第28話.初めての言葉
「おい、七百ニェカって」
「あの薬師の嬢ちゃん、正気かよ……!?」
クナの言葉を聞くなり、一気に周囲が騒がしくなる。
クナは言い返したくなるのを堪え、唇を引き結び、伸ばした腕に力を込める。
不当な請求ではない。むしろ割り引いているくらいだ。クナが森の中で作った中級ポーションの量は、瓶三本分程度はあった。それをすべてリュカに飲ませたのだから、本来であれば三本分の料金を要求しても良いくらいなのだ。
「こっちにも生活がある。先に言っておくけど、値下げには応じないから」
覚悟を示すように、そう付け足す。
リュカは返事をしない。自分の伸ばした指先が小さく震えているのを、クナは見つめる。上背のあるリュカの胸元までしか、視界には入らない。
見上げられないのは、その顔つきを見たくなかったからだ。非難するように、軽蔑するように見られているのを、知りたくなかったからだ。
(……今度は、なんて言われるかな)
『あんなものに金が出せるわけないだろう。商品棚からどかしてくれ』
『捨て子が作った外れポーションを受け取ってやるんだ、むしろこっちがお金をもらいたいくらいさ』
『こんなに安くてお得なのにちっとも売れないだなんて、あたしだったら恥ずかしくて寝込んじゃうかも』
『ばあさんはどうしてお前みたいな役立たずを拾ってきたんだか!』
アコ村でかけられた言葉の数々が、たったいま目の前で吐かれたかのように耳の中を木霊する。
先ほどまでは太陽のように笑っていた男――リュカも、きっと、似たようなことを言う。金を払うほどの価値を、クナのポーションに認めないだろう。
「――いや、七百ニェカはあり得ない」
(……ああ、やっぱりね)
冷たい否定の言葉が頭上から聞こえてきて。
クナの口元には、すべてを諦めたような卑屈な笑みが浮かぶ。
しかし、続く言葉はまったく思いも寄らないものだった。
「駄目だぞ、そんな控えめなこと言ってちゃ。それで金なんだが、本当に悪い。恩人に渡そうと思って全財産を持ってきたが、十万ニェカしかないんだ」
「…………え?」
クナの視界に入ってきたのは、大きく膨れた布包みだった。
中から、じゃりん、と硬貨がぶつかり合う大きな音が響く。十万ニェカといったら大金だ。庶民なら、軽く二月くらいは悠々自適に過ごせるだろう。
クナは呆然と包みを見下ろして、それから顔を上げた。
リュカは眉根を寄せて、心底、申し訳なさそうな顔をしていた。
「だけど今後、もっと金を貯めてちゃんとお礼できるようにする。命の恩人にこれぽっちでお礼を済まそうなんて思っちゃいないから、安心してくれ。……ってそうだ、まだちゃんと礼も言えてなかった!」
全財産が入っているという布包みから、あっけなく手を離すと。
リュカは改めて両膝をつき、膝に両手をやると、クナに向かって深く頭を下げた。
「ありがとう!」
彼が言い放ったのは、短い感謝の言葉だった。
クナはきれいなつむじを見下ろす。リュカはすぐに顔を上げると、顔全体で破顔して、クナの肩を掴んだ。
強い力がこもっている。だがその手からは、全身から溢れ出る謝意が伝わってくるかのようで、クナは振り解くことができなかった。
「あんたのおかげで助かった。あんたはオレの、命の恩人だ」
「……え、あ」
「助けてくれてありがとうな! 本当に、本当にありがとうな!」
何も言えないまま、ふいに、クナの視界が大きく揺れる。
目の奥が熱くなり、白く、景色がぼやける。不思議に思って、クナは何度か瞬きをしたが、視界は回復するどころか、ますますよく見えなくなっていく。
どうしてだろう。視力が落ちたのか。しかし、それにしても脈絡がなく、急すぎる。
不安になるクナに、輪郭さえぼんやりと明瞭でないリュカらしき影が、焦ったように声をかけてくる。
「ご、ごめん、びっくりさせちまったか? 泣かせるつもりじゃなかったんだ……」
(え?)
その言葉をきっかけに、クナは、自らの頬に手を当てる。
そこは濡れていた。目尻からこぼれる涙が筋になり、頬から顎に伝い落ちていたのだ。
(……私……泣いてる?)
自覚しても、涙が次から次へとこぼれていくのを、止められない。
自分でも、信じがたいことだと思う。だって、人前で泣くのなんて何年ぶりだろうか。
マデリが亡くなったとき、作ったポーションを怒った客に投げつけられたとき、辛いことがあるたびに幼い日のクナは泣いた。けれど、ますます不細工に見えるからやめろとドルフに罵られるたびに、いつしか涙は涸れていった。
だけれど、乾いた胸の真ん中に、リュカの言葉が広がっていく。
飾り気のないたった五文字の言葉。それだけのことなのに、胸の奥底から熱いものが込み上げてきて、それが涙に変わっていく。
今さらのようにクナは知った。
根源的な願い。クナがずっと、追い求めていたものを。
(ずっと、私……ありがとうって、言われたかったんだ)
『死の森』でマデリに拾われて、最初はただ、生活に役立つ薬の知識を身につけたいと思った。しかし薬屋を営むマデリは、毎日、たくさんの薬草を育てては調合し、薬にして人々に売っていた。
マデリのように誰かを助け、お礼を言われる、立派な薬師になりたい。いつしかクナは、そんな希望を胸に抱くようになっていたのだ。
(私は、その言葉が、ほしかったんだ……)
リュカがおろおろしている。クナは俯けた顔を上げられない。涙は敷物の上にぽたぽたとこぼれるばかりだけれど、それこそ首を持ち上げたら、嗚咽も堪えられなくなってしまうから、懸命に歯を食いしばっている。
声もなく泣くクナの前で、リュカは焦り続けていた。
「ごめんな。これじゃぜんぜんお礼にならないよな。恩知らずすぎて本当にごめんな、泣きたくなるのも当たり前だよな!?」
違う。そうではないのだと伝えたいのに、痙攣するように震える喉からは言葉が出てこない。
「そうだセスっ、金を貸し――いやいやいや、駄目か。仲間でも金を借りるのは御法度、がオレらのルールだもんな。うああ、どうすれば……」
「馬鹿言うなリュカ!」
すかさずセスが怒鳴る。
先ほどまでクナを疑っていたセスだ。そもそも十万ニェカなんて大金を払うべきではないと注意するのだろう。クナはそう思ったけれど、セスの声は掠れている。
「お前の命の恩人だ、おれたちにとっても大恩人に決まってるだろうが。疑っちまった詫びもある、いくらでも出すぞ! ガオン、お前もあるだけ出せ!」
「なんで僕まで?……まぁいいけど」
「つぅかみんなも貸してくれ! もちろん、できる限りでいいからな! この凄腕の薬師に礼がしたいんだ!」
それまで黙って見守っていた見物人たちも、顔を見合わせて頷き合う。
「当たり前だ。リュカを助けてくれた人だもんな」
「七百ニェカだなんて、謙虚な薬師さんも居るのねぇ。驚いちゃったわ」
「リュカの兄ちゃん、おれの百ニェカも足しにしていいぞ!」
「わたしのもー!」
わいわいと盛り上がる中、遠くから女性の怒鳴り声が響き渡った。
「あんたたち、何やってんの? って、ちょっと……クナさん泣いてるじゃないの! どういうことよ、あんたたちが泣かせたの!?」
「げっ、ナディだ。うるさいやつが来ちまった」
セスがぼやいたかと思えば、リュカがしゃがんだ気配がする。
「ナディ、この通りだ。オレに金を貸してくれると助かる!」
「ふざけんじゃないわよ。まずどういうことか説明しなさい!」
騒がしい言い争いの中。
立ち上がったロイが、だらんと垂れ下がるクナの手のひらをぺろぺろと舐めた。あやすように、何度も、何度も。
それでもクナの涙は、しばらく止まらなかった。
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引き続きクナを見守ってください。
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