第31話.嵐の前の



 昨日の雨は夕方近くまで降り続けたが、翌日になると路面はきれいに乾いていた。


 贅沢な朝風呂と朝食を済ませたクナは、今日も同じ場所で店を出す。

 雨粒は寄り集まって、水路に流れていったのだろう。瓦屋根の上から、水滴が降ってくることもない。

 なんとなく、リュカたちが待ち構えているのではないかと思ったが、見渡す限りに彼らの姿はなかった。


(ナディが、なんか言ってくれたのかも)


 よく気遣いのできる女性だ。リュカに言い含めてくれたのかもしれない。騒がしい彼らが店に現れれば、商売どころでなくなると思ったのだろう。しかしクナは、少し残念に思った。

 敷物の上に座ったクナは、売り物のポーションを並べる。昨日リュカに一本だけ売れたので、今日は深夜に追加で六本分を調合した。昨日の九本には、中身が傷まないよう保護魔法をかけてある。あわせて、十五本だ。


 整然と並ぶ黄色蓋の群れ。

 腕組みをしたクナは、首を捻った。


「……さすがに多すぎ?」

「わん」


 おもむろにロイが鳴く。クナを諫めているのか、背中を押しているのか、判断のつかない声である。

 追加した小瓶代が百二十ニェカ。所持金はすでに底をついている。


「リュカって人、来てくれないかな」


 だからこそクナは、強く思わずにいられない。

 リュカの来訪を、心待ちにせずにいられないのだ。


 ――というのも、別に、色気のある理由からではない。


「二千五百ニェカ、早く払ってほしいんだけど」


 クナの場合はもっと切実であった。


「……わん」


 次のロイの鳴き声は、哀愁をふくんでいた。

 クナはあぐらをかいて、人が通りかかるのを待つ。結局、今のクナにできるのは辛抱強く待つことである。

 願いが通じたのか、真向かいの宿の出入り口がにわかに騒がしくなる。宿泊客が出かけるようだ。複数の人の話し声が聞こえる。


(観光客か、冒険者か)


 果たして現れたのは、四人組の若い男だった。

 そのうちの二人が、小さな出入り口が詰まらないようにか、外に出てからしゃがんで靴を履いている。すかさずクナは声をかけた。


「いらっしゃい」


 顔を向けてくる彼らの様子を、クナは観察する。

 全員が動きやすそうな格好に、盾や革鎧を装着している。冒険者の一団だろう。

 冒険者には珍しくない。リュカも、普段は三人で組んでいるようだった。街の外に出るということは、魔獣の生息する土地で、命の危険を伴いながら活動するということなのだ。


 つまりポーションを売るのに、絶好の相手だ。


「初級ポーションです。ぜひ見て行ってください」


 しかしクナの呼び込む声に対し、ひとりの男が噴き出した。


「おいおい、やめてくれ」


 どうやら、この男が頭目らしい。追従するように、他の三人も笑い出す。下卑た笑い声が、大通りに響いた。


「俺たちは王都で名を馳せた冒険者だぞ。これから『死の森』に腕試しに行くっていうのに、露店で売ってる粗悪なポーションなんざ買えるかよ」


 吐き捨てた男が近寄ってくるなり、敷物に並べた瓶のひとつを蹴飛ばした。

 倒れた瓶に当たり、もう二本が巻き込まれて倒れる。保護魔法のおかげで瓶が割れなかったのが、不幸中の幸いだった。


(ずいぶんと荒っぽいやつらだな)


 クナはそう思うだけで言い返さなかったが、ロイが全身の毛を逆立たせて、威嚇する。

 鋭い牙を剥き出しにした威嚇には、子犬とは思えぬ迫力があり、冒険者たちがたじろいだ。


「この、くそ犬……」

「は、早く薬屋に行きましょうよ」


 悪態をつきながら四人が去って行く足音を聞きながら、クナは倒れた瓶を持ち上げる。


(粗悪なポーション、か)


 アコ村でも同じような目を向けられ、同じような言葉をぶつけられた。

 しかしそれも、ずいぶんと久しぶりのように感じるのは、昨日の出来事があったからだろう。温かな感謝の言葉を、抱えきれないくらいに浴びたからだろう。


「……がんばらないと」


 だからこそ、クナは珍しく、卑屈な言葉を呟かなかった。

 薬師として半人前どころか、未熟なクナ。購入者でもない彼らに粗悪と決めつけられて言い返せないのは、その指摘が的を射ているからだ。

 だが、そんなクナを評価してくれた人だって居る。足蹴にされたくらいで、怯んではいられない。


 ぎゅうとポーションを握りしめるクナに、一部始終を見ていた主婦の二人が近づいてきた。


「大丈夫だった?」

「大変だったねぇ。あいつら、流れの冒険者だよ。『死の森』に行くなんて、やめときゃいいのにね」


 そうですね、とクナは淡々と頷く。


「子犬にびびってちゃ、先が知れますよね」

「きゃんっ」


 クナが呟き、ロイが「その通り」と言わんばかりに鳴く。

 主婦たちは顔を見合わせると、おもしろそうに笑った。


「本当にそうだねぇ。あっ、ポーション一本、売ってくれるかい?」

「……まいど」


 同情心からでも、買ってもらえるならありがたい。

 そのあとも、ポーションはぼちぼちと売れた。本当にゆっくりとした速度だったが、売れ続けて、昼前には残り五本になっていた。


 なんと、合計して三千ニェカの稼ぎである。クナは何度、口元をむずむずさせたものか分からなかった。その頃には、リュカがやって来るのは、別に明日でいいやと思っていた。


 自分のポーションが売れる喜びと同時に、クナは背筋を薄ら寒いものが撫でるような感覚を味わっていた。というのも、いざポーションの効果を確かめた客たちが、逆上して怒鳴り込んでくるかもしれないからだ。アコ村でも何度も同じようなことがあった。そのたびクナは、頭を下げて謝るしかなかった。許してもらえるまで、ずっと謝り続けていた。


(自分では、ちゃんと調合してるつもりだけど)


 いつだってクナは一心不乱に調合に取り組んできたが、結果は惨憺たるものだった。

 悪い想像を振り払うように、クナは自身の肩をぽんぽんと払う。付着していた砂が、服の裾からぱらぱらと落ちていった。


「そろそろ、お昼にするか」


 うたた寝していたロイが、ぴくっと耳を動かす。

 お昼という単語に反応したのかと思いきや、違った。


 その数秒後、南門のほうが急に騒がしくなりはじめてきて。

 ――怒号のようなものが、クナの耳を掠めたのだ。



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