第35話.聖女の再来
ポーションを作り終えたクナは、浮遊魔法以外の魔法を止めた。
熱い鍋を両手では持てないので、空中に浮かせたまま、鍋の中に風魔法で風を送り込む。こうすれば、温度は徐々にでも下がっていく。一気に下げないのは、冷たいポーション液を怪我人に飲ませるわけにはいかないからだ。
(本当は、じっくり冷ましたいんだけど)
魔法というのは、クナにとって奇跡ではない。
時間がかかること、手間がかかることを省くための手段のひとつだと捉えている。便利な業だが、頼り切ろうと考えないのには理由があった。
(時間をかけて冷ましたポーション液と、氷魔法で冷ましたポーション液は、なんとなくだけど……効果が違う)
クナは前者のほうが、よりポーションとしての効果が高いように感じている。
たとえば、部屋の中で風魔法を起こして風を受けるのと、外に出て頬に風を感じるのとでは、感覚がまったく違うように。
おそらく、目には見えない自然の力というのがある。日光や雨、風、空気の柔らかさの中に、特別な何かが秘められていて、それらはクナがどんなに工夫しても、魔法では再現できないのだ。
普段の生活において、なるべく魔法を使わないようにしているのは、その何かと触れ合う感覚を失いたくないからだった。
(ま、とにかく今は、時間がないからね)
クナは風魔法で一口分のポーション液を持ち上げて、自身の口に放り込んだ。
「おえ……」
薬草とキバナが溶けた魔力水は、とにかく苦い。ポーションに慣れきったクナでも苦い。
(サフロの実を使ってないと、こういう味なのか)
身をもって覚えたクナが舌を出してげっそりするので、周りが不安そうにさざめいた。別に劇薬というわけではないから、安心してほしいのだが。
鍋掴みもないので、クナは手で鍋を掴む。その頃には、取っ手は生ぬるくなっている。
数分という時間で調合を終えてしまったクナが、重傷を負う男につかつかと歩み寄ると、ようやく我に返ったように中年の門衛が言葉を発した。
「中級ポーションができたのか?」
「一応」
人生において二度目の調合である。またもや不安にさせるかもしれないが、一応、としかクナは言えない。
「こ、これ、使っておくれ」
そのやり取りを見ていた女性のひとりが、息せき切って駆け寄ってきた。
先ほど、クナの露店でポーションを買ってくれた主婦だった。両手に二枚のスープ皿と、大きめのスプーンを抱えている。自宅から持ってきてくれたようだ。
薬屋の店主が友好的でないので、助かる。礼と共にクナはひとり分を受け取る。もうひとりの世話は、門衛に任せることにする。
鍋から皿へとポーション液を移し替える。白い皿の中、踊るように青い液体が揺れる様は、なんとも美しかった。
残った分は、軽傷の二人に分けてやる。そのときには、二人は自力で起き上がれる程度に回復していた。折れていた骨も、問題なく動かしている。
クナは担架の横にしゃがみ込み、スプーンでポーション液をよそった。
そのときには、うっすらと目を開けていた男の頭の下に、枕代わりに倒した背負いかごを挟み込む。
顎を掴み、口を開かせると、口内に少しずつポーションを入れていく。
外見は美しくとも、かなり苦みのある液体だとクナは知っている。しかし、男は文句を言わず呑み込んでいった。
逞しい喉仏が動き、ポーションを嚥下していく。
「どうして俺たちを、助けた?」
嚥下の最中に、口を開ける程度には、男は回復してきたようだ。
あるいは、喉へと駆け抜ける苦みを忘れるために、会話に集中しようとしたのかもしれないが。
「お前の売っていたポーションを、俺は蹴り飛ばしたんだぞ。そんなやつを、なぜ……」
「まぁ、褒められた行為じゃないだろうね」
男が口を噤む。その口を問答無用で開かせ、クナはポーション液を突っ込んだ。
別にいじめたつもりはなかったのだが、こふ、と喉奥で男が咳き込む。苦しかったのか、瞳には涙がにじんでいた。
「すまなかった。『死の森』に向かうという高揚感と、緊張感が、あって、なんにも負けたく、なくて……無駄に威張り散らしていたんだ。俺は自分が、恥ずかしい」
ぽつぽつと語る声を聞きながら、クナは何十回もかけてスプーンの中身を男に与えた。男は大人しく、されるがままになっていた。
「はい、終わり。しばらくは安静にすること」
「……ありがとう。仲間を助けて、くれたことも、感謝している」
クナは口角を上げて、にやりと笑った。
そうしないと、たぶん、不意打ちの感謝の言葉に頬を緩めてしまっていたことだろう。その優しい響きは未だに、クナには聞き慣れなかったから。
「なら、ちゃんと料金は支払うように。踏み倒したら許さないから」
「分かっている。時間はかかるかもしれないが、必ず、言い値で支払おう」
クナは頭の中で計算する。
初級ポーション五本。それと、中級ポーションは瓶で量を換算すると、おそらく……。
「じゃあ初級ポーションは五本で千五百ニェカ。中級ポーションは四本分として、二千八百ニェカ。あわせて四千三百ニェカね」
男の顔色が変わった。
「え? いや、それは……」
「文句は聞かない。――この人たち、医院に運んでもらえる?」
言い値で払うと勇ましく言い切ったのだから、約束は守ってもらいたい。
門衛に声をかけると、胸を叩いて請け負ってくれた。
「ああ、任せてくれ」
軽傷だった二人は、担架から自力で立ち上がっている。
四人の元怪我人を連れた集団が、医院へと向かおうとする。しかしその途中、指示を出していた中年の門衛が足を止めて振り返った。
「ありがとう、君のおかげで本当に助かった」
「……どういたしまして」
しっかりと頭を下げ、礼を言われてしまうと、クナは口端がむずむずする。
そんなクナを微笑ましげに見つめて、門衛は眉尻を下げた。
「『死の森』に迷い込んだ人間は、助からないのが常だった。遺体も骨も、持ち物さえ回収できず、墓さえ作られない人間だらけだった。……でも君はこの短い期間で五人もの人間を救った。これはウェスで暮らす俺たちにとっては、信じられないようなことなんだ」
迷い込むどころか『死の森』で生活していた経験のあるクナは、無言になる。
その沈黙をどう解釈したのか、門衛はまた頭を下げて医院のほうに駆けていった。
(さて、じゃあ、私も行くか)
空腹に鳴る腹を、クナは押さえる。この騒ぎがなければ、今頃は腹ごしらえを済ませて、午後の仕事の支度をしていた頃だ。
ロイもお腹が空いているのだろう。訴えかけるようにつぶらな瞳はクナを見上げている。
そうして、かごを背負い直し、さっさと人混みを抜けていくクナの耳に、その小さすぎる声は聞き取れなかった。
「…………聖女様だ」
人いきれの中、そう呟く老人が居た。
彼が思い描くのは、『死の森』がまだ、そう呼ばれていなかった時代の話だ。ウェスを中心に、国中に言い伝えられる壮大な歌物語。おとぎ話と思われていたそれの再来と思える光景を、彼はこの目で目にしたのだ。
「白き聖なる獣を従えて現れる乙女は、闇に侵される人の世を救い、傷ついた人々を慈愛の腕で守り給う……あの薬師様こそが、我らに再び遣わされた奇跡なのか……」
ぶつぶつと諳んじる老人の目は、未だかつてないほどの希望を抱いて、ただクナの小さな背中を追いかける。
自らの偉業を誇るでもなく、早足で去って行くクナ。
老人にはその姿が――、あがめ奉られることを望まず、謙虚に首を横に振るだけだったという聖女と、重なって見えるのだった。
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