第37話.病む村2
ドルフの顔は一気に色を失った。
感情の昂ぶるままに、口にしてしまったのだ。誰にも明かしてはならない秘密を。そう気がついたときには、何もかもが手遅れだった。
「……ドルフ、あんたまさか」
沈黙するドルフに、シャリーンは口元を押さえて震えている。
「ちょっと待って。嘘……ええ、嘘よね? あんたまさか――妹の作った薬を、今までずっと自分の手柄にしてたの?」
「ち、違う!」
ドルフはシャリーンを怒鳴りつけた。
唾が飛んだのか、シャリーンは腹立たしげにスカーフで顔を擦る。その頬にも小さな腫瘍ができている。明日になれば、もっと大きく膨らんでいるだろう。美しかったシャリーンは、今や見る影もない。ドルフを見る目にも、軽蔑が浮かんでいる。
さらに声を荒らげようとしたドルフは、そこで息を止める。
村長、村人たち……誰もが温度のない目で、じっとドルフを見つめていた。
一挙一動を監視するような不気味な視線の数々に、ドルフは晒されている。全身を、冷たい汗が流れ落ちていった。
「俺は、ですから……違うんです。村長」
「本当のことを言え」
村長の口調は、薬師の青年に対するものから、罪人を詰問するそれへと変わっている。
「俺は嘘なんか吐いてません。俺は」
「もうよい」
吐き捨てるように遮ると、村長は顎をしゃくった。
「ドルフ、お前はこれからウェスに向かえ。領主に助けを求めるのだ」
ドルフは目をしばたたかせた。そんな大役を任されるとは思ってもみなかったのだ。
だが、動ける若い男たちはたいてい倒れてしまっている。働き手の彼らが最もポーションを飲む機会が多いからだ。村長としても、ドルフを頼らざるを得ないのだろう。
アコ村からウェスまで、歩けば半月はかかる距離である。
だがマデリに連れられてウェスからアコ村に引っ越す際、ドルフは驢馬車に乗ってきた。そのときのことをドルフは思い出した。田舎村で生きていくのだとがっかりしながら、荷台で風に揺られてぼんやりしていたときのことを。
あのとき、マデリは村長に驢馬を借りたと話していた。
「それなら驢馬を貸してください。七日あればウェスに着くでしょう」
「いや。テン街道は落石があって封鎖されておるから使えん」
はぁ、とドルフは眉根を寄せた。
「では、どうやってウェスに?」
最果ての村からウェスへの交通手段は限られている。
テン街道を使って、大きく迂回して向かうか。あるいは――。
(…………ちょっと待て)
もはや考えられるのはひとつだけだ。
いつの間にかからからに渇いた口を、ドルフはぎこちなく動かす。
「俺に、『死の森』に入れと?」
村長は頷かない。だが、それが答えだった。
でも、しかし――それでは死ねと言っているようなものではないか。
信じられない思いで見つめるが、村長は感情の読み取れない落ち窪んだ目で見返してくるだけだった。
(逃げなければ)
反射的に、ドルフはそう思う。
足が竦んで立ち上がれない。このままでは殺されると分かっている。しかし、それ以上におそろしい想像が頭の中を駆け巡っていた。
アコ村は三方を『死の森』に囲まれている。
テン街道方面に逃げるという手はあるが、逃げたところで、ひたすら殺風景な道が続くばかりだ。途中にまともな食料も、集落もない。封鎖されているならば、ウェス側からの助けも見込めない。
ならば、薬屋に立てこもるのはどうだろうか。だが出てこないドルフを、村長たちは容赦なく焼き殺すだろう。
ならば、別の場所に隠れれば。シャリーンか村長を人質に取って、他の村人を脅せば。
ならば、ならば、ならば……どんな代案を考えても、うまく行く気がしない。
多勢に無勢である以上、ドルフの背中には死神が手を伸ばしつつある。一瞬だけ逃れても、無意味なのだ。
そして野菜の育て方も、食用の野草も、獣の狩り方も、家畜の育て方も知らないドルフは、いずれは飢えて死ぬことになる。村人が死ぬのはともかく、自分がそんな惨めな終わり方を迎えるのだけは、どうしてもいやだった。
途方に暮れるドルフの脳裏に、ひとりの少女の姿が思い浮かぶ。
こちらを見ない横顔。いつも調合釜を真剣に覗き込むばかりの、血のつながらない妹。
(クナだ)
思いついた瞬間、ドルフは力強い風に全身を鼓舞されたように感じる。
(そうだ。あいつは、クナは、ばあさんがどこからか拾ってきた子どもだった)
何度か、疑問に思ったことがある。
マデリは、クナをどこで拾ったか誰にも言わなかった。
しかし、どう考えてもおかしいのだ。アコ村で子どもを産む年頃の女は、数えるほどしかおらず、子は働き手として重宝される。つまりクナは、村の人間の血縁ではないはずなのだ。
だが、アコ村は閉鎖された村だ。周囲を鬱蒼とした森が囲い込んでいる。
考えられるのは、ひとつだけだ。クナは、森に捨てられていたのかもしれない。
それを変わり者のマデリが拾って、育てていたのだとしたら――森に追放されても、クナはしぶとく生きているかもしれない。
考えているうちに、ドルフにはそれが真実のように思えてくる。
今、森に呼びかければ、意外にもクナはひょっこりと顔を出すのではないだろうか。
何事もなかったように薬屋に戻ってきて、店を掃除して、いとも簡単に解毒薬を調合する。目を閉じると、まざまざとその姿が浮かび上がるかのようだった。何よりも憎らしかったはずの優れた妹は、今やドルフには神々しい聖女か何かのように思える。
――いや、いっそ、クナと共にウェスに向かうのもいい。
恩知らずの村人たちなど、まとめて毒でくたばればいいのだ。ドルフはウェスで再び薬屋を開業し、そこでクナを雇ってやる。すべては、元通りになる。クナもそれを望んでいるだろう。
ドルフの窮地を救うのは、クナかもしれない。
いや、もう、クナしか居ないのだ。
「……分かりました」
ドルフがすぐに納得するとは思わなかったのだろう。
村長もシャリーンも、どこか訝しげだったが、村長は小さく頷くと。
「せめてもの情けだ。食料と水を持たせよう」
「はい」
ドルフは村長の言葉に頷き、立ち上がる。
長らく正座していた足は痺れきっていて、感覚がなかったが、汗の垂れるドルフの口元には、隠しきれない笑みが張りついていた。
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