第19話.薬草の買い取り
「ありません。薬草しか」
ほとんど考えずに、クナはそう答える。
食事は重要だ。金銭よりも重要である。
この場で干し肉を差し出し、数枚の硬貨を受け取れば、宿屋に泊まることはできるだろう。だが、食事は抜きになるのだ。寝床はほしいが、そのために空腹を我慢するのはごめんである。逆のほうが、よっぽどいい。
ナディの目元が緩んだ。
「薬草類でしたら、わたくしでも鑑定できますわ」
その言い回しを、クナは不思議に思った。
先ほど、ポーションを鑑定できる人間は不在だとナディが言ったからだ。
そんな疑問を読み取ったのか、ナディが微笑む。優しげな顔に、穏やかな笑みが広がった。
「薬草や、魔物から採取できる素材であれば鑑定できるんです。でも調合して作られる薬やポーションは、鑑定が非常に難しくて……わたくしにはできません」
「へぇ……」
鑑定魔法にも細やかな種類があるらしい。クナは初めて知ったことだった。
マデリは、薬草でもポーションでも、鑑定魔法で見ていたが、あれは本当に特別なことだったのだ。あの老女の魔法の腕前は、よっぽど優れていたのだろう。
背負いカゴを下ろそうとすると、ナディが「こちらに」と案内してくれた。
よくよく見ると奥側のカウンターとは、役割が分けられているようだ。奥側は討伐依頼、手前のナディは採集依頼の報告を請け負うようになっているらしい。向こうのカウンターには、ちらほらと人が増えてきていた。
窓の外から射し込む日の光は、飴のような蜜色をしている。もう夕方なのか、とクナは驚いた。今夜も森の中で過ごすか、屋根のある部屋を取れるかは、今後にかかっている。
カウンターに向かうクナに、足元で伏せっていたロイもついてくる。奥のカウンターに座る女性は、こちらをちらちらと見ている。ロイが店内で粗相しないか、不安がっているのだろう。賢い犬――もとい狼だから、その心配はないのだが。
広いカウンターの上に、クナはめぼしい薬草を置いていく。
しかめっ面になるには理由が二つある。
ひとつ目は、調合前の薬草では大した買値がつくと思えないこと。
初級ポーションは三百ニェカで売れるが、その材料となる薬草は一本一ニェカ~三ニェカという安値である。
二つ目は、これらの薬草でクナは調合をしてみたかったからだ。調合もせずに売り渡すなんて、本当はいやなのだった。
薬屋の店番があるから、今までは珍しい薬草の自生する森には入れなかった。そもそもウェスと異なりアコ村では、森への立ち入り自体が禁じられているが。
日々の生活で手に入るのは初級ポーションの材料となる薬草くらいだったから、いろんな調合を試してみたいと思っていた。
しょんぼりしつつクナが新しい薬草を取り出すたびに、ナディの目は大きく見開かれていく。
隣のカウンターからもいくつも声が上がり、冒険者たちの間にざわめきが走っている。しかしクナは気がつかなかった。調合の楽しみと安心して寝られるベッドを、秤にかけている真っ最中だったのだ。
クナの手の動きが止まると、ナディが咳払いをする。
「では、鑑定させていただきますね」
薬草の束を手にして、黙り込む。ぼぅっとしているわけではない。注視すれば、目の奥に淡い水色の光のようなものがちりちりと弾けるのが見える。マデリも、鑑定を行うときは同じように目が光っていた。クナは、マデリのことを思い出していた。
しばらく、ギルドの一階には沈黙が満ちていた。
それが解かれたのは、ナディがふぅと息を吐いたときだった。
「……全て、最高品質に保たれています。虫食いの形跡もなく、乾燥手順もまったく問題ありません」
採取した時点で、クナは一枚ずつの葉や素材に乾燥と保護の魔法をかけている。
本当は天日干ししたかったが、森の中で動き回っていては、そうも言っていられない。苦し紛れだったが、問題はないようでクナは安堵する。
ちなみに日持ちしないサフロの実は、実にたっぷりの水分を含むのが特徴だ。
あれに乾燥魔法をかけると、どうなるかというと、実がシワシワの老婆の顔になる。そして表面に保護魔法をかけても、中の水が腐るのだった。
中の水ごと保護魔法をかけることはできなかった。失敗して駄目にしてきた実の数は山ができるほどだ。長持ちしない実だからこそ、あれほどまでに甘くておいしいのだとクナは思うようにしている。思わなければ、そろそろ、サフロの実に呪われるかもしれない。
背後で「最高品質だってよ」「それより金草とキバナがあるぞ」と何やら上擦った話し声が聞こえるが、クナはナディの言葉に集中する。
「一本ずつの値段をお伝えしますね」
ナディは日焼けしていない手で、薬草束をひとつずつ示していく。
「薬草は十ニェカ、青草と緑草はそれぞれ三十ニェカ、金草は百ニェカ、ミズバナは二百ニェカ。最高品質ですので、こちらは買い取り限度額でのご案内となります。
この金額は、時期によっても変動しますし、別個に採集依頼が出ていれば、もっと値段が上がることもあります」
(薬草が十ニェカ?)
おや、とクナは意外に思う。
値段を知りたいがため、試しに置いただけの薬草に意外な価格がついている。
アコ村では高くとも三ニェカで取引されていた、どこにでも生えているものだ。
ウェスは物価も大きく異なるのだろうか。というより、限度額というのが決め手なのか。
疑問に思うことが多い。しかし今は、ナディの話の続きを聞くべきだった。
「それとキバナは、一本につき五百ニェカで買い取ります。キバナについては、季節による変動がなく、ウェスでは一定価格で買い取りを行います。こちらももちろん、限度額でのご案内となります」
「……五百ニェカ?」
今度こそクナは言葉を失った。
(五百ニェカって、五百ニェカだよね?)
右足に、ロイがすりすりと頭を押しつけてくる。その五百ニェカだ、と言っているのだろうか。
確かにキバナは中回復ポーションの材料となる。調合してもいないのに、それほどまでの高値で買い取られるとは、よっぽど需要があるのだろうか。
しかしそういうことであれば、とクナは決めた。
「キバナを十本売ります」
「承知しました」
『死の森』にはサフロの木がいくつもある。その根に生えるのがキバナだ。
茎も葉もない花であるキバナは、芽を残しておけば、また数日で生えてくる。つまり、森に入ればいくらでも採集できるということだ。
「では、五千ニェカをお渡しします」
硬貨ではなく紙幣を受け取り、クナはしばらく惚けてしまった。
あっという間に宿代が稼げた。未だ実感が湧かない。紙幣を持つ手が、わずかに震える。
放心するクナに、ナディは何も言わない。笑顔で見守るだけだ。
どうやってクナが『死の森』で採集をこなしたのか、ナディも気にはなっていた。事情を根掘り葉掘り訊いても、一応、許容される立場ではある。
だが、クナの目つきは傷ついた一匹狼に似ている。群れで生活することを厭うのではなく、群れそのものを恐れるような怯えが、目の奥に見え隠れする。
だからナディは、知り合ったばかりの今は深くは踏み込まずに、敢えてこの有望そうな少女と一定の距離を置くことにしたのだ。
その結果、クナはこの職務に忠実なナディという人物に、好感を抱いたのだった。
「クナさんは文字が読めますね?」
「はい」
クナは頷く。庶民の識字率はそう高くないが、クナは羊皮紙の文字を読み取っていたので、ナディはとっくに了解しているようだ。
「二階に資料室があります。薬草の買い取り価格についての資料もありますので、よろしければご覧ください」
「ありがとうございます」
しかしナディはそこで、やや躊躇いがちに口を開いた。
「そうだ、クナさん。ひとつだけ訊きたいことがあるんです」
「はい?」
「森の中で、ある人を見かけたか確認したくて」
「はぁ」
クナが目をぱちくりとしたときだ。
建物の外から、男性の叫ぶ声が聞こえてきた。
「見つかった! リュカが見つかったぞっ!」
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