第36話.病む村1



 アコ村には、村の中心におかれた集会所がある。

 村長や村の年寄衆が集まり、会議に使われる場所だ。しかしそこには、数日前から異様な光景が広がっていた。


 天井の低い室内に這うように響くのは、怨嗟にも似た呻き声だ。

 ひっつめて並べられた、薄い煎餅布団の上。そこに横たわる村人たちは、子どもも大人も、年寄りも居る。ほぼ全員に熱があり、全身に赤い発疹が出ていて、呻く声は「かゆい」「かゆい」と、ぼりぼりと肌を掻きむしる音に混じって繰り返すのだった。


 二百人に満たない人口のうち、三十人ほど――実際は、集会所に入りきらない者は、外に張った天幕の中に隔離されているので、五十人近くが一斉に倒れていることになる。

 せめてもの救いは、空気や接触によっての感染が認められていない点だ。しかし看病のため駆けずり回る女たちは、一様に疲れた顔をしている。桶に汲まれた水は、布や布巾を何度も絞るうちにすっかり濁っているが、それを取り替える気力のある者さえ居ない。窓はすべて開放しているというのに、起き上がれずに糞尿を垂れ流す者も居るのか、鼻を覆いたくなるようなにおいが漂っている。


 ――まるで、家畜小屋に押し込められたかのような気分になりながら。

 集会所の隅に正座させられたドルフが膝に手をおいていると、そのドルフの膝に、水をほしがる皺だらけの老女の手が伸びてくる。


「ひっ」


 慌てて後退ったドルフだが、下がった先にも他の老人がひっくり返っている。

 情けないドルフの様子を、杖をつく村長は椅子に座り、シャリーンは傍らに立って、冷たく見下ろしているのだった。


「ドルフ。何か言いたいことはあるか?」


 村長に問われ、居住まいを正したドルフはむっつりと口を一本に結ぶ。


 村にひとつしかない薬屋の店主がドルフだ。

 アコ村は医院や診療所のない小さな田舎村だ。怪我をしたとき、風邪を引いたとき、誰もがドルフを頼る。それなのにどうして、自分はこんな扱いを受けているのか。ドルフは腹立たしくて仕方がない。


 しかし、今この場で不平不満をぶちまけることはできない。

 というのもこの事態を引き起こした要因に、ドルフが関わっているからだ。

 黙り込むドルフに業を煮やしたのか。鼻をつまんでいたシャリーンがその指を外すと、ヒステリックに叫ぶ。


「ドルフ、何を黙ってるの? 倒れたのはみんな、あんたの作ったポーションを飲んだ人たちなのよ。あたしだって――!」

「待て、シャリーン」


 村長がシャリーンを押し留める。


 顔をさっと赤くしたシャリーンは、ドルフの目に気がつくと唇を噛み、首に巻いたスカーフを引き上げた。だが、細くて白い顎にできた赤い発疹は、確かにドルフの目に留まった。

 醜いできものは、スカーフの生地に当たれば痛むのだろう。シャリーンは顔を顰めるけれど、スカーフを握る手を離しはしなかった。


 同じような皮膚のできものが、ドルフの額や頬、腕にもできている。

 というのも、三日前のことからだ。ドルフの作ったポーションを飲んだ者の全身にできものが現れて、彼らは熱を出して倒れていったのだ。


 ドルフはごほっと咳をした。ドルフは、自分が作ったポーションの味を確かめたりしない。しかしポーションを作るとき、湯気のにおいを吸っている。そのせいか数日前から体調を崩しがちだった。今も全身が怠くて仕方ないが、村長にドルフを解放してくれる様子はない。


「ドルフ。私が聞きたいのはひとつだ。この状況を、お前は解決できるか?」


 村長の問いかけは、大きな声ではなかったが、呻き声を上げていた村人たちが、息を潜めていくのが気配で感じられた。


 ポーションに得体の知れないものを混ぜた薬師。それだけならば誰もが怒りのまま、ドルフを鍬で叩きのめしただろう。

 だが、ドルフには今まで活躍してきた実績がある。

 ドルフの作った薬は抜群の効能を発揮する。師であるマデリを超えたのではないかと評価する声もあった。ポーションのおかげで両親が長生きできたと泣いて感謝する村人も居た。


 人々は、期待の目をドルフに向ける。

 それを代表して、村長は同じ意味の問いをゆっくりと繰る。


「解毒薬は、作れるのか?」


 噴き出た手汗で、ドルフの手のひらがぬめる。

 気分が悪い。吐き気がする。ドルフは泣き出したいほど追い詰められていた。

 やがて、俯けていた顔を上げたドルフは、小さく首を振った。


「……俺には、無理です」


 場の空気が凍りつく。


「無理、というのは、どういうことだ?」

「ですから、無理なんです。俺には……」


 苛立ったように村長に問われても、ドルフはそうとしか言えない。


 というのも解毒剤を作ろうにも、まずなんの薬草を誤って入れてしまったか分からない。薬草の知識がないドルフは、自分や村人の症状を見ても、どんな毒に蝕まれているのかまるで想像がつかなかった。


 マデリの作った図鑑に解決への糸口があるのではと思ったが、彼女が編んだ図鑑のすべてをドルフは二束三文で売り飛ばしてしまっていた。こんなことなら、泣きながらいやがるクナの言う通りにすれば良かったと、今さらのように悔やんだが、手元にないものを頼っても仕方あるまい。


 しかしそう考えるたび、いつも淡々と調合に励んでいたクナの後ろ姿が思い返されて。

 熱っぽいせいも、あったのかもしれない。ドルフは低く呟いていた。


「……どうして俺のせいにするんだ」

「なんだって?」


 村長が白い眉毛に覆われかけた目を、険しく細める。

 反抗的な態度を取るのは、得策ではない。そう分かりつつもドルフは睨み返してしまう。それくらい、苛立ちが募っていた。

 クナが出て行ってから、ドルフの毎日は災難続きだったのだ。


「クナを追い出したのは、俺じゃない。シャリーンでしょう」


 シャリーンが首を傾げる。とぼけた態度が鼻持ちならない。この女は、浅ましい自身の行動が村を追い詰めていると、未だ気がついてもいないのだ。


「どうして今、クナの名前が出るの?」

「決まってるだろうが。あいつさえ居れば、こんなことにはならなかった。あいつの薬さえあればな。それをお前が勝手に」


 ドルフはそこで我に返り、言葉を止めた。



 ――今、自分は、とんでもないことを口にしてしまった。

 気がついたときには、村長やシャリーンがこちらを見る目が、変質している。


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