第43話.領主の屋敷



 リュカに案内されて、クナは宿場町からさらに奥まった北側区画へと足を踏み入れていた。

 その時点で薄々、察しはついていた。宿場町より北側に位置する家はひとつしかない。クナの感覚からすると、それは家というより屋敷と呼ぶに相応しい佇まいだったのだが。


「ここがオレの家だ」


 リュカが足を止めたところで、クナは首を逸らすように顔を上げる。

 立派な門構えに、塀で囲まれた広大な庭を持つ、赤い屋根の邸宅。邸宅の裏にも温浴施設などがあるようで、赤煉瓦の煙突が青空に映えている。

 近づくのも畏れ多いほどに磨き上げられた屋敷だが、リュカには不思議とよく馴染む。美しい形の花が揺れる庭園を歩く姿が、眼裏に容易に想像できる。


「やっぱりリュカって、領主の子どもなの?」

「ん? 誰かに訊いたのか?」

「そうじゃないけど」


 そうじゃないかな、と何度か思ったという話だ。

 しかし冒険者をやっているということは、リュカは跡継ぎではないのだと思われた。農民の家の跡継ぎは冒険者になることを禁じられる。貴族にも同じ決まりがあるはずだ。


「黙っててごめん。隠してるわけじゃないんだけどさ」

「別に気にしてない」


 ウェスの住人たちがリュカを慕っているのは、彼が貴族の息子だからではないだろう。それにしては、彼らのリュカへの態度は気安すぎる。


「それじゃ、行こう。母さんは部屋に居るから」


 リュカは勢いよく、轍のついた石畳に踏み出したが、開け放たれた正門前で、クナは立ち尽くしている。というのも飾り気のない麻の服を着たクナは、この邸宅に招き入れられるのに相応しい格好とは言えない。

 格好だけではない。クナの身分は平民だ。リュカが貴族の子息だと分かっても、彼の態度が変わらないから、距離を感じずにいられる。しかし、邸宅に入るのではまた感覚が異なる。

 この家で暮らす人々は、働く使用人たちは、クナを見てどんな目をするだろう。あるいは、クナを連れてきたリュカの品位を疑うかもしれない。


(しかも私は、薬師としても……優秀でもなんでもない)


 じっとりと、足の裏に汗をかく。リュカの態度に感化され、自分の腕を過信し、安請け合いしてしまったのかもしれない。

 寄せては返す波のような不安感が、胸に押し寄せる。波の音は、次第に、笑い声へと変わる。クナの調合した薬を、外れと笑う村人たちの声に――。


 ロイも、クナの横でじっと留まっている。気がついたリュカが戻ってきた。


「クナ? どうした?」


(……落ち着け)


 心の中で、クナは自分に言い聞かせる。

 一度、引き受けた依頼なのだ。ここに来て引き下がれない。

 リュカには、診てからしか判断できないと言ってある。もしもクナに治せそうにないと伝えたとして、怒り出すような男ではない。


(落ち着け)


 意識して、深く呼吸をする。騒がしかった胸の鼓動は少しずつ平静を取り戻していった。


「なんでもない。大丈夫」


 リュカが頷いて歩き出す。クナは彼についていった。

 道すがら、リュカはぽつぽつと話してくれた。


「ウェスを治める領主は、リッド男爵っていってな。つまりオレの父さんなんだが、もともと二人の息子が居る。オレは三人目の子どもで、後妻の子ってわけだ」


 アコ村には平民しか居なかったため、クナは貴族の世界には詳しくないが、爵位というのがあるとは聞いたことがある。リュカによると男爵というのは、名誉男爵という一代限りの爵位の、ひとつ上だという。


「上の兄さんは男爵位を継ぐために、毎日その勉強をしてる。下の兄さんは王都の寄宿学校に通ってて、そのまま騎士になった。……で、オレは冒険者になったんだ」

「……家を追い出されたとか?」


 クナは自身の境遇にリュカを照らし合わせてしまう。家で邪魔者扱いされて、居場所がなく、冒険者という危険な仕事についたのか――、と。

 だが、本当にそうであれば、このように正面から堂々と立ち入ったりはしないだろう。思ったとおり、リュカは首を振っている。


「いや。それがオレのいちばんやりたいことだったんだ。危ないからって母さんには反対されたけど、天職だと思ってる」

「森で死にかけてたけどね」

「それを言われると立つ瀬がない」


 苦笑するリュカと並んで歩いていると、ポーチの脇に立つ二人が目に入る。茶色い髪をした、素朴な顔立ちをした二十半ばくらいの男と、よく似た細面の中年男性だ。ポーチに停められた立派な二頭立ての馬車に、今まさに乗り込もうとしている。


「父さん、兄さん」


 リュカの呼びかけで、クナは二人の正体を知る。

 振り返った二人の顔に、自然と、柔らかな笑みが広がる。その瞬間に、クナはなんの心配も必要なかったのだと気づかされた。リュカは家族に愛されているのだと、たった数秒だけで赤の他人であるクナさえも、理解できたのだ。

 あの薬屋にはなかったものが、彼らの間ではごく当たり前のようにやり取りされている。なんとなく近寄りがたいものを感じたが、クナは表情に出すことはなく、二人に頭を下げた。


「初めまして。クナといいます」

「ああ、君が薬師の……。息子から何度も話は伺っているよ。その節は息子を助けてくれて、本当にありがとう。お礼が遅れてしまってすまないね」


 貴族といえば、なんとなく平民には高圧的な態度を取るのだろうという印象を持っていたが、リュカの父親はクナの手を取り、繰り返しお礼の言葉を口にした。


「私はウェスの領主であるセドリク。そちらは長男のアルミンです」

「初めまして、クナさん。私からもお礼を言わせてください」


 胸に手を当てて丁寧にお辞儀をするアルミンは、人好きのする笑みを浮かべている。セドリクとアルミンの目元の笑い皺は似ている。リュカも、顔立ちは違うが笑った顔は二人にそっくりだ。


「何か困ったことがあったら、すぐ言ってくれ。リッド家は、できる限りあなたの力になろう」


 できる限りという言い回しに、真剣味と真摯さが窺える。


「ところで、次は妻を診てくれるそうだね」

「はい。治せるかどうかは分かりませんが」

「ああ。隣町の高名な医者も匙を投げたくらいだからね。あまり気負う必要はない」


 微笑みつつもセドリクにはどこか疲れた様子がある。妻に回復の兆しが見えないことに、彼自身も気が滅入っているのかもしれない。


「父さんたち、どこか出かけるのか?」

「商業組合で会合がある。昨夜、冒険者組合の組合長が戻ったからな」


(へえ、組合長)


 ナディが話していた、ポーションが鑑定できるという人物だ。


 セドリクたちが馬車で去ると、その場には燕尾服の中年男性が残った。館で雇われる執事だという。

 髪を上品に後ろに流した執事は、胸に手を当てて丁寧に頭を下げた。


「リュカリオン坊ちゃまからお話は伺っております。さっそくですが、奥様のお部屋へご案内しましょう」


 そこでリュカが大慌てで両手を振った。


「何度も言ってるけど人前で坊ちゃまはやめてくれってば。呼び方もリュカでいい」


(ほう)


 クナはそこでリュカの本名を知った。

 リュカというのは幼名で、あだ名として使っているのだろう。これは良いことを聞いた、と思うクナである。


「では行きましょうか、リュカリオン坊ちゃま」

「クナあ!」


 さっそくからかうと、リュカが珍しく情けない悲鳴を上げた。








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ジャンル別 日間&週間&月間1位です!

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