【2巻9/10発売】薬売りの聖女 ~冤罪で追放された薬師は、辺境の地で幸せを掴む~【コミック発売中】

榛名丼

第1部

第1話.小さな薬屋

 


 それは月の光も射さない、暗い夜のこと。

 草の生い茂る鬱蒼とした森の中。少女がひとり、うつ伏せに倒れている。


 髪は乱れ、顔や身体の皮膚はあちこちが惨たらしく裂けている。

 麻でできた服はところどころが千切れており、布の色を変えるほど赤い血がにじんでいる。


 全身の痛みに、少女は呻き声を上げる。


(ああ……私、ここで死ぬのかなぁ)


 苦しい。痛い。

 辛くて泣き出したい。

 だけど、泣くための水分も身体に残っていない。


 少女――クナは、ぼんやりと薄く目蓋を開いている。

 走馬灯のように彼女の脳裏を流れるのは、ほんの数日前の出来事だった。



 ◇◇◇



 木製のドアにつるした呼び鈴が、カランと鳴る。

 カウンターに肘をつき、うとうとしていたクナは、その音に顔を持ち上げた。


 肩ほどまで伸びた黒いストレートの髪。

 切れ長の橙色の目は、一見すると冷たい印象がある。

 仏頂面をにこりともさせず、クナは客人に挨拶の声を投げた。


「いらっしゃい」

「おう。ポーションあるか?」


 入店してきたのは三軒先に住む青年だ。無愛想なクナにも慣れた調子で訊いてくる。

 といっても、ここはアコ村――別名、最果ての地とも呼ばれる村である。こんなところまで知らない顔が訪ねてくることは滅多にない。


「初級ポーションね。何本?」


 一本指を立てられたクナは頷く。


「あ、な」

「……はいはい」


 言われずとも、もちろん分かっている。

 クナは数少ない商品の並ぶ棚から、青い蓋のポーションを掴む。その間、青年は半ば愚痴っぽく漏らしている。


「親父がつま先に鍬を振りかぶっちまって、足がちょっと腫れちまってよ。まったく、年なんだからそろそろ無理しないでほしいんだが」

「そうなんだ」


 口調からして重傷ではないようだ。

 それならば兄の作ったポーション一本で十分だろう。クナの作ったポーションと異なり、ドルフのポーションはとてつもなく効き目が良いと評判だ。


 クナの身分は農民。職業は薬師だ。

 ドルフも薬師であり、二人きりの兄妹は祖母から継いだ薬屋を営んでいる。


 二人にとっての師も、八年前――クナが七つの頃に亡くなった祖母だ。

 捨て子だったクナにとっては、命の恩人でもある。

 祖母は優秀な薬師だった。偉大な師に少しでも追いつきたくて、クナは毎日努力を重ねている。


(実際は、作ったポーションは一本も売れない有様だけど)


 また廃棄することになったと知られれば、ドルフは溜め息を吐くことだろう。

 ポーションの瓶を一本取り出したクナは、青年の元に戻る。ちょうどこれが最後の一本だ。ドルフの作ったポーションの、だが。


「三百ニェカね」

「……常連なんだから、ちょっとおまけしてくれないか?」


 無言のまま、カウンター越しに右手を突き出すクナ。クナの家に、金銭交渉に応じてやれるほどの余裕はないのだ。

 青年は肩を竦めて、ポケットから出した薄汚れた硬貨をクナの手の中に落とす。


「まいどあり」


 代金を受け取ったクナは青年に瓶を手渡した。

 受け取った青年は小さな声で文句を呟きつつ、さっさと店を出て行く。


 こんなことは慣れっこなので、なんとも思うことはない。

 クナはぼろい椅子に座り直そうとしたのだが。


 カーン、カーン……と、風に乗って鐘の音が響いてきて、ぴたりと動きを止める。

 夕の鐘の音だ。これが鳴れば店じまいである。


 表に出て、ドアにぶら下げているオープンプレートを裏返す。

 ついでにきょろきょろと、目に見える範囲を確認してみるが。


(兄さんは、まだ帰ってこないか)


 薬草採取を言い訳に、ドルフが意中の女性とのデートに勤しむのは連日のことだ。

 文句は言えない。捨て子なのに家に置き続けてもらっている恩があるし、薬屋の売り上げの大半はドルフが作ったポーションなのだから。


 だが、ドルフは自分が家計を支えている自覚があるからか、ポーション作り以外はまったく仕事を手伝ってくれなくなった。


 朝からクナはひとりで薬草畑の世話をし、保管庫内の管理や点検をして、店番も休みなく務めている。

 もちろん店じまいのあとは、今日の売り上げについて帳簿をつけるのも忘れない。


 帳簿づけを終え、一日の疲れを取るように伸びをしたクナは、「よし」と決意する。


「ポーション作る練習するか」



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