に変なあだ名をつけられたようで困惑していた。


 問われたリュカのほうはといえば、どう答えたものか悩む。

 広く顔の知られたリュカは、その理由を知っている。ウェスで最も年嵩の老人は、子どもを集めてよく物語を話すのだが、昨日、彼はそこで聖女の話を語り聞かせたのだ。だから子どもたちは、クナを再来した聖女なのだと思い込んで、朝から露店を張り込んだのだろう。きっと彼らを中心に、この話は近いうちにウェスにますます広がっていく。


(オレも、異論はないけどさ……)


 膝に頬杖をついたリュカは、じぃっとクナを見つめる。

 小首を傾げる少女。肩に垂れる艶のある黒髪に、理知的な橙色の瞳。この不思議と輝く目を見ると、リュカは吸い込まれそうになってしまう。聖女かどうかはともかくとして、森の精か何かかと錯覚しそうになるのだ。


 クナは訝しげに、小さな唇をすぼめた。


「なに、赤い顔して。熱?」

「え、いや。違う違う!」


 ぶんぶんぶん、とリュカは首を振りたくる。

 そうして頭を回転させる。実力があるのに、謙虚で控えめなクナのことだ。ウェスの住人の一部が聖女呼ばわりしていることを知れば、さらに遠慮がちになってしまうのではないか。


 そう考えたリュカは、苦し紛れの嘘を絞り出した。


「えっと、ウェスではな……腕がいい薬師をセイジョって呼ぶんだ」

「……ふぅん?」


 森をあいだに挟むと、細かな文化まで違ってくるのだろうか。

 いまいち納得のいかないクナだったが、そこでリュカが咳払いをする。


「クナ。それでさ、今日は折り入って頼みがあるんだ」


 ぴんと来たクナは、黙ってリュカの顔を見上げる。

 ナディは言っていた。リュカが幻の薬草を探して、森に踏み入ったこと。その理由についても、教えてくれたのだ。


 そんなことは知らないだろうリュカは、硬い声で続ける。


「オレの母親を、治してくれないか」


 それはリュカにとっては、一世一代の頼みだった。


 リュカの知る限り、これほどまでに優れた腕を持つ薬師は他に居ない。

 今、このとき、クナに会えたことを彼は、それこそ奇跡のようにも思っている。だからこそ、もし断られればあとがないということも、リュカは実感していた。


 汗のにじむ顔で、一心不乱に見つめられたクナはといえば、即答しない。

 物を売ってくれ、という依頼とは違う。治せるか、とだけ訊かれて、治せると答える薬師は阿呆だと、クナはよく知っている。


 だからクナは、希望に縋るような目をし、唇を引き結んだリュカに、こう答える。


「治せるかどうかは、診てみないと分からない」

「……そうだよな」


 どこか、冷たい答えに感じられたのだろうか。

 リュカが肩を落とす。俯いて、項垂れているのだろうか。そう思うとクナはむかついてくる。

 そもそも、クナは治せないとは言っていない。先走りされては困る。それに――暗い顔をしているリュカを、見ていたくはなかった。


(私は、この男に、少しだけ甘いのかもしれない)


 クナがそんな風に感じる相手は、今まで居なかった。

 薬師としてのクナに、初めて感謝の言葉をくれた人。花束のように飾られたお礼ではなくて、ただ心の底から叫ぶように告げられた言葉。


 その響きが今もはっきりと、耳元で聞こえるから。



「だからとりあえず、リュカの家につれてってくれる?」



 弾かれたように、リュカが顔を上げる。

 クナは思った。この男はやはり、笑っているほうが似合うのだと。








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 これにて第1部完結となります。


 明日からは第2部開始の予定です。クナの日々はまだまだ続きます。

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