第6話.生き延びるために
「……すみません。薬は、薬はいりませんか」
小さなアコ村の端から端まで、クナは何度も回り続けていた。
その手にはカゴがある。中には二十本もの黄色蓋のポーションが詰まっている。
少女の細腕にはずっしりと重いそれを、クナは大切そうに持ち歩いては、住民を見つけて話しかけていた。
「すみません。薬はいりませんか?」
祖母が亡くなり、薬屋はドルフとクナの二人きりで経営することになった。
ドルフはクナに販売用のポーションを作るよう命じた。だから、悲しんでいる暇もなかった。
クナはそれまで、作ったポーションを売りに出したことはなかったけれど、祖母のマデリは太鼓判を押してくれていたから、ドルフの指示にも狼狽えることはなかった。
だが――現実は厳しいものだった。
『ドルフのポーションを飲んだら、すぐに主人の傷が治ったの』
『マデリのポーションにも匹敵するレベルなんじゃないか?』
『さすがドルフ。薬屋を継いだだけあるな』
ドルフが作った青蓋のポーションは、飛ぶように売れていく。
けれど、
『なんなのあれは! まずいだけでなんの効果もないわ』
『あんなものに金が出せるわけないだろう。商品棚からどかしてくれ』
『兄弟子は優秀なのに、クナはポーションもまともに作れないのか』
クナが作った黄色蓋のポーションは、購入者から散々な評価を受けていた。
そんなはずはない。手順通りに作ったポーションだと、クナはドルフに訴えた。
実際に調合したあと、味も見ている。不良品を店に出したりはしていない。
だが悪評はすぐに小さな村中に知れ渡り、黄色蓋のポーションは売れなくなっていく。
そんな現状を問題視したのだろう、ドルフはクナに冷たくこう告げた。
「自分が作ったポーションを全部売れるまで、戻ってくるなよ」
……だからクナは、なんとかポーションを買ってもらおうとカゴを手に歩いている。
通り沿いだけでなく、井戸や木陰で話す主婦、農地の耕作に励む農民、広場で遊ぶ子どもなど、誰彼構わず声をかける。
「今朝作ったばかりのポーションです。お願いです、どうか買ってください」
だが、そんな風に必死に売り込んでも、誰も見向きもしない。
それどころかクナが言葉を発するたび、どこからか笑い声が響く。
ぐう、とお腹が鳴る。真っ赤になったクナは慌ててお腹を押さえるけれど、昨日から何も食べていないせいで腹の虫は鳴り続けてしまう。
また、何人もの笑い声が聞こえる。その中にはきれいな服装のシャリーンも混じっている。
恥ずかしくて、惨めで、クナの細い身体は小刻みに震える。
そこに、隣の家に住む主婦が通りかかった。
村にひとつしかない精肉店に寄っていたのだろう。恰幅の良い彼女の手には、カバンに仕舞う前の財布が握られている。
クナは飛びつくように駆け寄った。
「どうか、どうかポーションを買ってください。お願いします」
「……仕方ないねぇ。いくらだい?」
クナはぱっと顔を輝かせた。
「さ、三百ニェカです!」
ようやく、最初の一本が売れるかもしれない。
「えぇ? それ、ぼったくりじゃないの?」
「……え?」
淡い期待に輝くクナの表情は、次の瞬間には凍りついていた。
「青蓋のポーションと同じ値段なのはおかしいだろ。出せてもせいぜい百ニェカだよ。捨て子が作った外れポーションを受け取ってやるんだ、むしろこっちがお金をもらいたいくらいさ」
侮蔑に満ちたその言葉に、クナの目の前が暗くなっていく。
マデリは、体調を崩す前に確かに言ってくれた。
クナの作るポーションは、薬屋に置いて恥ずかしくないものだと、そう褒めてくれた。
厳しい祖母に認められて、どれほど嬉しかったか。
――でも今は、ひとりきりの今は、何が正しいのか分からない。
クナの瞳から、涙が流れていく。
「……ごめん、なさい」
謝罪を口にするクナを、主婦は煩わしげに、シャリーンはにやにやと笑って眺めている。
追い詰められ、頭を垂れたクナの乾いた唇からは、自分を卑下する言葉だけがぽろぽろと流れ落ちていく。
「出来損ないのポーションを売りつけて、ごめんなさい。ごめんなさい。でもどうか買ってください。一本でもいいから――――」
(…………夢)
目を開けると、伸びきった群草と目が合った。
村とは空気のにおいが違う。森の中だ。そう悟って、記憶を辿る。
数十秒で、自分の身に何があったかを思い出していった。
シャリーンに冤罪を被せられ、鞭打ちの処罰を受け、『死の森』へと追放された。
森に放り投げられたまま、しばらく気を失っていたらしい。身体を起こそうとしたが、全身に走るひどい痛みで、それもままならない。
食いしばった歯の隙間から、クナは重い息をこぼす。
「もう、八年も前か」
今も夢に見るほど、自分は引きずっているのだろうか。
いつまでも売れないポーションを胸に抱えて、堪えきれずに何度も涙を流した日々。
日射しが降り注ぐ真夏も、雪が降る凍えるような真冬の日も、ドルフはクナを外に追い出しては、戻ってくるなと言いつけた。
そんな日々が毎日のように続く間に、クナの感情は少しずつ失われていった。
最初に笑顔を失い、涙が涸れて、喜怒哀楽を司る身体の中の機関が錆びついていった。
もともと仏頂面のクナだったから、ドルフは愛想がない、可愛げがないと罵るだけだったが。
(ああ……私、死ぬのかなぁ)
ぼんやりと取り留めのない思考が、頭の中を漂う。
このまま倒れていれば、本当に死ぬだろう。餓死か、獣に喰われるか、化膿した傷が悪化するか――シャリーンが言ったように毒を飲むまでもなく、クナは命を失う。
どうでもいいか、と思う。
全身は馬鹿みたいに痛むし、熱があるのか頭も重い。
アコ村から追放された以上、行く当てもないのだ。
そのとき、ふと、クナの目にその色が目に入った。
橙色の小振りの花をちょこちょことつける多年草。まるで倒れ伏すクナを囲むように大量に咲いたその花が。
それを見たとたん、聞こえた気がした。
命の恩人であるマデリの言葉が。
『生きたいなら、この手を取りな。死にたいなら、そこでいつまでも転がってりゃいい』
薬師らしくなく、豪放な気性であるマデリ。
少し怖かったけれど、おずおずと伸ばした手を、あの老婆は躊躇わずに取ってくれた。
『お前は今日からクナだ。クナの花が原生する中に転がってたからね』
不思議そうな顔をすれば、シワシワの顔を歪めて、にやりとして教えてくれた。
『ああ、このオレンジの花はクナっていうんだよ。大してきれいじゃないって? 失礼だねぇ。アタシはこのしぶとい花が、いちばん好きなんだよ――』
「……死んで堪るか」
気がつけば、クナは呟いていた。
「こんなところで、死んで堪るか」
言い聞かせるように繰り返し、クナは目の前の草花を注視する。
暗闇にも慣れつつある視界。
めぼしい薬草を見つけては、クナはそれを口の中に放り込んでいく。
よく咀嚼する。苦くて吐き出しそうだ。慣れた味だけれど、感想はいつまで経っても変わらない。
ここに鍋があればどんなにマシか。そう思いながら切り傷が走る片手で口を押さえ、必死に嚥下する。
獣の小便がかかっているかもしれない。どうでもいい。もうどうでもいい。
ただ、こんなところで死ぬのだけはごめんだ。
「生きろ、生きろ、生きろ!」
気がつけば、頬を涙が伝っていた。
涙を流すだけの体力が回復したらしい。自らのしぶとさを誇らしく思いながら、クナは目元を力任せに拭う。
泣いている場合ではない。一刻も早く背中の傷を回復させなければならない。
…………がるるる、と獣の唸る声が聞こえたのはそのときだった。
目を向ければ、赤い数十の光が向かってきている。
涎を垂らした魔獣たちが、クナの周囲を取り囲んでいた。
そこらの村娘であれば、この時点で悲鳴を上げて動けなくなっていただろう。あるいは恐怖に駆られ、走り出していたかもしれない。
だがクナは余裕を崩さず、ふんと鼻を鳴らす。
「獣ども。私の血のにおいに、引き寄せられてきたのか」
獲物を追い詰めるように、じりじりと包囲網は狭められていく。
その中心でゆっくりと身体を起こしたクナは、不敵に笑う。
……クナを追放したシャリーンやドルフたちは、知る由もないことだが。
クナは
――彼女が拾われた場所は、『死の森』と呼ばれる森だ。
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