第23話.資料室にて



 クナは立ち止まらず、足の先を階段に向ける。


「お、おい! ちょっと待てって!」


 ぐいっと後ろから肩を掴まれ、クナは辟易としながら振り返った。

 若い男だ。左眉を斜めに切ったような傷がある。


「なに?」


 クナは不機嫌そうに返事をする。まさか自分に声がかけられたとは思っていなかったのだ。


「俺はセスだ。ウェスで冒険稼業をやってるんだが……」


 セスと名乗った男は、そこで言葉を句切る。


「あんた、見ない顔だな。どこから来たんだ?」


 まじまじと無遠慮に顔を見られる。

 不美人だと言いたいのだろうか。クナが至近距離から睨みつけると、セスは一歩後ろに下がる。


「まぁ、いい。訊きたいんだが、優れた薬師……それか金持ちを知らないか?」

「知らない」


 クナは素っ気なく答えた。


 優れた薬師というのであれば、アコ村ではドルフが該当するだろう。彼の作ったポーションを飲むと、どんな傷でもたちまち治ると評判だった。

 だが、森を隔てた向こう側に薬師が居ると伝えたところで、意味があるとは思えない。


「そうか。いや、急に悪かったな。俺の仲間が『死の森』から生きて戻ってきたんだが、誰かに助けてもらったって言うんだよ。俺はその人物を捜してるんだ。なんでも特別なポーションを持っていて、貴重な食べ物も分けてくれる聖人のような人みたいでよ――」

「そんなやつ居るわけない」


 聞いてもいないことを長々と語られたら堪らない。クナは言葉を出刃包丁でぶった切るように遮り、今度こそ二階へと向かう。

 足音はついてこない。二階に着き、ドアのない手前の部屋を覗こうとするが、いち早くロイが室内に入っていった。


「きゃん!」


 諦めて、クナも入っていく。


 混み合っていた一階と異なり、まったく人気がない部屋だ。

 一階よりも手狭に感じるのは、三方の壁をびっしりと本棚が埋め尽くしているからだ。これが、ナディの言っていた資料なのだろう。

 本棚には装丁された本ではなく、何百枚もの紙を丈夫な紐で縛ってまとめた束がいくつも入っている。

 その紐に小さな木札が垂れ下がっている。手に取って見てみると、内容について大まかにまとめられている。名札代わりの札のようだ。


「本棚ごとに項目がわかれてるのか」


 魔獣の種類や、魔獣からとれる素材については後回しでいい。

 クナが目をやったのは薬草に関する束が詰まった本棚だ。図鑑ではなく薬草の買い取り価格についての束を二つ抜き出して、テーブルの上に置く。

 椅子に座ると、隣の椅子にロイが器用に飛び乗り、丸くなった。


 さっそく紙束を開いてみる。黄ばんだ紙に手書きされた文字は、ところどころ掠れていて読み取りにくいところがある。

 パン屑らしいものが挟まったページや、紙のはしが破けているところもあった。誰も保護の魔法をかけていないようだ。あるいは数年前にかけたっきり、放置しているのか。


(だからって、かけ直さないけど)


 魔法を使えば魔力を消耗するのは、自明の理。

 ほとんど一文無しなのは相変わらずだ。無償で働くつもりはまったくない。


(この前の人が居るときにでも、聞いてみよう)


 鑑定魔法が使えるナディなら、保護魔法の有用性を理解しているだろう。ここにある紙束すべてに保護魔法をかければ、小遣い稼ぎ程度にはなりそうだとクナは考える。


「今はとりあえず、目の前のことに集中っと」


 ぺらり、とページを捲る。


 記憶力はいいほうだ。一度読んで、口にして復習すれば、たいていのことは頭に入る。

 クナは次々と、薬草の買い取り価格を脳に刻む。最低価格から最高価格――これはナディの言った買い取り限度額と同額だ――を、隙間なく覚えていく。


「やっぱりキバナは、かなり高価なんだ」


『死の森』で手に入る薬草の中では、三番目に価格が高い。

 あとの二つは、崖の下や岩棚と、かなり危険な位置に生える薬草なので、候補としては考えにくい。


 しかしキバナばかりを採るわけにもいかない。

『死の森』にはいくらでも薬草が生えているが、当てずっぽうに彷徨って魔獣の住処にでも踏み込めば命はない。だからといって、一箇所に留まって乱獲してはいけない。


(薬草は、大地からの恵み。必要以上の量を一度に採ってはいけない)


 薬師になると決めたとき、マデリから最初に教わったことだ。

 薬草を採るときは、未熟なものや芽は摘み取らない。必要なければ根はきれいに残し、なるべく土や他の野草を傷つけないようにする。

 果実も、枝ごと採ることはしない。その場所で長らく緑が繁茂するためには、大切なことだ。


 クナが欲に負けてキバナばかりを収穫すれば、森の生態系はくずれる。キバナに守られないサフロは虫に食われる……というように。


 ぱたん、と紙束を閉じたクナは、ひとつの決意を口にする。

 長期的な稼ぎのために、最も近道だろう道はひとつだ。



「広場で屋台を出そう」



 二つの紙束の中身は、すべて記憶できた。

 次は臨時営業届の出し方を調べなくては。



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