第22話.魔猪肉サンド



 湯浴み場を堪能したあと、クナは外に出かけた。

 初夏の日射しは、早朝といえどもまぶしい。湯冷めはしそうもなかった。


 クナは宿の通りから、東の商業区画へと入る。

 通りに看板が出ている店はひとつだけだ。店の名前は『ココット』。看板にはパンの絵が描いてある。この時間に空いている店は、パン屋くらいしかない。


「いらっしゃい」


 カランカラン、と鳴るドアベルの音より早く、ドアの脇から中年女が挨拶してくる。パンを並べている最中だったようで、中腰の姿勢だ。

 恰幅が良く、平べったい顔には陽気な笑みが浮かんでいる。クナは頭だけ下げて返事をした。


 焼きたてパンの香ばしい香りが漂う店内を見回す。店の奥が工房になっているのか、そこから、より甘く濃厚な匂いが漂ってくるようだ。呼吸をする振りをして、クナはその魅力的な匂いをいっぱいに吸い込んだ。


 購入したのは、底が平たく、細長いパンを二つと、小さなバターケースに、瓶入りの牛の乳を二本だ。宿屋に置いてきたロイが牛の乳を飲むのかは分からないが、なんとなく、飲むような気がする。


 先ほどの女性店員が立ち上がり、ずれたエプロンの裾を直しながら会計してくれる。五百ニェカを支払い、紙袋に入れられたパンを受け取ると、入り口から子どもが二人入ってきた。

 一寸大きいほうが、駄賃を手にしている。母親におつかいを頼まれたのだろう。


「ありがとう。またおいでね」


 そんな言葉に見送られ、クナはパン屋を出た。




 宿に戻ったクナは、ロイを連れて一階の調理場へと向かう。

 狭い調理場には食堂が併設されている。木製のテーブルと椅子がいくつか置かれただけの食堂だ。

『アガネ』では、客室で食事をとるのは禁じられている。食べ残しや食べかす対策だ。調理場を使う使わないにかかわらず、宿泊客は必ず食堂を使うように、と亭主は口を酸っぱくして言っていた。


 そこではすでに二組が食事をとっていた。それぞれ年配の男がひとりと、若い男三人。

 ちらっと観察すると、粥やスープ、買ってきたパンなど、簡単な食事内容のようだ。早朝に特有の、まだ完全に目覚めていない緩やかな空気が流れている。


 彼らはクナを見て、足元のロイを見て、またクナを見て不思議そうに瞬いた。若い娘も、小さな犬も、どちらにせよここでは珍しいのだろう。


 調理場では鍋と竈を借りた。

 火力調整はお手の物だ。温まった鍋にバターの塊を落とす。ケースの中身が残ったので、保護魔法をかけておくことにする。

 バターがふつふつと焦げてきたところで、その中に薄くスライスした魔猪の干し肉を放る。


 じゅうっ、と食欲をそそる音が調理場に響く。


 ロイはしきりに鼻を動かしながら、クナの足にまとわりついてくる。銀狼の頃から炎を恐れる様子がなかった獣だ。今も、ごちそうの気配に目を輝かせている。調理の邪魔なので追い払いたいが、夕食抜きだったので許してやることにする。


 干し肉からしみだした脂が、バターと絡まる。肉を裏返したところで、クナは買ったばかりのパンを取り出し、包丁で真ん中に切り込みを入れた。

 パンは食器棚から借りた皿に載せる。ロイの分は、食べやすいように深めの皿だ。

 火を止めると、木べらでこそぎとるように焦げバターを取り、パンの切れ目部分に贅沢に塗りたくる。干し肉を三枚ずつ挟めば、完成だ。


(名づけて、魔猪肉サンド)


 ロイのパンは三つに切って、皿に並べてやる。床に皿をおくと、ロイは待ちかねたように鼻先を突っ込んだ。どんどん、犬らしい行動が板に付いてきていると思う。


 クナは自分の皿を手に、手近な椅子に座った。パンを両手で掴み、かぶりつく。

 焼きたてパンの香ばしさと、芳醇なバターに、魔猪肉の感触が蕩けるように合わさっている。一口で、頬が落ちそうだった。落ちる前に二口目を食べて、心ゆくまで味わう。


「……おいしい!」


 思わず、クナは声に出す。

 とにかく良いにおいがするものだから、他の宿泊客から羨ましげな、もとい恨めしげな目で見られていたが、クナは気にせずもぐもぐする。ロイも、もぐもぐもぐと、嬉しそうにごちそうを堪能している。


 最後の一口まで味わって、よく冷えた牛の乳で喉を潤す。

 使った鍋と皿を洗って水切り場におくと、クナはその足で受付へと向かった。

 亭主に宿泊期間の延長を申し出る。とりあえずは一泊分の三百ニェカだ。前払いの必要があるのだから、あとで所持金が不足して揉めるのは避けたい。


「さて、どうするか」


 階段を登りながら、首を捻る。


 無事にウェスに辿り着いた。

 ギルドではキバナを十本売り、五千ニェカを手に入れたが、それっぽっちの収入で浮かれてはいられない。

 服屋で服と靴を新調し、宿屋に一泊し、パン屋で買い物をして、もう一泊分を支払ったクナの手元には、二千百ニェカしか残っていない。もう五千ニェカの、半分以下である。これも、宿屋に宿泊を続け、食事代もかかるとなれば、日に日に減っていく。


 指折り数えてみる。


「乳鉢、乳棒、調合釜だってほしいし……」


 身ひとつで森に追放されたクナには、育ててきた野菜や薬草畑もなく、長年使い続けてきた調合の道具もない。

 それにポーションを売るには、雑貨店などで小瓶も購入しなくてはならない。


 はあぁ、と溜め息を吐いてしまう。


「優先するのは小瓶かな」


 調合道具に比べて、値を張らないのが小瓶だ。

 まずは小瓶を買い、限られた道具でポーションを作り、それを売って元手を稼ぐ。そのお金で道具を買い直すのだ。


 身支度を調えたクナは、ロイを連れて昨日ぶりにギルドに向かうことにした。

 午前の早い時間帯なので、客の数が多い。掲示板の前と、居酒屋側それぞれに冒険者たちの姿がある。

 酒の提供は時間外のようだが、代わりに軽食が販売されているらしい。魔獣狩りをする冒険者が中心のため、ほとんどが若い男たちだが、中にはベテランらしい中年や、採集をするのだろう女性たちの姿もちらほら見られる。


 想像以上に活気づいた雰囲気だ。しきりに何かの話で盛り上がっているが、そこらぢゅうがわいわいと賑わっているので、なんの話かよく聞き取れない。

 喧噪の中、クナはカウンターに目をやる。


(この前の……ナディさんは居ないか)


 手前のカウンターには別の女性の姿があった。

 目が合うと、丁寧に会釈してくれる。クナは彼女に近づいていく。


「すみません。ポーションを鑑定できる人は、戻ってきてますか?」

「いえ、組合長はまだ隣町に出かけています」


(鑑定できる人って、お偉いさんだったんだ)


 礼を言って離れる。


「なら、資料室を覗いてみるか」


 先日見損ねた二階に目を向けたときだった。

 クナの背後で、男の声がした。


「おい! ちょっといいか?」



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