第5話.村からの追放
連れて行かれたのは暗くじめじめとした洞窟だった。
以前は食料の保存庫として使われていたという場所だ。
自然洞窟の内部には風も通らず、どこか空気も薄いように感じる。クナも入るのは初めてだが、ゆっくりと観察する暇などあるはずもない。
引きずられていくと、奥側に木格子が取りつけられていた。
鍵がついているのは、貯蔵する食料が盗まれないためだろうか。その中に入れられ、剥き出しの土の上にクナは放られた。
それから地獄のような刑罰が始まった。
クナは縄で手足を拘束され、鞭打たれた。
ラタンでできた太い鞭で背中や腿の裏を叩かれるたび、激痛が走り、クナは苦悶の呻き声を上げた。
麻の服が裂け、傷口から血が噴き出して土に点々と散る。
逃げられないように、鞭打ちの間は、両手を繋ぐ縄は天井の梁に括りつけられていた。
鞭を打つにも体力が要る。ぐったりとしたクナが降ろされるときには、見張りと交代で鞭を持つ男も疲れ切っている。
年若い少女であるクナの身体は見るも無惨な有り様だ。男は顔を逸らしつつ、固い地面にクナの身体を横たえる。
「なぁ。……このままだとコイツ、本当に死ぬんじゃないか?」
「けど、罪を認めるまで打ち続けろと言われてるだろ……」
「さっさと認めりゃあ、楽になるだろうにな」
クナはもうろうとした意識の中、何かを恐れるような喋り声を何度か聞いた。
刑罰の間、クナはほとんど食料も水も与えられなかった。
ときどき、見張りから目を盗んで、尽きかけた魔力で地べたに少量の水を出した。
直接それを啜る。与えられる水は腐っていたから、このほうがよっぽどマシだったのだ。
一度だけ見られてしまったが、何も言われなかった。
たぶん、小便を啜っているとでも思われたのだろう。クナにとってはどうでも良かった。
「いい加減、罪を認めたらどうなの?」
何度か、シャリーンらしき女に遠くから声をかけられた覚えがある。
だが、クナは言葉を返さなかった。汚い、くさい、と吐き捨ててシャリーンはすぐに出て行く。そんなことが何度かあった。
何日目かも分からない夜のことだ。
クナは男たちにずるずると引きずられ、どこかへと連れていかれた。
(まぶしい……)
目蓋の裏がじくじくと痛む。
それに、涼しい。そう感じてようやく気がついた。自分は洞窟の外に出されたのだと。
灰色の分厚い雲に、月は覆い隠されていた。手元すらよく見えない濃い暗闇の中でさえ、洞窟に閉じ込められていたクナにはまぶしかったのだ。
春先の空気は生ぬるい。なぜだか虫の声もよく聞こえない。
力なく土の上に座り込んだクナを、誰かが見下ろしている。
見上げれば、無表情のドルフと目が合った。
「無事だったか、クナ」
思いがけず、その声は優しかった。
クナの無事に、ドルフが安堵してくれている。
捨てたはずの期待が、クナの胸にむくむくと湧き上がる。
「私のこと、信じ、て……くれたの?」
クナの口端から漏れたのは、老婆のように嗄れた声だった。
そんなクナに、ドルフはあっさりと答えた。
「そりゃあ、お前が毒なんて盛るわけないからな」
「兄、さん……!」
ドルフの言葉に、クナの目の奥が熱くなる。
見捨てられたと思っていた。
でも、ドルフはクナは無実だと信じてくれていた。方法は分からないが、どうにかして洞窟からも出してくれたのだ。
言葉にできないほどの感謝と感動が、乾いた胸に広がっていく。
「ったく、本当に感謝してくれよ。俺がどれだけシャリーンに頭を下げて謝ったか」
だがドルフが口にしたのは、思いがけない言葉だった。
「…………謝った?」
「まさかこんなことになるなんて……シャリーンも余計なことを……」
ブツブツと、肩を擦りながらドルフはまだ何か言っている。
それから、大仰に溜め息を吐きながらクナを睨みつけると。
「クナ、お前もちゃんと謝って許しを乞え。そうすればシャリーンはお前を許すと言ってる」
クナには、ドルフが何を言っているのか理解できない。
「……どうして、やってない、こと、で……謝るの?」
「いい加減にしろよ! お前はただポーションだけ作ってりゃいいんだから」
頭ごなしに怒鳴られる。
ドルフの怒鳴り声が鼓膜を貫くたび、クナは傷だらけの心に残っていた感情が、粉々に砕かれていくのを感じる。
四肢から力が抜けていく。口元にはぎこちない笑みが浮かんだ。
師とあおぐ祖母が死んでから、クナは一度も笑わなかった。
数年ぶりに表情筋を歪めて作り出した笑みは、冷え冷えとしていて薄っぺらいものだった。
「……って、言ったじゃない」
「ああ? なんだよ」
「私のこと、役立たずって何度も言った、よね。それなのにどうして――助けたの?」
冷たく底光りする橙色の瞳に、気圧されたようにドルフが一歩下がる。
「これなら、死んだほうがましだった。やってもいない罪を、勝手に謝られるよりずっと……」
「――残念だわ、クナ。ちっとも反省してないみたいね」
クナの言葉を遮って現れたのは、シャリーンだった。
洞窟の裏手に隠れていたらしい。
クナが希望を打ち砕かれるところを、こっそりと見物して楽しんでいたのだろう。言葉とは裏腹に、シャリーンの口元はにやにやと緩んでいる。
「決めた。クナを『死の森』に追放するわ」
ドルフや男たちが息を呑む。
『死の森』――そう呼ばれる森が、アコ村を囲むように広がっている。
強力な魔獣が住み着き、命を奪う毒草や茸が生える森。一度入れば、死は免れない場所。そこに、シャリーンはクナを追放すると言ったのだ。
「シャ、シャリーン。約束と違うじゃないか」
「……ドルフ。今さら情が湧いたの?」
ドルフの肩が強張る。
「そ、そりゃあ、だってばあさんからクナを世話しろって頼まれたしな」
「薬師のおばあさんはとっくに死んだんだし、いいじゃない。あなたは妹の面倒から、いい加減解放されるべきだわ」
優しげな目を向けられ、ドルフは口ごもったが、それでも控えめに口を開く。
「それなら『死の森』じゃなくて、テン街道のほうはどうだ? それならまだ……」
「どちらにせよ同じよ。テン街道を使って森を迂回しても、隣町まで歩いて半月はかかるのよ。でも『死の森』にはクナの大好きな毒がいっぱいあるじゃない」
飢死よりは毒を飲んで自死したほうが幸せだろうと、労るような目をしてシャリーンは言ってのける。
とうとう何も言えずに黙り込むドルフ。
そんな兄を、クナは胡乱げに見つめるだけだった。
(私が死んだほうが、あんたも嬉しいだろうに)
中途半端にクナを救う気があるらしい。
分かりやすく悪意のあるシャリーンよりも、ドルフのほうがよっぽど不気味だ。
ドルフが沈黙すると、それまで静かに事の推移を見守っていた男のひとりが小さく挙手をする。
「でも、村長が……」
「おじいさまにはあたしから話すわ。いいから早くして。クナを森に捨ててくるのよ」
二人の男が顔を見合わせる。躊躇いがちに頷き合っている。
再び両脇に腕が差し入れられる。
抵抗する気力も体力もなく、クナは引きずられていく。
「さよならクナ。あなたが生き残れるよう、神に祈ってるわね」
心にもない祝福の言葉が、風に乗って消えた。
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