第3話.外れポーション

 


 明くる日のこと。

 ポーションを棚に補充し終えたクナは、裏の畑で水やりをしていた。


 隣家の井戸から汲ませてもらった水を使い、じょうろで水をやる。

 野菜や薬草の葉が、雫を落として光っている。だが瑞々しいとは言い難い。


(相変わらず、土質が悪いな)


『死の森』で囲まれた不毛の土地。最果ての村。

 そう呼ばれる場所なだけあり、クナたち農民に与えられる耕作地もまた、作物を育てるのに適していない。

 ごろごろと石が多く、痩せて乾いた土地。野菜は小振りのものばかりできるし、薬草の成長には時間がかかる。


 土壌を改善するには、鶏ふんや牛ふんを使って作る堆肥が有効だ。

 それに朝の水やりも、水魔法で生み出した魔力水か、あるいはポーションを使ってみてはどうかと兄のドルフに提案したこともある。


 ……だが、ドルフからは勝手なことをするなと言われている。

 今のクナにとって、ドルフだけが家族と呼べる存在だ。家長の言いつけを破るわけにはいかない。


 水やりを終えたクナが裏口から店内へと戻ると、ドルフが慌てたように振り返った。


 焦げ茶色の短い髪に、三白眼の瞳をした男だ。厳ついが、見目はそれなりに整っている。

 クナより五歳年上だが、小柄で痩せ細ったクナと異なり、ドルフは体格が良く逞しい。


 毎日クナの作る食事のほとんどは大食らいのドルフが食べ尽くしている。今朝の食卓もそうだった。家計をやりくりするには、クナが食事を抜くしかない。


 商品棚の傍に立っているのは、ちょうどポーションを補充していたからだろう。

 クナが並べておいた黄色蓋のポーションの前列に、青蓋のポーションが並んでいる。どちらも二十本ずつだ。


「クナ。ポーション作っておいたからな」

「分かった」


 そう頷いて通り過ぎようとするクナの細い手を、ドルフが力任せに掴む。

 顔を顰めるクナに、高圧的にドルフが言う。


「お礼は?」


 ぐ、とクナは唇を噛む。


「……ありがとう、ございます」


 毎朝のように強要されるお礼。

 本当は言いたくない。言いたくないけれど、お礼を言わないといつまでも解放してもらえない。


 ふんっと鼻を鳴らしたドルフが、掴んでいた手をようやく離す。

 手首は赤くなっている。しばらく経てば青痣になるだろう。ポーションを飲んだとき、治り具合を実験できるな、とクナはぼんやりと思う。


 ――そうでも思わないと、やっていられない。


「クナ。お前は薬師としての才能もないのに、愛想もないと来た。ないない尽くしでどうするつもりだ?」

「……ごめんなさい」

「不美人なのはどうしようもないが、せめてシャリーンを見習って笑顔のひとつでも身につけろよ」


 満足に薬を作れないクナのことを、いつもドルフは馬鹿にする。

 クナは言い返さない。ドルフの指摘は事実だと分かっている。だが毎日のように馬鹿にされる日々では、とても笑顔など作る気力が湧かない。


「でも私……がんばるから。兄さんみたいにちゃんと調合もやれるようになるから」

「その言葉、何十回か聞いた覚えはあるんだがな」


 ドルフは白けた顔つきで、クナを見下ろしている。


「ばあさんはどうしてお前みたいな役立たずを拾ってきたんだか!」


 決まって最後に同じ捨て台詞を吐いて、ドルフは店を出て行く。

 建て付けの悪い木製のドアが、バン! と耳障りな音を立てて閉まる。


 しばらく気配を消すように俯いていたクナは、ドルフが戻ってこないのを確認すると、静かに表へと出た。

 オープンプレートを反対にして、店の中に引っ込む。カウンターに座って、ようやく肺に溜まっていた息を吐いた。


 ドルフや村人たちに何を言われても、クナは泣かない。

 涙はとっくに涸れ果てた。同時に、笑顔の作り方も忘れた。

 祖母が存命だった頃とは何もかも違うのだ。


 小鳥の形をした呼び鈴がからんと涼しげに鳴る。

 クナは気を取り直して立ち上がった。いつまでも落ち込んではいられない。


「いらっしゃい」




 しかしそのあと、クナにも予想外のことが起きた。


 店に次から次へと村人が訪れるのだ。

 小さな村だ。こんなに売れ行きが良い日は今までになかった。

 クナは信じられない思いだった。怪我人が多いのを喜んではいけないだろうが、それでも薬屋が必要とされているのを実感する。


 昼を迎える前に、あっという間にポーションは売り切れになってしまった。


「……どうしよう。もうなくなっちゃった」


 商品棚を確認したクナの顔色は悪い。

 クナが作ったポーションは全部余っている。だが、客が求めるのは優秀なドルフのポーションだ。

 追加のポーションを頼もうにも、ドルフがどこをほっつき歩いているのか、店番をするクナは知らない。


「一度、店を閉めて捜しに行くべき?」


 週七日間のうち、安息日を除く六日間は、朝から夕の鐘が鳴るまで常に店を開けている。

 店側の勝手な事情で、薬屋を一時的にでも閉めていいのか。その間に急病人が来たらどうするのか。


 迷っている間に、また店のドアが開く。


「……いらっしゃい」


 客の顔を見て、クナは顔を強張らせる。


 シャリーン・タウ。

 やって来たのは、クリーム色の長い髪の毛を背中に揺らす、豊満な体つきの美女である。

 シャリーンは姓を持つ。アコ村では村長一族だけがタウという姓を持っていて、他の住人たちに姓は与えられていない。もちろんクナもそうだ。


 村長の孫娘であり、美貌と権力を兼ね備えたシャリーンは、村中の男から憧れの目を向けられている。

 そんな彼女は、同い年のドルフとだ。


「久しぶりね、クナ」


 きれいな服を着たシャリーンは、みすぼらしい麻の服をまとうクナを一瞥する。

 シャリーンは立場を笠に着ない、心優しい女性として知られているが、クナにだけは露骨に冷たい態度を取る。しかも、他に人目がないときだけだ。

 ドルフが居れば、自分の妹のようにクナを可愛がる。ドルフはクナのような捨て子にも優しいシャリーンに感動している。二人の恋愛の小道具として使われるたびに、クナはうんざりしていた。


「兄は留守だけど」


 そのせいで、クナの声色には色濃い警戒がにじむ。

 しかしシャリーンは気にしない様子で小首を傾げた。


「今日はドルフに用はないわ。ポーションを一本お願いできる?」


 クナは舌打ちしたくなった。

 シャリーンが自らポーションを買いに来るのは珍しい。なぜ今日に限って、と言いたくなる。


「今は私の作ったポーションしかなくて」

「それでいいわ」


 クナは思わず「えっ?」と声を上げてしまった。


 クナが作ったポーションの入った瓶は、黄色い蓋。

 ドルフが作ったポーションの入った瓶は、青い蓋。


 母親に買い物を任された子どもは、数枚の硬貨を手に必ず「青いやつちょうだい」と言う。

 黄色蓋は外れポーション。間違って買うと尻を叩かれるから、子どもたちだって注意して薬屋に買いに来る。

 村にひとつしかない薬屋だ。村人なら誰もが知っている常識である。


 シャリーンも当然、知っていることだが。


「黄色蓋のポーションしかないんだけど」

「だから、分かってるわよ。それを売って」


 それなのにシャリーンは問題ないと言う。

 ここぞとばかりにクナを責めることもしない。クナはいやな予感を覚えて、黙り込んでしまう。


「客にポーションが売れないって言うの? クナ、何様のつもりかしら?」

「…………」


 逡巡を見抜いたシャリーンが目をつり上げる。

 しかしこの場合はシャリーンが正しい。商品として出している以上、求めてきた人に売らないわけにはいかない。


 クナはまだ躊躇いつつも、商品棚から自作のポーションを取り出した。

 緊張して、喉が渇いている。震える手でカウンターにポーションを置いた。


「百ニェカです」

「……そうだった! 黄色蓋はいつも安売りしてるのよね」


 シャリーンが取り出しかけていた硬貨を、慌てたように財布に仕舞う。


「こんなに安くてお得なのにちっとも売れないだなんて、あたしだったら恥ずかしくて寝込んじゃうかも」


 シャリーンがくすくすと笑う。クナが傷つくと分かって口にしている。


(でも、大丈夫……私は、ちゃんと作ってるんだから)


 クナはそう自分に言い聞かせる。


 使う材料は薬草と魔力水だけ。

 いつも味見もしている。なんの問題ないはずだ。


「今日は、一本だけでも売れて良かったわね?」


 シャリーンが硬貨をカウンターの上に投げ捨てる。

 勢いよく床面に落ちたそれを拾う間に、シャリーンは薬屋を出て行ったのだった。



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