第16話.ウェスに到着
次の日も、早朝からクナは森の中を歩いていた。
案内するように、迷いない足取りで進む銀狼のロイについていく。
幸い、昨日のように魔猪に出会すことはない。肉は美味いが、クナも連戦は遠慮したいところだ。昨夜の間に木のうろで乾かした干し肉が手持ちにあるし、無理に戦おうとも思えない。
「あっ。また薬草」
クナが声を上げると、ロイが長い足をぴたりと止める。
クナが薬草を採取する間、ロイは近くを警戒するようにうろうろと見て回る。心強い味方だ。ご褒美として、昼に干し肉を分けてやろうとクナは思う。
それに、気になることもある。
「ロイ、珍しい素材がある場所が分かるの?」
素材だけではない。昨日、茸の群生地を見つけたのもロイのおかげだった。
ロイは答えなかったけれど、振り返る瞳は、肯定を示しているようだった。
歩を進める間に、木々の数が少しずつまばらになっていく。
魔獣ではない、小鳥が囀る声がする。むわっと噎せ返るような草の香りが、少しずつ薄らいでいくのをクナは感じた。
ふいに確信する。これは、合図ではないか。人の住む場所が近づいているという、その合図――。
がさり、と羊歯をかき分けたクナは、ゆっくりと目を細める。
汗ばんだ髪の毛の間を、爽やかな風が通り抜ける。まるでクナを、歓迎するように。
一気に景色が開ける。
「……ウェスだ」
森から見下ろすウェスは、美しく広大な街だった。
円形の高い塀に囲われる中、煉瓦造りの丈夫そうな家々が、通りに沿って所狭しと建ち並んでいる。街中には、至るところに水路が走っていた。
路面は整備されていて、きっちりと石畳が敷かれている。その上を、子どもたちが笑い声を上げて駆けていた。
街の中心にある十字路を起点として、街は四つの区画に分かれているようだ。
視力の優れたクナは、木によりかかり、遠目にその様子を観察する。
東側は、商業区画のようで、雑多な店が並んでいる。行き交う人も、最も多い。その数だけでアコ村の住人数を超えているだろう。
西側は、街灯の数も多く、やたらときらびやかだから、貴族か、あるいは金持ちの家が多いのかもしれない。
南側は、森に面しており、平民や農民の家が多そうだ。畑に実る野菜の色合いは、アコ村で育つものよりよっぽど鮮やかだった。
北側は、大衆食堂や居酒屋、それに宿場町になっているようだ。時間帯によるのか、ここは閑散としている。
それぞれ大きな門があり、クナの居る南側の門の前には、二人の門衛が立っている。
ずいぶんと暇そうなのは、『死の森』に向かう冒険者も、さらにその逆も少ないからだろう。その近くに数人の姿があるが、森に入るわけではないようだ。
そして北側の、遠くに見える大きな建物は領主の家だろうか。
広大な庭には噴水まである。温かみのある赤い屋根が目立つ、かなり立派な屋敷だ。
森を隔てた向こう側にあるアコ村には、煉瓦造りの家はひとつしかなかった。
「村長の家とは、ぜんぜん違う……」
村長宅の玄関の柱には、アコ村にひとつしかない魔法道具でできたランプが、自慢げに括りつけられていた。
しかし屋敷の周りには、何十という数では下らない街灯が並んでいる。あの小さな家では、領主が住むらしい屋敷とは比べるべくもないのだ。
ウェスは、アコ村よりずっと豊かな街のようだった。
(本当にウェスに、着いたんだ)
ほぅ、とクナは息を吐き出す。
無事に『死の森』をくぐり抜けた実感は薄い。こんな日が来るなんて、追放されるまで考えてもいなかったのだ。
(私はアコ村で死んでいくんだと思っていた)
あの小さな村で。けれど師であるマデリとの思い出が詰まった家で、毎日薬を調合して、老いていくのだと想像していた。
だが、もうクナはアコ村に帰れない。帰るつもりもない。
眼下のウェスを、しかと見つめる。
踏み出そうとしたクナは、そこでふと思い出した。
隣に立つロイを、じぃっと見る。
「さすがに、街には一緒に行けないね」
ロイとは数日間を共に過ごしてきた。
名前までつけたのだ。少なからず愛着はある。だが図体のでかい狼だ。魔獣が侵入してきたと驚く人も居るだろうし、誤って攻撃されるかもしれない。
クナが最も恐れているのは、クナが魔獣を引きつれてきた張本人だと勘違いされることだ。
「私が飼い主だって誤解されると、困るしな」
つまり置いていきたいな、と思っているクナだ。
そんな心の声まで聞こえたのか、ロイは全身を硬直させると、くるくるとその場を大きく回り出した。
(お?)
小便かと距離を取るクナだが、違った。
くるくると回る間に、なんだか、ロイの身体が朧げに見えていく。しかも少しずつ、縮んでいっているような……。
(おお?)
ぱち、ぱちぱち、とクナが目を瞬く間に。
銀色の狼はあっという間に、銀毛の犬になっていた。
目は大きく、ぱっちりと開いた金色の瞳が印象的だ。
顔立ちも、なんだか全体的に丸くなっている。細く整っていた精悍な面立ちが、ぺちゃんとした餅に変わったかのようだ。どことなく、死んだロイに似ている気もする。
「すごい。子犬になった」
しかも「キャン」とそれっぽく鳴いた。おおー、とクナは感嘆してしまう。
『死の森』に出る魔獣のことはそれなりに知っているが、この銀狼についてはよく分からない。
今日、分からないことがさらに増えたが、細かいことをクナは気にしないことにする。
大事なのは、可愛らしい子犬であれば、連れていても咎められないだろうということだ。
「じゃあ行くよ、ロイ」
「きゃんっ」
背負いカゴを揺すりあげたクナは、小さくなったロイを連れて麓へと下りていった。
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